2023
10.29

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の17 メキシコシティの空港で恐喝された

らかす日誌

サンディエゴ空港であんな出来事があったのである。私の旅、無事に済むわけがない。ロサンゼルスの空港から乗った飛行機がメキシコシティに降り立つと、今度は私に災難が襲ってきた。恐喝にあったのだ。
再びコピペに頼ると、こんな出来事である。

手荷物チェックのカウンターに進んだ。色の黒い、多分幾分か黒人の血が混じった審査官が、トランクを開けろと言う。中の荷物を調べるという。背は高からず低からずで、やせた審査官である。

私には、隠すべきものは何もない。常に生身の勝負である。素直にトランクを開けた。

審査官は、トランクに手を突っ込み、あれやこれやと調べ始めた。旅行中のトランクである。スーツやカッターシャツ、洗面用具などに混じって、汚れて、まだ洗濯していない下着も、当然ある。審査官とは、なかなか大変な仕事である。

やがて、彼は言った。

“What is this?”

見ると、私が日本から持ってきたフグひれである。熱くした日本酒に浸してひれ酒をつくるものである。各地でお世話になる日本人へのおみやげに用意したものだ。

(余談) 
おみやげの選択には頭を使った。 
経験者に相談した。なるほど、と思えるアイデアはなかった。自分で考えるしかない。 
考えて、考えて、考えた末に行き着いたのが、「フグひれ」だった。理想的なおみやげだと思えた。 
今や、世界のほとんどで、ちょっと大きな都会なら、日本のものはだいたい手に入る。日本酒だって例外ではない。 
でも、「フグひれ」を売っている外国の町があるという話は聞いたことがない。希少性→喜ばれる、の図式にぴったりである。 
加えて、小さい。軽い。10枚、3000円分をパックしても、縦横5cm、厚さ2cm程度である。重さは感じないほど軽い。嵩張らずに軽いものは持ち運びにしごく便利である。 
思いついて私は、自らの発想の妙に満足した。 
日本橋高島屋に出かけた。20パック買った。買って、大きな欠点があることに気が付いた。 
小さいのである。小さいのは持ち運ぶ際のメリットではあるが、小さいと、ありがたみが薄れるのではないか?
想像して欲しい。 
「これ、おみやげです」 
って手渡されたものが、縦横5cm、厚さ2cm、重さは感じないほど軽いものであったら、何となく馬鹿にされたような気にならないか? 
これはいかん。また考えた。考えて、付け足すことにした。絞り立てのポン酢の瓶詰めと、八女茶である。 
20パックの「フグひれ」は嵩張らずに軽かった。ポン酢20本は、嵩張って重かった。お茶は、双方の中間であった。 
かくして、私は重いスーツケースを引きずって旅に出た。

そのフグひれをさして、これは何かと問われた。困った。
英語でフグって? ひれってなんて言う? しかも干したものだし……。考えた末、

“It’s a part of dried fish. We, Japanese, drink Japanese sake with it in.”

この英語が、その時私が言ったとおりなのかどうか、英語として正確なのかどうか、自信はない。が、まあ、このようなことを言った。

審査官は、えーい、面倒だ、ここは読者サービスとして、すべて日本語に翻訳してお伝えしよう。
審査官は、

「これは食べ物であろう。我が国では、食べ物の持ち込みは禁じておる」

とおっしゃった。

なんと、これは、香港、イギリス、アメリカを経由してはるばるメキシコにまでやってきた由緒正しいフグひれである。他の国で持ち込めたものが、この国には持ち込めないのか?
それにそもそも、こいつは食い物ではない。断じて食い物ではない。フグひれをかじりながら酒を飲むヤツはいない。フグひれをおかずにご飯を食べるヤツもいない。唯一の使い道は、熱く熱した日本酒に入れてフグ酒にすることだけである。これが何で食べ物であろうか。

てなことを、英語で言った。いや、言おうと試みた。言ったつもりである。本当にいえたかどうか、自信はない

何度か押し問答をした。しかし、悲しいことに、英語は私の母国語ではない。それどころか、かの審査官にとっても母国語ではない。
2人のうちの1人が、恐らく生まれて初めて見たものについて、そのものがメキシコで言う「食べ物」に該当するかどうかを、食べ物とは何かの厳密な定義も含めて、双方にとって外国語でしかない言語で論じあう。
うまくいくはずがない。

やがて、審査官は言った。

“Come this way. ”

酒場で、初対面の隣の客と口角泡をとばして議論をしていたら、突然、

「表に出ろ!」

と凄まれたようなものである。もっと悪いことに、この審査官、私がメキシコに入国できるかできないか、の全権を持っているのである。酒場の客なら、

「やだよ」

といえても、ここは従わないわけにはいかない。

スーツケースの蓋を閉じ、審査官の後に従った。彼は、別室に私を誘った。
男同士で個室だと!
と、いまなら書ける。その時は、書けなかった。言えなかった。思いも寄らなかった。
何しろ私は、初めてきた異国で、日本語が通じない国で、私の存在を知る人が1人もいない国で、我が生殺与奪の権を持つ審査官に別室に連れ込まれたのである。

「生きてここを出られるか?」

とビビッたとしても仕方がない。そして現に、我が心の5分の1ぐらいは、恐怖に戦いたのである。

審査官は、しつこい男であった。別室に移ってからも、「フグひれ」論争を仕掛けてきた。反論した。相変わらず、お互いにとって外国語である英語を使った、実に中途半端な議論である。あるところまで行くと、お互いに追及も、弁明もできなくなってしまう。言語能力の問題である。

私は、切れた。これからお世話になる方々には申し訳ないが、「フグひれ」をここで放棄する決心をした。「フグひれ」を差し上げられなくても、ここメキシコでの顛末をお話しすれば、理解していただけるであろう。

“OK. You take them. And I will go. ”

私は、決然と言い放った。審査官の態度が急変したのは、この瞬間だった。

“Oh, you don’t have to. Let me think……, OK, You can go.”

なぜか分からないが、突然私を解放する気になったらしい。このチャンスを逃す手はない。

“I can go? Oh, thank you. And goodbye.”

と立ち去ろうとした。その時、かの審査官は、実に困った顔をした。

“Ahh, please wait for a moment.”

何を! 待てだと! ふざけんじゃねえやい!

“Why? You said I could go. So I will go. Bye.”

が、審査官は離さない。

“Yes, I said you could go. But……、”

しかし、だと! しかしもへったくれもあるか! 俺は行くぞ!

“I will go.”

その瞬間である。私は、

“But”

に込められた深遠なる意味を悟ったのである。

(蘊蓄) 
このように、瞬時に悟りに至ることを「頓悟」という。そうではなく、修行を積み重ねて徐々に悟りに至ることを「漸悟」という。

私は言った。

“How much?”

“……”

“20 dollars, OK?”

“……” 

“30?”

“……”

“50?”

“You are a good man.”

かくして私はgood manのお墨付きをいただき、50ドルが私の財布から、かの審査官の財布に移った。私は空港を出た。

私は、生まれて初めて、メキシコシティの土地を踏んだ。

前途多難を思わせるメキシコ入国であった。