09.27
私と朝日新聞 北海道報道部の8 厳冬の峠道
あれは選挙の取材だった。季節は真冬。厳寒期の2月だったと思う。私は池田ワインで有名な池田町に取材に行く必要ができた。取材先に電話を入れる。明日の朝来てくれという。よかった。締め切りに間に合いそうだ。
時計を見る。すでに午後3時半である。であれば今日のうちに帯広まで行き、そこで一泊して翌朝池田町まで足を伸ばそう。この季節である。鉄道を使うしかなかろう。
時刻表を調べた。何時の列車に乗ればいいか。
ん? ないぞ。この時間だと、帯広行きの列車はもうないぞ! 明日の朝一の列車では、約束の時間に間に合わない。といって、この取材をしなければ記事が書けない。どうする?
しばし考えて、決めた。仕方がない。自分の車で行こう。それしか方法がない。
すぐに自宅に戻り、1泊用の旅支度をしてマイカーの運転席に座った。当時のマイカーはフォルクスワーゲン・ゴルフである。履いていたいのはミシュランのスタッドレスタイヤ。まだスパイクタイヤが規制される前で、冬用にスパイクタイヤを買おうと訪れたカー用品店で
「スパイクタイヤはやめて下さい」
と説得された。
「スタッドレスじゃ危ないだろう」
といったが、
「この、ミシュランなら大丈夫です」
と押し切られて買った。買ったものの、
「スパイクだったら路面の氷に突き刺さって安全度が高いだろうが、ゴムで本当に大丈夫なのか?」
と半信半疑で使っていた代物だ。
札幌から帯広へ行くには日高方面から入ろうと、富良野方面に道を辿ろうと、峠を越えなければならない。札幌を出たのが午後4時半ごろである。日高方面の道を選んだ。峠に差し掛かるのは午後7時頃だろう。もう真っ暗な時間帯だ。天気はどうだ? と思っても、今のようにテレビのデータ放送はないし、スマホのお天気アプリもない。いってみれば、天気は運任せである。冬の北海道では毎年、雪の吹きだまりで車が動けなくなって死ぬ人がいるのに……。
それに、である。都市部の道路はそれなりに除雪されているだろうが、山間部の道はどうだろう? 積雪はどれぐらいか? 路面は氷で覆われてはいないか? スタッドレスタイヤで本当に走れるのか? 曲がれるのか? 止まれるのか?
心配し始めれば、止めどなく心配事が出てくる。しかし、私は走り出したのだ。走らなければ取材が出来ないのだ。
とうとう山道にかかった。慎重に車を進める。時速は40㎞程だ。スタッドレスで50㎞出すのは怖い。そして急ハンドルは御法度だ。そんなことをしたら車がスピンして取り返しがつかなくなる。私はまだ死にたくない。
車通りは少ない。慎重の上にも慎重に運転する私の車のバックミラーに、時折後続車のヘッドライトが写る。やがて乗用車、大型トラックが私の車を抜いていく。ちくしょー、あいつらスパイクタイヤを履いてるんだな。俺もスパイクにしておけばよかった……。
いや、本当に怖かった。幸い、一度もスリップすることもなく、帯広の町に入ったのは午後8時を回ったころだった。
翌日、池田町での取材を終えた私は、今度は富良野方面に峠を越えることにした。今度は日中である。それなりに車通りも多い。昨夜のような心細さはない。やがて峠を抜け、富良野を通り越して国道12号に出た。あとは札幌まで一直線である。
私は中央線寄りの車線を走った。冬の北海道の道である。路面は凍り付いている。それでも時速50㎞程度は出していたと思う。
突然、前の車のストップライトが点灯した。その車の先を見通しても、車の姿はない。
「あれ、なんでブレーキを踏むの?」
そう思った分だけ、判断が遅れた。前の車はブレーキを踏み、それから右折のウインカーを出したのである。
「えっ、右折するのかよ」
私は思わずブレーキを踏んだ。その瞬間、車が滑り出した。ツルツルの路面状を滑走し始めた。ヤバい!
私を助けてくれたのは、凍った路面ゆえに車間距離を100mほど取っていたこと、車が真っ直ぐ滑ってくれたこと(恐らく、全体のバランスがきちんととれていたのだろう)、それに、直ちにブレーキから足を離し、ポンピングブレーキを始めたことの3点だった。
「危ない、危ない」
その後も慎重にハンドルを持ち、無事に札幌に帰り着いて記事を書いた私だった。
北海道の冬は自然との闘いである。新聞記者も、時には命がけで取材することもあるのである。