08.21
私と朝日新聞 名古屋本社経済部の18 ブランデーに酔い痴れてしまった
新聞記者は足で稼ぐ、といわれる。机の前に座っていてもネタは集まらない。とにかく歩く。歩いて人に会う。それが記者の「A」であり「Z」である、という教えである。
私は工販合併の取材でずいぶん歩いたはずだ。人に会ったはずだ。それでも成果はゼロである。
あの広報課長さんも社内で気が付いたことは逐一教えてくれた。情報交換もした。しかし、いくら外に向けた会社の窓の役割を果たす広報課長とはいえ、所詮は課長である。会社の大方針に関与できる立場ではない。上が決めたことを外に向かって発信するのが仕事なのだ。工販合併のような会社の大方針は、まずは代表権を持つ人の頭にあり、役員会で決定され、その後でしか広報には降りてこないものである。
無駄に次ぐ無駄。そんな毎日の取材をしていると、何となく空気感が分かってくる。そう、取材先は何も認めず、ただ
「分かれているメリットがあるから別れている」
「いまは工販合併は考えていない」
と繰り返すばかりなのだが、
「やっぱり、工販合併はありそうだ」
という感じが日々強まるのである。私が勝手に思い込んでいるだけかも知れないが、どうしたらこのネタをモノにできる? という思いが日々強まる。が、名案などない。ただコツコツと夜回りを続けるだけである。
回っていると、いろいろなことが起きる。あるトヨタ自動車工業の役員さんを訪ねたおりの話である。
応接間に通された。多少の雑談の後、
「合併なんですが……」
と切り出すと、
「まあ、それもいいけど、あなた、ちょうどいい時に来た。ちょっといいブランデーがあるんだが、付き合ってくれませんか」
出て来たのは、確か「ルイ13世」である。一目で高価なものだな、思わせる瓶に入っていた。いまネットで検索すると、121万円とか、40万7000円とかいうべらぼうな価格がついている。高そうだ、と見た私の目は曇ってはいなかった。
酒。好きである。ブランデーグラスに注がれた「ルイ13世」を口に運んだ。
「…………」
言葉にならないほど美味だった。味に酔い痴れたといってもいい。その瞬間、私は工販合併の取材を忘れた。
「いやあ、ホントに美味しいブランデーですね。こんないい酒、飲んだことがありません」
それから1時間近く、ブランデーグラスを傾けながら、酒談義ばかりの取材となってしまった。
私の住まいのすぐ近くに、トヨタ自動車工業の広報部長が住んでいた。そこも夜回り先の1つだった。彼はいろいろな話をしてくれた。
「大道さんね、あなたは、いや朝日の記者さんは、私たちがご馳走すると必ずご馳走し返してくれる」
「いや、たいしたお返しは出来ていませんけど」
「それはいいんです。私たちは社費でご馳走していますから。でもね、ご馳走し返してくれる記者さんって、実は朝日さんと日経さんだけなんですよ。ほかはご馳走しっぱなし」
なるほど。会社によって記者にも色々あるということか。しかし、読売、毎日以下、お返ししないで済ましている記者って、記者と取材先の関係をどう考えているんだろう?
「私があなたと一緒にバーで飲んでいるとします。そこにほかの社の記者が来た。どうすると思います?」
さて、どうするのだろう。
「毎日、読売、日経の記者だったら、そのままあなたの隣で飲んでいます。入ってきた記者さんにはあいさつぐらいしますが。もし私が席を立ってその記者と短い時間でも酒を酌み交わしたら、あなたがいやな思いをするでしょ? だから、絶対に席は立たない」
いや、別に気を悪くしたりはしませんけどね。
「でも、その4社以外の記者だったら、5分でも10分でもその記者の席にいって飲んできます。4社以外の記者だったら、私が席を立ってもあなたは気を悪くしないはずだ。そしてその記者は、朝日さんとの席を立って自分のところに来てくれた、と喜ぶはずです」
ふむ、広報を担当すると心理学も実践しなければならないのか。
「大道さん、うちの息子が新聞記者になろうかな、って言い出したよ」
「そうですか。新聞記者はいい仕事だと思いますよ。是非勧めて下さい」
「ほら、我が家は狭いでしょう。だから、あなたがおいでになって私と話している内容は筒抜けなんです。それで筒抜けになって聞こえてくるあなたの話を聞いていて、新聞記者に憧れたらしいんですよ」
ん、俺、どんな話をしたんだっけ? 私の話を聞いて記者に憧れるなんて、うむ、何だか照れくさいなあ……。
そんなことを繰り返しているうちに、カレンダーは12月に入った。相変わらず、回っても回っても
「分かれているメリットがあるから別れている」
「いまは工販合併は考えていない」
という話しか聞けない。この取材、やっぱり私には無理なのか? だんだん心細くなってきた。