2023
07.07

私と朝日新聞 岐阜支局の1 不安だったのです。

らかす日誌

私が岐阜支局に転勤したのは1978年4月のことだった。

まだ津に在任中の1976年9月、長良川が氾濫した。私にとっては遠隔の地での出来事に過ぎず、私が岐阜に転勤してこの水害の裁判を自分が取材することになるなど考えもしなかった。

「凄いなあ。大変だなあ」

と思いながらテレビの画面に見入っていただけである。長良川の右岸堤防が安八郡安八町で決壊し、3536世帯が床上浸水などの被害を受け、水防活動をしていた区長1人が亡くなった。

テレビの画面では、2階部分まで水に浸かり、2階の屋根に避難していた住民に、一艘の小舟が近づいていった。よく見るとテレビの取材班らしい。
やがてテレビ記者と思える男性が避難している人にマイクを向けながら言った。

「びっくりされたでしょう」

もう50年近く前のことである。記憶は正確ではないが、そんな趣旨の質問だいった。
おいおい、2階にもいられないほどの水かさに追われて屋根にへばりついている人に、

「びっくりされたでしょう」

だと? 次は

「ご感想は?」

とでも聞くつもりかの? この記者の人間性に私は唖然としたものである。単にあがっていただけかもしれないが。

岐阜に転勤するに当たって、1つだけ用意したものがある。松下竜一著「砦に拠る」である。確か転勤が決まったあと、天声人語がこの本を紹介した。
筑後川の上流に建設された下筌(しもうけ)ダムには激しい反対運動が起きた。13年もの間続いた日本ダム史上の最大の反対運動で、「蜂の巣城紛争」という。その全貌を、反対闘争を一貫してリードした室原知幸さんを軸にして書かれた名著である。
下調べをすると、岐阜県は徳山ダム問題を抱えていた。揖斐川の上流に建設が予定されていたダムである。このダムができれば徳山村全部が水没する。地元はダム建設反対を唱えて水資源公団と闘っていた。

「ひょっとしたら、俺が徳山ダム問題を担当するかもしれない。この時期にこの本が紹介されたのも、何かの巡り合わせだろう」

と書店に走ったのである。

岐阜への転勤には不満もあった。

「俺は全国紙の朝日新聞に入ったのだ。朝日新聞名古屋本社に入ったのでもなければ、中部地方のローカル紙に入ったのでもない。どうせなら、日本列島の半分ぐらい動かしたらどうだ?」

当時は第1次石油危機後の経済低迷がやっと収まりかけた頃である。朝日新聞も記者の移動に費やす資金があまりなかったらしい。そのため、金のかからない目と鼻の先への転勤となったようだ。
が、そんな説明を聞いても、不満が収まるはずはない。気が進まない移動だった。

だが、初めて足を踏み入れた岐阜市で、少し気分が明るくなる。

「小洒落た(こじゃれた)町だな」

と感じ取ったのである。
町を走っている車が洒落ていた。ベンツやBMWの高級車が走り回っていたのではない。フィアットの小型スポーツカー、VWビートル、MG……。俺は金持だ、と周りに見せつけるような車ではなく、

「人生を楽しんでます!」

と言いたげな車がたくさん目についたのだ。

「この街、楽しめるかもしれない」

当時、岐阜市の人口は41万人前後。デパートが3つもあり、これなら名古屋まで買い物に出る必要はない。夜は柳ヶ瀬に灯が灯る。さらに遅い時間にはソープランドが立ち並ぶ金津園(楽しみを求めて足を踏み入れたことはありませんが)がある……。
それまでいた津市は人口13、4万人。デパートは1つしかなく、夜の繁華街と呼べるような町はなかった。岐阜市は津市とは比べものにならない大都会だった。

そして、この都会は歴史と自然の宝庫だった。まちなかを鵜飼いで知られる長良川が悠揚と流れ、そのほとりに金華山がすっくと立ち上がる。山頂の城は斎藤道三の居城で、後に織田信長が入って天下統一を始めた。
いい町である。

長良川のほとり、川を挟んで金華山が望めるアパートを借りた。確か2LDK。すでに長女も誕生して1歳半の可愛い盛り。長男も元気に跳ね回っており、我が家は4人家族になっていた。

さあ、2つ目の任地。仕事をしよう!

支局に行き、支局長、デスク以下に挨拶をする。そして、支局の切り抜き帳を引きだした。岐阜支局ではどんな記事が書かれているのか。

読み進むうちに気が重くなった。レベルが高い。充実した記事で紙面が埋まっている。きちんとした問題意識があり、綿密な取材が記事を支えている。津で私が書いていたようなレベルの低い記事では掲載してもらえないのではないか?
考えてみれば、三重県では毎日5ページの地方版を作っていた。三重総合版、三重版、北勢版、南勢版、大阪三重版である。それに比べ、岐阜県は毎日2ページだ。

「そうか、紙面が狭いと、余程中身の濃い記事でなければ紙面に載らないんだ」

とは分析したが、分析とはあまり役に立つものではない。逆に

「俺、こんな充実した記事が書けるか?」

との弱気がムクムクと湧き上がってきたのである。

俺、岐阜支局でやっていけるか?

そして私は岐阜県庁担当兼遊軍を命じられた。県庁に居座る必要はない。面白い話があったら岐阜県下を自由に飛び回り、書きたい原稿を書け。

俺、できるか?
不安ばかりを抱えて、私は岐阜支局で働き始めた。