07.09
私と朝日新聞 岐阜支局の3 憲法特集
「大道君、ちょっと」
とデスクに呼ばれたのは4月半ばだった。デスク、名を松本行博さんといった。私が津支局で交通事故撲滅キャンペーンをやったとき参考にした「企業都市」の取材チームの一員であったことを後に知る。
「間もなく憲法記念日だよねえ。そこで5月3日付の岐阜版で憲法特集をやろうと思うんだが、君、原稿を書いてくれ」
????????
確かに私は法学部を出た。たいして勉強したとは思っていないが、憲法の授業も取った。前文も記憶してはいないが、何となくイメージは頭にある。戦争放棄をうたった第9条は何としても守らねばならないと思う。
でも、新聞で、それも地方版で、憲法特集? 何をしたらいいの? まさか私に憲法の論文でも書けというの? そんなの、書けません!
恐らく、私はなんの考えも浮かばずに呆然とした顔をしていたのだろう。松本デスクはいった。
「そうか、君はまだ岐阜に来て半月だったね。取材先もそれほど増えていないだろう。僕が何人か紹介してあげるから会ってきてごらん。何かヒントがあると思うよ」
こうして紹介してもらったのが岐阜大学附属小学校の教師、近藤宏さんと、主婦のKさんだった。
私は近藤先生に会いにいった。
「と松本デスクに言われまして、とにかく近藤先生に会ってこいと。しかし、岐阜版で憲法特集をやれっていわれても、いったい何を取材して何を書けばいいのか、全く五里霧中なんです」
「ああ、そうなの。大変やね、記者さんも。うーん、難しいなあ。どんな話がいいだろう?」
記事を考え、書くのは記者の仕事である。先生の仕事ではない。それなのに近藤先生、まるで自分のミッションでもあるかのように考え込んだ。不思議な人である。
「ああ、そうだ、この間ね、うちの学校でこんなことがあったんさ」
ノートにメモを取りながら、話に聞き入った。聞いているうちに、
「えっ、この先生、いったい何なのだ?」
と感心した。教室で、地に足がついた憲法教育を、小学生相手に実践していたのである。これを、この話を書けば憲法特集の紙面ができる!
その時書いた記事を全文転載する。
「赤い旗」は教えた ルールってなんだろう
「おーい、きみんた、あすこに赤い機が出とるやねーか。6年生のくせして、ちゃーんとルール守らんといかんやろ。教室にはいれ」。4月25日の朝8時すぎ、岐阜市加納大手町、岐阜大学教育学部付属小学校6年2組のベランダから、担任の近藤宏先生(44)がどなった。グラウンドでは、2組の生徒15人ほどが野球に熱中している。この小学校では、雨などでグラウンド状態が悪い時は職員室の窓から赤い旗が出る。これが出るとグラウンドは使わない決まりだ。荒らさないためである
ところが、子どもたちがどなられた日は朝から快晴。前日は雨でずぶぬれだったグラウンドも、すみの方に少し水たまりがあるだけで、すっかり乾き、十分使える状態だ。「旗は出とるけど、こんなにいい天気やないか」「ほかの子たちも遊んどる」。子どもたちには、納得できない。が、仕方なく、教室に入ってトランプを始めた。
10分ほどたったころ、「なんや、きみんた。外は天気ええやないか。こんな天気の日にはお部屋で遊ばんと、外で遊ばないかんやねーか」。また近藤先生だ。子どもたちは訳が分からなくなった。
「何いっとる。先生が入って来い、いうたんやねーか」「むちゃくちゃで相手にできんわ」——子どもたちのブツブツは前より大きくなった。が、出ないとどなられる。「もうどうでもいいわ」とグラウンドに出て、再び野球を始めた。すると、また近藤先生のどなり声。「旗が出とるやねえーか」
子どもたちはやっと気付いた。「旗をしまってもらえばいいんだ」。全員が職員室に向かって駆け出した。「ちょっといびりすぎたかな」。近藤先生はニヤッと笑った。赤い旗は前日の雨の時から出しっぱなしになっていた。
みんなが利益を受けるように、それぞれが少しずつ自由を制限してルールを作る。「赤い旗」の場合、1人がこれを無視すれば、翌日のグラウンドはでこぼこで使えなくなるだろう。だからルールは守らなくてはならない。しかし、そのルールに不都合な点が出て来れば、正しい手続きを踏んで、是正する必要がある「あれはね、私なりの憲法教育のつもりです」と近藤先生。「人権の尊重とか、平和主義とか、頭で憲法を理解することも必要でしょう。だが子どもには憲法の精神を体で覚えてもらいたいと思うのです」
× × ×
6年2組の壁にこんなはり紙があった。「その人のみとめないよび方でよばない」。生徒が自分たちで決めたルールだ。「確かにあの人は太っている。でも、本人が努力しても何ともならん。それをニックネームにするのはかわいそうじゃないか」。そんな配慮からの取り決めだという。
岐阜の言葉に不慣れな方は、「きみんた」という言葉に戸惑われたかもしれない。岐阜で「んた」とは複数形を現す接尾語である。岐阜では子どものことを「こぼ」という。だから「子どもたち」は「こぼんた」という。
半世紀ほど前に書いた記事である。いま書き写しながら
「下手な原稿だな」
と思う。いまならもう少しましな日本語にできるだろう。
だが、この記事には、記者として書かねばならない記事の原点がある。読者に訴えかけたいメッセージである。そして、メッセージとは決して高邁な理論なのではなく、すごくちっぽけに見える事実の中にある。事実を荷車にしてメッセージを乗せて運ぶ。そんな新聞記事を書かなければならないのだ。
私にこの記事を書かせた松本デスクは、こんな話をしていた。
「僕はね、警察の事件なんてどれだけ抜かれてもかまわないと思う。いずれは警察が発表するんだからね。そして、記事には『書かねばならない記事』と『書いてもかまわない記事』『どちらでもいい記事』があると思うんだよ。本当は『書かねばならない記事』だけで紙面を作りたいが、そうもいかない。だから『書いてもかまわない記事』『どちらでもいい記事』も載せる。でも、『書いてはいけない記事』は絶対に載せない。『書いてもかまわない記事』『どちらでもいい記事』は点数でいえば零点さ。それで紙面を埋めながら、時々でもいいから『書かねばならない記事』を書く。そうすれば総合点は絶対にマイナスにならず、プラスが積み上がるだろ?」
私は松本デスクに心から信服した。素晴らしい先輩だった。
なお、この日の憲法特集紙面は、私の書いた「赤い旗」だけでなく、もう一つ憲法にからんだ記事が載った。書いたのは1年後輩の木村伊量君だった。名文家で、私など及びもつかないいい原稿を書いた。
「こいつ、将来は天声人語を書くんじゃないか?」
思っていたが、後に政治部員となり、ついには社長になった。
しかし、木村君は天声人語を書くべきだったといまでも思う。社長としての実績は褒めようがなかったからだ。
朝日新聞は珠玉の原稿を書いたであろう木村君を、こともあろうに社長なんかにしてしまった。当時も経営陣には目明がいなかったのだろうか。惜しいことである。