07.11
私と朝日新聞 岐阜支局の5 拝啓 上松知事ドノ
1978年秋、岐阜県は県の事業に反対する住民を警察を使って排除し、事業を開始した。あらましはこうである。
県は各務原市の木曽川右岸に流域下水道終末処理場の建設を計画した。広域から下水を集め、ここで川に流しても環境問題が起きない程度に汚物を取り除き、水を木曽川に流そうというのである。
いまの暮らしに水洗トイレは必需品で、そのためには下水道がなくてはならない。だから終末処理場の建設はやらねばならない事業である。
しかし、難しいのは終末処理場周辺住民と、その他下水道の恩恵を受ける住民の利害が対立することだ。終末処理場から離れたところに住む住民は大きなメリットを受けるのに、近隣住民にとっては、他の地域の連中が垂れ流した汚物を、なんで俺たちだけが引き受けなくちゃいけないんだ? となる。
その利害を調整するのは行政の役割だ。どうしても下水道が必要なこと、終末処理をするには川のそばが適していること、建設地はいろいろと検討したが、ここ以上に適した場所はなかったこと……。場合によれば、終末処理場周辺地区住民向けに「迷惑料」を何かの形で支給するのもやむを得ないかもしれない、と私は思う。
かつてどこかの知事が、
「1人でも反対する住民がいたら、高速道路は絶対に作らせない」
といって一部から喝采を浴びたが、であれば我々は原始社会に戻らざるを得ない。道路を作れば騒音問題、交通事故が起きる。公園を整備すれば子どもの声がうるさいと近隣から苦情が出る。みんなが少しずつ譲り合うことなしにいまの社会は作ることができない。
しかし、なのだ。岐阜県は、地元を説得できないと見ると実力行使に出た。10月16日、建設予定地に機動隊を導入、抜き打ちのボーリング工事を強行したのである。独裁国家と何が違うのか。
その日、私も建設予定地にいた。抜き打ちとはいえ、地元住民は県の動きを察知していたようである。現場に山ほどの古タイヤを積み上げ、警官隊、工事関係者が姿を見せるとその古タイヤに火を点けた。ゴムが燃える異臭が漂う。モクモクと煙が空に昇って一帯が暗くなる。ああ、行ったことはないが、三里塚の闘争もこんなだったのか、と思える騒然とした騒ぎになった。学生運動を思い起こさせる住民の戦いぶりだった。
翌17日、上松知事は社会党岐阜県本部の委員長らと会い、前日の騒ぎを指摘されて
「現状を凍結して地元と話し合うことにする」
と約束した。それだけならまともなことである。だが、知事の口からはこんな言葉も出た。
「反対しているのは前渡地区だけでしょう。ほかのところは賛成している。早く作ってくれ、といっている」
この言葉を、どこでどういう形で私が聞いたのか、切り抜きを見てもはっきりしない。記者会見で知事がしゃべったのか、あるいは独自に取材したのか。
いずれにしろ、私はこの一言が許せなかった。この知事、民主主義の本質を知らない。
「あんた、知事という職にありながら、そんな杜撰な頭しか持っていないのか?」
これはきちんと記事で糾弾しなければならない。世の中を住みやすくするには絶対に書かねばならない記事だ。でも、どんな記事を書いたらいい?
そんな悶々とした思いを私は抱き続けたようだ。なぜなら、これから紹介する記事が掲載されたのは10月22日、知事の発言から5日もたっているからである。
その記事は
「拝啓、上松知事ドノ」
という見出しがついた。もうひとつ、
「利害の中身をよく考えて」
という見出しもある。
「反対しているのは前渡地区だけでしょう。ほかのところは賛成している。早く造ってくれ、といっている」「話し合いはしましょう。しかし、なかなかまとまらんと思うのです」。17日、県が各務原市に建設を予定している木曽川右岸流域下水道終末処理場の抜き打ちボーリング調査問題で、社会党県本部の渡辺嘉蔵委員長らと会った上松知事、調査の中断は約束したものの、威勢のいい言葉が次々と飛び出した。
確かに、3市10町の汚水を一括処理しようというこの構想に反対しているのは建設予定地周辺だけだ。関係住民に占める反対者の割合は、1%にも満たないのかもしれない。残りの99%は推進派だろう。だからといって、数の力で押し切っていいものだろうか。
考えて欲しい、知事さん。終末処理場の建設でデメリットを受ける恐れのある住民は、その1%なのです。99%は、メリットだけを受ける住民といっていいでしょう。これをまぜ合わせて、「反対はほんの一部」といっていいものでしょうか。それが民主主義でしょうか。
「どうせ話し合いはまとまらない」という発言は、「だから、そのうち機動隊を入れて」とも受け取れます。だが、話し合いとは、デメリットを受ける住民を納得させて、初めて意味のある言葉でしょう。メリットを受ける住民は賛成するに決まってますから。知事の手腕の見せどころですね。
そう、お読み頂いたように、私は知事宛の手紙を原稿にしたのである。それ以外に、私の思いを表現する手立てを考えつかなかったのである。
「松本さん、済みません。例の問題でどうしても書いておきたいことがあり、どう書こうかと考え続けたのですが、こんな原稿しか書けませんでした。これ、手紙文です」
松本デスクは私が渡した原稿をしばらく見ていた。さて、新聞に私信が掲載されていいものか?
しばらく考えていた松本デスクは
「うん、これで行こう!」
と私の原稿を採用してくれた。15字詰めでわずか42行の短い原稿である。
私以前に、手紙文の原稿を提出した記者がいたのかどうか知らない。それが掲載されたかどうかも私の知識にはない。
いまなら、もっと違った原稿が書けるのかもしれない。しかし、あの時は、あの形でしか自分の思いを表現できなかった。未熟さが詰まった原稿である。
しかし、この原稿を読み返しながら
「記者生活を4年もしながら、こんな原稿しか書けなかったのか」
と思いつつ、なんだが胸を張りたくなる原稿でもある。
定型破りの採用してくれた松本デスクへの感謝の思いはいまでも私にある。