08.06
私と朝日新聞 名古屋本社経済部の3 東海のくらし
私が書くことになった生活情報は「東海のくらし」といった。毎週月曜日の朝刊に掲載された。野菜、果物、鮮魚、肉・卵について、その週の価格見通しを書く。
食料価格の予想? そんなこと、駆け出し経済記者の私に分かるはずがない。そもそも、そんなものを自分で買ったことなど皆無に近いのだ。いまの店頭価格を知らないのに、見通しなんか立つはずがない。
いや、ベテランの経済記者だって、
「今週、ダイコンはいくらぐらいで店頭に並びますかね?」
と聞かれて答えることが出来るはずはない。価格が決まる現場とは縁遠い生活をしているのだから、やむを得ないことである。
では、どうするのか。現場にいて、その見通しを立てることで暮らしを成り立たせている人に聞くのである。それを「取材」という。何のことはない。記者とは、人様の知識、見識、経験、研究、分析などの上前をはねて、あたかもすべてに通じているかのような振る舞いをする人種なのである。
あ、もちろん、時には自分で考え、分析することもあるが。
現場に聞く。
「もしもし、朝日新聞ですが、いつもお世話になります。ええ、はい、暑いですねえ。私はエアコンの効いた部屋から電話を差し上げているのですが、市場にはエアコンはなかったし、そちらは大変でしょう。ところで、来週の見通しですが、トマトの価格は……」
そんな電話を4箇所にかけるのである。そして、時には足を運んで face to face で、やっぱり同じことを聞く。電話でしか問い合わせてこないヤツより、時には顔を見せる相手に対する方が口は開くだろう、と思ってのことである。人間関係の基礎は face to face なのだ。
名古屋経済部に転勤した当初は、ひたすら質問することしかできなかった。しばらくこの仕事を続けると、そこそこ会話術が身につく。
「台風が接近しいてますねえ。漁業に影響はないですか? ああ、やっぱりそっち方面の漁には出られない。そうすれば、〇〇や▽▽は値上がりしそうですね」
「何だが気候が不順ですよね。雨が多すぎる。これ、野菜の生育にも響いていませんか? ああ、やっぱりキャベツの生育が良くない。で、市場に入ってくる産地が変わった。なるほど」
そんなちょっとした会話の妙で、取材先の返答が変わる。あれ、こいつ、自分でも何かを調べているのか? 価格見通しを考えているのか? と思ってもらえれば大成功なのだ。
こうして私は毎週1回、縦27.5㎝、横9.5㎝ほどの記事を書き続けた。例えば1979年9月3日の紙面には、こんなことを書いた。
【野菜】
8月の末から、急に涼しくなった。つい先日までの暑さが嘘のようだ。特に夜、裸で寝たりすると、覿面に風邪をひく。
果菜類の値が上がった。夜間温度が下がったのが原因。トマトは色づきが遅れ、卸しで4㎏1000円前後と、一週間前のざっと倍。ナスも生長が悪くなり、卸10㎏が3000円と、これは倍以上の値上がりだ。キュウリは値動きがなかったが、これも今週は上がりそうだ。
鳥取産の長イモが入り始めた。鹿児島産、宮崎産のサトイモも入荷が増え、地物では、ホウレンソウの出荷が始まった。北海道からトウモロコシも届くようになり、八百屋さんの店頭は、もう秋。
【果物】
岐阜、宮崎から、栗が入荷している。今のところ、卸で1㎏1000円前後だが、今週は700円ぐらいまで安くなりそうだ。ことしは作柄はあまり良くないが、加工品の需要が少なく、値段は例年並みに落ち着きそう。
リンゴは、長野産の「つがる」の入荷が本格化する。ことしは「うまい」「一味足りない」と評価がわかれているが、市場での人気は高く、いいもので卸10㎏が6000—6500円。平均で3500—3800円と、やや高い。今週末からは「スターキング」「デリシャス」の入荷も期待される。こちらは豊作で、お手ごろの価格になりそうだ。
【鮮魚】
八戸の近くでサバがとれ始めた。秋の訪れにつれて北海道から南に下がって来るのだが、ことしは1週間から10日早い。紀州方面のものと違って脂が乗っており、うまい。市場では、500g前後のものが1匹140—150円。700gまでの中型で70—80円、350g以下の小型だと、30—40円で取引されている。
タチウオは、淡路島—和歌山方面のものが入っている。1匹400—500gのものが卸1㎏500—600円と、安くなって来た。数は少ないが、福井、石川方面からは1匹1㎏もある大きなものが入っている。値は張るが、これだと刺身にもできる。
【肉・卵】
卵がいま、高い。先週末には、M 級で卸1㎏270円ほどになったし、今週も250円以下には下がりそうにない。夏場の産み疲れもあるが、「強制換羽の影響もありそうだ」と市場関係者は見る。強制換羽とは1週間ほどエサをやらず、羽をはえかえさせることで、こうするとニワトリが若返り、産卵率が高まる。ただ、1か月ほどは卵を産まない期間がある。それがこの時期にぶつかった、というわけだ。10日すぎには、また安くなるという観測も。
逆に、ブタは安くなっており、今週は上物枝肉の卸1㎏が600円を割りそう。肉の消費が牛肉に偏っているためだ。
こんな文章に、野菜、果物、鮮魚、肉、卵の代表的なもの20種類の予想価格表がつく。ちょうど1年前の実際価格もついているから、1年間の価格の上がり下がりが分かる。
それにしても、である。これだけの文章に季節感があり、刻々と変わる産地の情報があり、味の評価もあれば食べ方の指導もある。聞き慣れない「強制換羽」という言葉の解説まであって、
「1週間エサをやらないと、ニワトリが若返る? そうか、断食療法に取り組む人がいるが、その源はニワトリの強制換羽にあったか」
などということまで伝えている。自分で書いたものながら、なかなかのものである。
しかし、だ。こんな記事を読んで1週間の買い物計画を立てる生活人が本当にいるのだろうか? この記事を読んだ人はいったい何人いたのか?
当時、名古屋本社管内(愛知、岐阜県と、三重県の半分)の朝日新聞発行部数は50万部少々だった。読んでくれた人、10人もいたのだろうか?
私が読者なら、すっ飛ばして読まない記事だもんなあ。
新聞記者にはそんな仕事もあるのである。