07.30
私と朝日新聞 岐阜支局の24 子ども見つけた、の13 黄色い帽子
黄色い帽子
義務化に反対“デモ”
話し合いの末やっと納得
岐阜市岩野田小学校。校下に団地が増え、一時は児童の交通事故が目立った。そこで学校は、52年度から、全児童に黄色い帽子の着用を義務づけた。その直前の話である。
▇「カッコ悪いよ」
モダンな小沼浩子先生(43)の影響か、5年2組の子どもたちはおしゃれだった。「カッコ悪いよ」。黄色い帽子の義務化に反発が出た。
さっそく話し合い。「カッコ悪い」が大勢だ。「制度化はいや」との声も出た。ほぼ全員「反対」。が、どうしようもない。
10日ほどたった。20分放課の時、2組の子ども16人が職員室へ向かった。「黄色い帽子反対」。段ボールのプラカードも見える。「校長先生か教頭先生はみえますか」。村上実教頭(52)が出て来た。
話し合いの後、「有志」16人は周到な準備をしていた。「校長先生か教頭先生に反対を訴えよう」「何人で行こう」「どう話せばわかってもらえるか」。知恵を絞った。
「黄色い帽子のことでお話しがあるのですが」。緊張のためか、震えている子もいる。
「帽子を買ったばかりです。それでも必要ですか」
「黄色い帽子をかぶるだけで事故が減るとは思えません」
「一方的な制度化には納得できません」
泣きながら訴える子もいる。村上教頭は説明した。
「いまのは家でかぶったら」
「黄色い帽子をかぶって、お互いに気をつけるんだ」
「押しつけるんじゃない。事故を減らすんだ」
始業のチャイムが鳴った。納得しないまま、みな教室へ戻った。
2日後、風邪で休んでいた小沼先生が出て来た。子どもたちの行動は初耳だった。
▇訴えた方法は反省
2時間かけて子どもたちと話し合った。「話を聞いてびっくりしたけど、教頭先生にちゃんと意見がいえたのは偉かったね。でも、やり方はどうだったかな」。問いかけてみた。
「プラカードはまずかった」「みんなで行かず、代表を出せばよかった」。方法は反省した。でも、黄色い帽子は、やっぱりいやだ、という。「どうしたらいいと思う?」。返事はない。
「先生も、みんな同じ帽子をかぶるのは好きじゃない。でも、職員会議では反対しなかった。代案がないのよ。私、免許とりたてだけど、黄色い帽子の方が良く目につくのよね」。みんな、それぞれにうなずいた。やっと納得したようだ。
4月、みんな忘れずに黄色い帽子をかぶってきた。
▇数で押し切る前に
昨秋、文化祭の企画をめぐって、1年4組は意見が割れた。大多数は「お化け屋敷」。「原爆展」を主張する香織君を含めて、反対は数人。議長が採決しようとした。
「待って欲しい」。香織君が立った。「少数だけど反対がある。その意見も聞いてほしい。数で押し切るのは民主主義じゃない」。そして説得を始めた。
「お化け屋敷は驚かせるだけだ。原爆は違う。生きた資料が集まるから、人に訴えることができる。ぼくたちも、ずいぶん得るものがあるはずだ……」。香織君支持が3分の2に増えた。
文化祭当日、700人近い人が原爆展会場を訪れた。3年2組の「アニメの世界」に次ぐ人気。
香織君は、あのときの16人の1人である。
✖️ ✖️ ✖️
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。(教育基本法より)
「学校で、子どもが民主主義のすばらしさを味わうことがありますか。みんなで何とかしようとすると、担任につぶされる。児童会や生徒会の決議は、職員会議でひっくりかえされる。教師や学校の都合、体面が優先してね。子どもは話し合いに無力感を持って卒業する。話し合って結論を出す努力がばかばかしくなって、暴力に訴えたり、順能型の大人になっても仕方がないよね」。県下のある高校教師の話。
県下のある小学校で、35人の6年生に「民主主義」を説明させた。30人が「テレビや新聞でよく見るが、意味はわかりません」。5人は、「多数決で物事を進めていくこと」と答えた。(1979年1月15日)
この原稿、欠陥を抱えている。
1つ目。「カッコ悪いよ」の中に、「話し合いの後」というフレーズが出てくるが、教頭先生と子どもたちの話し合いの後、とも読める。これは、10日ほど前の「話し合い」と理解しないと、意味が通じない。
2つ目。「数で押し切る前に」で、突然「1年4組」が出て来る。読み進めると、小学1年生とは思えない論理展開である。私も読み進めながら戸惑った。
ここは、子どもたちが成長して入った中学の話である。それは香織君が16人の1人だったことで明らかだが、書き方がまずい、謝罪ものである。
というわで、「子ども見つけた」の連載は、これで終わり。
時代とは、前に進むものだと思っていたが、半世紀ほど前にルポした学校の現場から、現在は進化しているのだろうか。12本の記事が、ひょっとしたら今でも「読み応えがある」記事になっていないか? 今の教育現場に、不安を覚える私である。
後日譚を書き加える。
この連載は社内の賞をもらった。ところが、もっと上のランクの賞を、名古屋社会部の正月企画が受けた。テーマは同じ「教育」だった。
こちらも、教育をテーマに正月企画をやった。だから、社会部が書いた記事もすべて読んだ。その結果、
「さすがベテラン記者揃いの社会部がやった連載は、中身が充実している」
とは思わなかった。
「これなら、俺たちがやった連載の方が上だ」
と思った。
同じテーマで、ベテラン揃いの社会部と、若者=馬鹿者ぞろいの支局が競った。まあ、ベテラン勢に花を持たせるしかなかったのか、と了解した。
なお、これまで紹介した12本の記事は、私と、パートナーだった松田さんの合作である。今となっては、どの記事を私が書いたのかは、漬物ステーキの高山の記事を除いてはわからない。
1回目の記事、「乗車拒否」は、私がメインの企画だったから私が書いたのだと思うが、書き写しながら
「これ、俺が書いたのかなあ?」
と首をひねる体たらくである。
年は取りたくないものだ。