08.02
私と朝日新聞 岐阜支局の27 無理編にげんこつ
岐阜支局の上司の話を書き留めておきたい。
支局長は足立健夫さんといった。私たちは「健夫」を「たけお」とは読まず、「けんぷ」と読んだ。それだけ支局員に愛された支局長だった。
ふだんはボーッとしている。いったい、この人は何を考えているだろう。原稿の采配は、デスクの松本さん任せである。自分で支局員の原稿を見るのは、松本さんの休日を除けばほとんどない。松本さんがいる日は、相変わらずボーッとしている。
聞けば、足立支局長は司法記者として、名古屋本社では名高いのだという。司法記者とは、主に裁判を担当する記者である。法廷に日参し、様々な裁判の進行過程をメモし、記事にし、ほかの資料をを探索して裁判を報じる。
「へーっ、このボーッとした人が、有能な司法記者?」
そんな思いが拭えなかった。いったい、この支局長は何者なのか?
支局にいる朝日新聞記者は、マイカーが取材の足である。本社と呼ばれるとこところに行くと、タクシー、ハイヤーが使い放題になって、取材にマイカーを使うことはない。
だから、支局ではガソリン代は会社持ちである。ただ、マイカーだから私用にも使う。そのため、毎月ガソリン代を会社に請求する時は領収書をそろえ、総額の9割を会社負担とする。津支局時代に教わった会社の慣例である。
その日は、岐阜支局に赴任して最初のガソリン代請求の事務仕事を始めようと机上に領収書を並べていたから、1978年の4月のことである。
「大道君、ガソリン代の精算かね」
頭の上から足立支局長の声が降ってきた。
「はい。毎月面倒ですよね」
何の気なしの返事だった。支局長が思わぬ事をいった。
「それ、俺がやっておくから、領収書を全部渡しなさい。これにはコツがあってね。チョイチョイと手を加えると、全部会社負担にできるんだ」
? 支局長が、支局員の精算をやってくれる? それにも驚いたが、もっと驚いたのはガソリン代を全部会社持ちに出来るということだった。
「えっ、どうやるんですか?」
「いいから、俺にまかせろよ」
本当に領収書を全部自分の机に持ち去り、電卓片手に作業を始めた。その月、本当にガソリン代全額が私に届いた。以後、支局長は毎月、請求事務を肩代わりしてくれ、私は10割のガソリン代を受け取った。驚いた支局長である。
津時代は違った。毎月ガソリン代の9割を毎月自分で会社に請求する。
そんな作業をしていたある日、
「大道、ちょっと来い」
と支局長の声が聞こえた。何だろう? 最近は失敗もしていないはずだが。
「大道、お前はこの間京都に遊びに行ったよな。あれ、車で行ったんだろ?」
何、それ。休日に車でどこへ行こうと私の勝手だろう。それとも、土産を買ってこなかったとでも嫌みを言うのか?
「このガソリン代の請求だが、京都往復のガソリンはさっ引いてあるのか? 京都まで往復したんだから、9割じゃなくて8割とか7割とかにすべきだろうが」
企業においては、上司は無理編にげんこつと書く。逆らってはいけない。加えて私は素直で従順な人間である。
だが、この時はカッとした。こいつ、何考えてるんだ?
「お言葉ですが」
と言葉はあくまで柔らかく。
「じゃあ、一度も私用に車を使わなかった月は10割請求していいんですか? 9割請求とは、私用に多く使う月、全く使わない月というバラツキがあって、経験知としておおむね9割を社用に使っているという判断から出た数字ではないのですか? そうでなければ車の距離計を毎日チェックして、社用〇〇㎞、私用〇〇㎞と数字を出し、社用に何割使ったかを計算して請求することになります。そうしろとおっしゃるのですか?」
理路整然とした反論に、支局長は一言もなかった。私は意気揚々と自分の席に戻り、以後、この支局長を軽蔑した。コストを削ることしか頭にない経理屋は、取材の第一線に身を置くべきではない。
朝日新聞にタクシーチケットなるものがあることを知ったのも岐阜時代である。時折、みんなで酒を飲む。すると足立支局長が
「飲酒運転はいけないから、これで帰れよ」
とタクシーチケットなるものをくれた。初めてチケットをもらった時、
「これ、どうやって使うんですか?」
とお尋ねする世間知らずの私であった。
それも仕方がない。津支局ではタクシーチケットなんぞ見たことも触ったこともなく、世の中にそんなものがあることすら知らなかったのだ。だから酒を飲んでも、合法・違法、あらゆる手段を自分で見出して帰宅するしかなかった。
要は、上司にはいい人と悪い人がいるということである。悪い上司にあたったら、ジッと我慢するしかない。いつかはどちらかがいなくなるのである。その間の我慢ならなんとかできるはずである。
岐阜にいた間に、私は車を乗り換えた。一度書いた記憶があるが、必要あってまた繰り返す。
津時代から乗り継いだのはトヨタ・カリーナ1600STの中古車だった。ある日、この車で出かけた取材先で、
「なんというバカな車に乗っている。車はフォルクス・ワーゲンのビートルだよ。車に込められた思想が全く違う」
と説得されて6年落ちの中古ビートルを買った。確か、95万円もの大枚をはたいた。
なるほど快適な車で、運転がすっかり楽しくなった。それを見た松本デスクが
「大道君、君の車を見ていたら、ボクも同じ車がほしくなった。君が買ったところを紹介してくれないかな」
と言い出したのである。私が買ったところ、それはその取材先に
「ここに行け」
といわれた町の整備工場だった。もとヤナセの整備工だったと聞いた。
それからしばらくすると、松本デスクは黄色いビートルで通勤し始めた。
「いいよねえ、これ。空冷エンジンの音が何とも言えないほどいい。ほら、長良川沿いに金華山の下の道を走るだろ。そうすると、あのバタバタと言う音が山にこだまして戻って来る。本当に楽しいんだわ」
私は、こんな支局長、デスクの下で伸び伸びと働いた。ひょっとしたら、長い記者生活の中でもあの時代ほど楽しかったことはなかったかもしれない。