2023
06.12

私と朝日新聞 津支局の4 レーダー探知機

らかす日誌

初めて「特ダネ」というものを書いたのは、津で署回りを初めてしばらくしてからだった。まだ支局のランドクルーザーに乗っていたから、記者になって1ヶ月前後のことだと思う。

苦手だったお巡りさんたちとも少しずつ打ち解け始めていた。とはいえ、学生気分をまだ引きずっていた私は、刑事さんを相手にするのはまだ重荷だった。犯罪を捜査する世界になかなかなじめなかったのである。

刑事部屋の奥に鑑識の部屋があった。皆様、刑事ドラマなどをご覧になったことはあるだろうから、鑑識の役割はご存知のはずである。私はこの鑑識の部屋にしばしば出入りするようになった。捜査のプロである刑事さんたちより、科学技術を駆使して捜査を側面から支える鑑識という仕事が、私の学生気分に何となくピッタリきたのである。犯罪と直接顔を合わせる必要がない、犯罪との間に幾分かの隙間がある仕事だったからかもしれない。

その日夕刻、私は津署の鑑識部屋にいた。見ると、机の上にパンフレットが置いてある。

「これ、見ていい?」

別に何かの用件があって鑑識部屋を訪れたわけではない。警察署のなかで相対的に居心地がいいので足を運んだに過ぎない。だから、特に話すこともなく、ふと目を引かれたパンフレットに関心を持ったのだ。

「ああ、いいよ」

それは見知らぬ器具の説明書だった。何でも、警察のスピード違反取り締まりからあなたを守る、とある。へえー、そんなものがあるんだ。これを買って車にセットすると、速度違反を取り締まるために出ているレーダー波を検知して警告をならすというのである。いまでいうレーダー探知機だ。ひょっとしたらあなたの車には取り付けてあるかもしれないが、その当時はそんなものがあることを知る人はほとんどいなかった。

「面白いですね、この機械」

「ああ、記者さんから見たら面白いかもしれないが、スピード違反をり締まる警察としては困りものでね。何とかならないかと交通課が持ってきたんだよ」

「でも、俺も欲しいな、こんな機械」

「おいおい、あんたまでこんな機械を使ってくれちゃ困るよ」

そんな冗談交じりの会話を交わし、私は席を立って支局に戻りかけた。車は相変わらずランドクルーザーである。
途中まで来た時だ。ふっ、と気が付いた。

「えっ、あれって、まだみんな知らないんだから、あれを記事にすれば特ダネじゃないの?! このまま支局に帰って、『いやあ、こんな機械ができたらしいですよ』なんて話したら、支局長、デスクに『お前は馬鹿か。もう一度行って取材してこい!』と怒鳴りつけられるんじゃないか?」

怒鳴られるのには慣れ始めていた。ある日管内で自殺があり、取材を命じられたので警察に取材に行くと

「いや、これは個人的なことなので、遺族の意向もあって教えるわけにはいかない」

と取材を拒否された。なるほど、それもそうである。どこかの誰かが自殺したって、世の中に及ぼす影響はほぼない。記事にする必要なんてない。
とはいえ、取材を命じられたのである。支局には知らせを入れなければならない。私は公衆電話(当時は携帯電話屋スマホはどこにもなかった)に10円玉を入れて受話器を取り上げた。

「というわけで、取材を断られたんですが」

それで私の仕事は終わりだと思っていた。ところが、である。

「何を! 取材が出来ない? 断られた? 寝ぼけたことをいうな。取材して報道するのが俺たちの仕事だ。記事になるかどうかの判断をするのは俺たちで、警察じゃないんだぞ! お前は仕事ができないのか?! 自殺したのが著名人や有名人だったらどうするつもりだ。もういっぺん行って、さっさと取材してこい。取材できなかったら帰ってくるな!

受話器から怒声が飛び出した。単なる怒声ではない。受話器を耳につけていると鼓膜が破れそうな怒声である。私は思わず受話器を耳から離した。それでも声はビンビン聞こえる。やむなく、少し離れた送話口に向かって

「はい、分かりました」

と怯えた声で申し上げたのであった。

支局における新米記者とはそのように取り扱われるものなのだ。いまと違ってセクハラ、いやパワハラなんて言う言葉はなかった。怒鳴り散らされるのが当たり前だったのである。

話を元に戻そう。
怒鳴られることになれ始めていたとはいえ、やっぱり怒鳴られるのは嫌である。私はランドクルーザーをUターンさせて署に戻ると、鑑識部屋に駆け込んだ。

「すいません。さっきのパンフレット、コピーしてもらえませんか? そして、この機械についてご存知のことを教えて下さい!」

必要だと思われる取材を済ますと、急いで支局にとって返した。

「支局長、こんな話があります。特ダネだと思います。社会面に売り込んで下さい!」

息せききって己の手柄を売り込む私の話を聞いたM支局長は、

「そうか。だったらそれを青鉛にせえ」

といった。青鉛筆。古くから朝日新聞をお読みの方なら、頭の片隅に記憶がとどまっているかもしれない。社会面の左下にあったコラムである。行数わずか20行前後。1行は15文字だから300文字でこの大特ダネを書けというのである。

「いや、あんな短さじゃ書けませんよ。私は大きな記事にしたいんです」

「いいか、大道。青鉛はな、社会面4段(4段抜きの見出しがついた記事)相当の価値があるんだ。それにな、短い文章で総てを書き尽くすのは文章の勉強だ。20行で書け!」

書いた。やむなく、沢山のデータを捨てて20行の記事にした。

「何いってんだ。社会面トップになるニュースだぞ。それを青鉛だなんて、この支局長、アホか?!」

と胸の内で毒づきながら書いた。書いて支局長に出した記事は、今度は固有名詞以外にも少しは私の筆跡も残しながら、翌日の朝刊に掲載された。目出度し、目出度し。

では、この話は終わらなかった。
1週間ほどたった朝のことである。支局で読売新聞の朝刊社会面を開いた私は、思わず天を仰いだ。出ているのである、レーダー探知機が。社会面トップで堂々と、いかにも特ダネ風に掲載されているのである。

「見てみろ。やっぱり社会面トップの記事だろうが、これは。支局長、あんたセンスないなあ。何年新聞記者をやって来たんだ?」

もちろん、沸き上がったそんな思いをおくびにも出さず、その日も冊回りに出かける私ではあったのだが。