08.01
私と朝日新聞 岐阜支局の26 ゆりかご幼稚園
岐阜に転勤した1978年4月、長男が幼稚園入園の年齢に達した。その2歳下には長女がおり、子どもの成長、妻女殿の負担軽減、両方の目的から、長男を3年保育の幼稚園に通わせることにした。
来たばかりで全く様子がわからない岐阜市での幼稚園探しである。しかも、今のようにインターネットで評判を検索できる時代でもない。どうやって選んだのかは記憶にないが、長男は幼稚園生となった。多分、行き当たりばったりだったのだろう。
記憶に残るのは、幼稚園の運動会である。こちらは子どもが可愛いから、妻女殿、長女を伴って運動会見物に出かけた。そこで初めて気が付いたが、これはとんでもないマンモス幼稚園である。園児数が極めて多い。それだけ評判のいいい幼稚園だから、園児数が多いのかもしれないが、
「この園児数で、我が愛する息子はちゃんと面倒を見て貰っているのか?」
と思いたくなるマンモスぶりである。
そして、運動会の来賓に、県会議員だったか市議会議員だったか記憶が曖昧だが、政治家が招かれていた。
「おいおい、幼稚園の運動会に、なんで議員さんが来るの?」
違和感が膨らんだ。挙げ句、その議員さんが代わる代わる挨拶に立つではないか。
議員さんは政治家である。あらゆる機会を捉えて顔を売りたいのはわかる。票田は耕さなければ不毛の土地となる。木から落ちてもサルはサルだが、選挙に落ちれば政治家は政治家ではいられない。
しかし、幼稚園にとってのメリットは何か? ひょっとして、そんな政治家と癒着して補助金をせしめているのか?
いずれにしても、園児とも、園児の父兄とも全く関係がないところで「来賓」が招かれている。親である私たちは愛する子どもの活躍ぶり、成長ぶりを見たくて来ているのだ。つまらぬ政治家の自画自賛を聞きに来ているのではない。不愉快になった。
新聞記者とはそんな発想をする人種である。ああ、愛する長男を、こんな幼稚園に預けてしまったのか?
そんな後悔に捕らわれているときだった。私はある幼稚園に出会う。これも、近藤先生の紹介だったかもしれない。
「ゆりかご幼稚園」といった。私が書いた記事の見出しを拾うと、
「豊かな可能性を大切に 字も数字も教えない 子どもの発想育てる 平屋造りで亀形構造」
の幼稚園である。
何よりも、その教育理念に惹かれた。
「小学校にも入らないうちに何かを教え込むなんて、子どもの生き生きした発想を抑えて、可能性の芽を摘んでしまう」
いまは幼稚園児に英語教育をすることを武器にして園児集めをする幼稚園があとを絶たない。しかし、教育とは一方的に詰め込むものなのか? 子ども大切にするとは、子どもを鋳型に流し込むことなのか?
大人が求める子ども像はそうなのかもしれない。しかし、子どもを鋳型に入れ続ければ、結局は現状維持である。いや、縮小再生産になる恐れすらある。それで未来が開けるか?
多分、私はそんな感覚を持っていたのだと思う。長男を転園させたのである。マンモス幼稚園から「ゆりかご幼稚園」へ。親の子どもへの愛情として、できるだけ好ましい生育環境に子どもを置きたいではないか。
ゆりかご幼稚園は木造だった。
「コンクリートの冷たい感じはいやでしょ。子どもには木の温かみを知ってもらわねば」
とは、園長さんの言葉だった。
亀のような構造にしたのも、1つの思想である。亀の甲羅にあたる部分がホール。園児が集う教室は、この甲羅から出る4本の足の先にある。
「教室で話していて、子どもが体で表現にしたくなったとき、すぐにホールを使えるでしょ?」
情操教育もユニークだ。お絵かきの時間。先生は絶対にお手本を示さない。すべて子どもにまかせる。
ある子は消防車を描くという。画用紙にグルグル線を引き始めた。どうやら、消防車が走り回っているらしい。最後に、
「燃えてまったーぁ」
赤で塗りつぶした。先生は
「それでいいんです。発想を型にはめてしまうと、それだけの子になってしまいます」
とにかく、教えない
「小さいころから詰め込んでいては、これから伸びなきゃ、っていう時までに子どもは燃えつきますよ」
その代わり、読書指導には力を入れる。毎週1回、本の貸出日があり、先生が子どもたちに本を売り込む。
「この本、面白いよ−」
子どもたちは気に入った本を落ち帰り、両親に読んで貰うのだ。
園で使うクッションも、デザインは子ども任せ。園で生地と、様々な形、色の布きれを用意する。子どもたちは生地に思い思いの布きれをカットして張り付ける。自宅に持ち帰って、両親に縫い付けて貰うのである。世界で唯一のクッションが誕生する。
子どもの個性をつぶさない。子どもらしい発想を応援する。子どもが自力で成長できることを信じ続ける。
いかがだろう? 私はこの教育方針に目が醒める思いを抱いたのだ。
この原稿を書くために、「岐阜 ゆりかご幼稚園」で検索してみた。出て来ない。私が取材した頃も、塾化する幼稚園に押されて園児が減っているという話だった。ひょっとしたら時代の波に飲み込まれてしまったか。
時代がますます劣化しているような気がする。
私の長男は、ゆりかご幼稚園に2年半通うはずだった。ところが、それから半年後、私に転勤命令が下った。
「えっ!」
と思ったが、サラリーマンには会社の命令は絶対である。泣く泣く、たった半年でこの素晴らしい幼稚園に別れを告げた。
そういえば、長男は小学校に入学する直前まで、字が読めなかったらしい。ゆりかご幼稚園には半年しか通わず、その後は名古屋市の市立幼稚園に入ったから、何も教えないゆりかご幼稚園の教育方針のせいではあるまい。
入学が目前に迫ったころ、妻女殿が大わらわでひらがなを教え、何とか間に合ったという話は、後に聞いて知った。
いま長男は、もう50歳に近い。議論をすると、私がやり込められることもある。ヤツはヤツなりに、成長してきた。半年で幼稚園を変えたことがどれほど役に立ったのかは、分かるはずもないが、我が息子も
「いい大人になった」
と思う私は、多分、老いを自覚しつつあるのだと思う。