09.28
私と朝日新聞 北海道報道部の9 「お車代」を押しつけられた話
まだ道庁担当だったから、札幌赴任から半年もたっていない時のことである。北海道の自民党が集会を開いた。そんなもの、記事になるはずはないのだが、なぜか記者クラブに案内が来た。記者席を用意しているので来て欲しいと書いてある。無視することも考えたが、不規則発言が出たり事件が起きることもありうると思い直し、同じ道庁担当の若手と2人、会場に向かった。
入口で社名と個人名を確認された。名簿に掲載されていることを確認すると、
「どうぞ」
と会場に案内された。ことはそのとき起きた。
「これをお持ち下さい」
と封筒を渡されたのである。
A4の封筒なら、何らかの資料が入っていることも考えられるので素直に受け取っただろう。ところが差し出された封筒は縦に長い、便せんを4つおりにして入れる状袋だった。こんなものに史料を入れるはずはない。まさか、私宛のラブレターが入っているはずもない。いやな感じがした。
「これ、何ですか?」
と私は聞いた。
「はい、わざわざおいでいただき、こんな時間(集会は夜の早い時間に始まった)ですので、お車代ということで、はい」
やっぱりそうか。私の感は正しかったわけだ。
「いや、お車代って、私たちは仕事で来ています。タクシーが必要になれば会社のタクシーチケットがあります。こんなものを受け取る理由はありません」
そいういうと、相手は少したじろいだ。
「いや、その、受け取っていただかないと困るのですが」
「受け取ったらこちらが困ったことになります」
「先にお着きの記者さんたちにも受け取っていただいておりますので……」
「そんなこと、私には関係がないでしょう」
「しかし、受け取っていただかないと、ドアを開けるわけには……」
「ん? そのお車代とやらを受け取らないと、中に入れないんですか?」
少々切れかかった。
「それなら結構です。私たちは中に入りません。おい、帰ろう。取材しなくてもいいや。何かあっても俺が責任を取る」
相手はあわてた。
「いや、あの、そういうことではなくてですね。はい、分かりました。どうぞ中に入って下さい」
今思い出せば、その相手は若い兄ちゃんだった。自民党道連の職員か、それともどこかの企業から動員さたのか。いずれにしても、金を受け取らなかった記者がいたということは、彼にとっては困ったことだったはずだ。金で記者のほっぺを撫でようというのが上の決定であった以上、1社でも渡せなかったということは彼の落ち度になるからである。
あの兄ちゃん、朝日新聞の大道とその同僚に「お車代」を渡せなかったことを上に報告して叱られただろうか? それとも、私たちに渡すはずだった「お車代」を自分のポケットに入れて辻褄を合わせ、知らん顔をしていただろうか。
その後、自民党道連からなんの反応もなかったことから見て、後者だった可能性が高い。だとすれば、私の行動は自民党には何の痛痒も与えなかったことになる。独りよがりだったかも知れない。
しかし、記者というのは訳の分からない金に手をつけてはいけないのである。手をつければ、自分が書く記事を自分で信じられなくなるではないか。
「先にお着きの記者さんたち」は受け取ったと言われた。本当かどうか確認すす術はなかったが、堂々と封筒を私に渡そうとした様子から見て、多分そうだったのだろう。嘆かわしいことだが、それが当時の、北海道の記者の現実だった。
差し出された封筒のサイズから見て、中身は5000円かせいぜい1万円だっただろう。数千万円、数億円ではない。だから、あの時「お車代」を受け取った記者たちが自民党に対して筆を曲げたとは思わない。
だが、記者という職業には越えてはいけない一線がある。例え5000円でも記者が自民党から受け取ったことを読者が知れば、その新聞は信頼を失うだろう。それよりも、記者としての自分を信用できなくなるのではないか?
私は取材先に、ずいぶんご馳走になった。できる限りポケットマネーでお返しはしたとはいえ、決して清廉潔白とはいえないことは承知している。だが、その私から見ても、一線を越えた記者が、社内外にいることをあちこちで思い知らされた。
そのうち、覚えていることは書き記す予定である。