09.13
私と朝日新聞 東京経済部の13 お上意識
土地・住宅問題に関わる記事を沢山書いたからだろうか、住宅局の官僚諸氏とはすっかり仲良くなった。廊下トンビをしていても気が楽である。
「大道さん、ちょうどいいところに来た。ちょっと寄って行きなさいよ」
と声がかかったのはとある夕暮れ時である。目の前に懸案がない課は、執務時間が終わると酒盛りを始めることがよくあった。私に声をかけたのはちょうど酒盛りを始めたばかりの課だった。
「どうしたの?」
ずかずかと部屋に入る。
「ねえ、下町のナポレオン、って知ってる? これこれ、これが下町のナポレオン。私たち、いまちょうど飲み始めたばかりなんですよ。大道さんもどうです?」
ナポレオン? 高級ブランデーのナポレオンなら知っているが、下町のナポレオン? パリにも下町と呼ばれる地区があって、そこで飲まれている酒?
数人の課員が囲んでいる応接テーブルに近寄った。取材の際はここに座って話を聞く。今日はそのテーブルにグラスと透明な瓶に入った酒が置いてある。これが「下町のナポレオン」なのだろう。
「ま、一杯どうぞ」
新しいグラスに酒が注がれる。ブランデーなら琥珀色だが、こいつは透明だ。口に含む。
「あれ、これ、ソフトで飲みやすいねえ。美味いわ」
「そうでしょ?」
透明な瓶を取り上げた。ラベルを読む。「いいちこ」。知らない酒だ。
「これ、最近出た焼酎なんですよ。しかし、これまでの焼酎みたいなクセがない。しかもそれほど高くない。これなら安月給の我々にも飲める、というんで下町の高級酒、『下町のナポレオン』って呼ばれてるんです」
ふむ。知識が1つ増えた。世間知が増えたわけだから、これも取材か?
テーブルにはつまみとして乾き物が置いてあったはずだ。酒が進む。
「あ、ごめん。俺、いっぱい飲んじゃったのかなあ。もう残り少なくなっちゃたよ」
「いいですよ、まだ買い置きがありますから」
全員がほろ酔い加減になるころ、お腹もすいてくる。
「ねえ、飯食いに行く?」
「いいですね。行きましょう」
取材とはいつもしかめっ面をして難しい質問を繰り返すだけではない。こうしたface to faceの、お互いアルコールで口を軽くしての付き合いが取材を下支えする。
そのうち、
「大道さん、ちょっと相談があるんですが」
という声もかかった。
「いまねえ、〇〇についての政策を立案してるんですが、なかなかいい知恵が出ないんですよ。何かいい考えはありませんか?」
えっ、私が俊才揃いと言われる霞が関官僚から相談される? しかも新政策!?
が、私は所詮新聞記者である。そんな知恵など持ち合わせているはずがない。俊才が考え出したことの上前をはねて記事にするのが仕事である。
「私に聞いたってダメですよ。でも、官庁に知恵がないのなら民間から借りてはどうですか。あなたたちがやろうとしていることはできるだけ多くの人が家を持てるようにすることでしょう。住宅が売れれば民間の住宅メーカーにとってもメリットがある。だから彼らは日頃から必死になって、国にはこうして欲しい、ああしてくれたらと考えてるから、きっと喜んで協力してくれると思うけど」
「なるほど。それはそうですよね。ありがとうございました」
それからしばらくしてのことだ。
「大道さん、先日はありがとうございました」
と、先日の官僚氏に頭を下げられた。
「あ、話は聞けましたか? 役に立った?」
「ええ、大変参考になりました」
少しはお役に立ったらしい。
「ところで」
と私は言葉を継いだ。
「まさか、役所風を吹かせて役所に呼びつけたんじゃないんでしょうね? 知恵を借りるのならこちらから出向くのが礼儀というものですが」
「分かってますよ、そんなこと。ここに呼びつけたりはしません。〇〇にある建設省の分室まで来てもらったんです」
普通、それは「呼びつける」という行為と解釈される。
「あなたね、私は知恵を借りるんなら相手の会社まで足を運ぶのが礼儀だといったはずですよ。建設省の分室まで来てくれなんて、それは呼びつけているんだと思うけど」
とたしなめたはずである。
通産省はアイデア官庁とも呼ばれていた。予算額はたいしたことがなく、専ら知恵で産業育成、経済外交を取り仕切るからだ。それに対して建設省は公共事業の巨大な予算を抱える事業官庁である。豊富な金を民間に分け与えるからどうしても
お上意識
が抜けないらしい。
その建設省は運輸省、国土庁と一緒になって国土交通省になった。お上意識はどうなっただろう? ますます大きな役所になって、お上意識がそれとともに膨れあがっていなければ幸いである。