10.30
私と朝日新聞 2度目の東京経済部の18 メキシコシティで公債局長にインタビューした
メキシコシティを訪れたのも、「キャピタル・フライト」の取材の一環である。そもそも、金が逃げ出す国、メキシコの政府はいったい何をやっているのか? 通貨安を招くキャピタル。フライトにどんな手を打っているのか。それを知らねば原稿が書けない。
メキシコの大蔵省に取材を申し込んであった。公債局長が取材に応じるとの返事を得ていた。場所は国立宮殿内の執務室である。
私は、英語ができないくらいだから、メキシコの日常語、スペイン語はからきしダメである。
「スペイン語は『神と話す言葉』といわれているくらい、美しい響きを持った言葉」
と、作家の中丸明さんは、その著「丸かじりドン・キホーテ」で書いているが、いまのところ神と話したことはなく、その予定もない、意欲もない。だから、分からなくてもかまわない、と思ってきた私は、現地に住み着いた日本人に通訳をお願いしてあった。かつて共同通信のメキシコ特派員で、メキシコに惚れ込むあまり会社を辞め、メキシコシティに永住を決めたAさんである。なお、Aさんと書くのは彼のプライバシーに配慮したためではない。単に、名前を失念しただけである。
指定された10月8日午前9時、私はAさんとともに国立宮殿に出向いた。一歩足を踏み入れてギョッとした。ライフル銃(ひょっとしたら軽機関銃?)で武装した衛兵があちこちに立っているではないか! もちろん、銃口を私たちに向けているわけではない。だが、その気になればコンマ数秒もあれば、あの銃口を私に向けるのは簡単である。引き金を引くのはもっと瞬時のことだろう。あの中に正気を失った男が1人でもいたらどうなる? おい、俺はここで銃弾に倒れるのか?
日本では銃を見る機会はほとんどない。普通とは少しばかり違った仕事をしている私だって、銃に触ったのは三重県警担当の時だけである。しかも、銃弾を抜き取られたワルサーP38である。衛兵のライフルにはもちろん銃弾が装填されているはずだ。それが、こちらにも、あちらにもある。不気味だ。
恐らくメキシコという国は、貧富の差をはじめとした様々な問題が山積しているのだろう。不満を抱えた人々が集まって暴徒なり、この国立宮殿に押し寄せることを恐れる国なのに違いない。そうでなければ、政治、行政の中枢を、武器を丸出しにした衛兵で守る必要はないはずだ。
こんな光景を見ると、平和惚けといわれる日本がありがたくなる。
取材に応じてくれた公債局長をアンヘル・グリア氏といった。年齢37歳。当時の私とほぼ同年齢だが、威厳と貫禄は彼が遙かに勝っていた。威厳も貫禄も肩書きと懐具合が生み出すものとすれば、まあ、私が負けても仕方がない。若いエリートが要職を占め、重責を担い、懐を豊かにするのは発展途上国の特徴である。
あいさつは
「How do you do?」
で始まった。彼らエリートはスペイン語はもちろん、国際語である英語も流暢に話す。やむを得ず、私も片言の英語であいさつを交わす。が、私の英語力ではそこからは1歩も進まない。相手が何を言っているのか半分以上わからないし、自分が思っていることを伝えるのも困難である。
取材時間は1時間と決めてあった。であれば、私の日本語⇒通訳のスペイン語⇒アンヘル氏のスペイン語⇒通訳の日本語、という手順を踏んでいては、聞きたいことの半分も聞くことは出来ないだろう。そこで私は事前に、通訳氏に私が聞きたいことを説明していた。彼ももとは記者である。私に代わって取材することはできるだろう。
「時間がないので、あなたはスペイン語でこれこれの質問をし、答えをメモしておいて欲しい。それを日本語にして私に伝えるのは事後でかまわない」
イレギュラーで、深みのない取材になってしまうが、時間内に取材を済ませるにはほかに方法はない。
通訳氏とアンヘル氏はスペイン語で会話を始めた。私には何もすることがない。することがないばかりか、彼らが何を話しているのかさっぱりわからない。せめて英語であれば30%ぐらいは何となく理解できて、ああ、こんな話が進んでいるのかなあ、と想像することもできただろう。だが、スペイン語となると、本当にまったくわからない。想像のしようもない。ただ、アホみたいに黙って、にこやかに座っているだけである。そして最後に、
「Thank you for your kindness. I appreciate it so much.」
とか何とか、別れのあいさつをするだけであった。言葉ができないとは情けないことである。
再び衛兵たちのライフルを横目に見ながら国立宮殿を出た。ノートを取り出し、通訳氏に
「ね、どんな取材が出来た」
と取材した。
その結果が紙面に残っている。アンヘル氏はこんな話をしたらしい。
「キャピタル・フライトは、メキシコ政府の諸外国への信頼を失墜させた。ただ、現政権になって国内金利をペソの対ドル切り下げ率より高くする政策をとったため、流出した資本はこの1年で40億ドル戻ってきた。石油、観光収入も増えてメキシコの財政状況は改善されつつある」
「キャピタル・フライトは、メキシコ政府の諸外国への信頼を失墜させた」
という一文は、主客が転倒しているように思える。これなら、メキシコ政府が諸外国に失望している、という意味になる。ここは
「キャピタル・フライトは、メキシコ政府への諸外国の信頼を失墜させた」
と、「へ」の位置を変えるべきだと思うが、これは私の責任ではない。私の原稿を直した担当デスクが責めを負うべきである。
しかし、だ。たったこれだけのコメントを得るためにわざわざメキシコシティまで出かける。いま思えば、実に贅沢な取材をさせてもらったものである。
なお、私の原稿に残るメキシコの痕跡は、このコメントだけではない。メキシコを代表する経済紙エル・フィナンシエロのカルロス・ラミレス経済部長(36)のコメントもある。
「ドルが還流しているのは、メキシコの株価が1年間に7倍以上に暴騰したからだ。株式市場の過熱が終われば、再びキャピタル・フライトが起きる」
メキシコでも、新聞は政府のいうことを信用しないということか。現に、1987年10月19日のブラック・マンデー(ニューヨーク株式市場で株価が暴落、世界中に波及した)を堺にメキシコ株は暴落、11月初めまでに7、8000万ドルが再び流出したらしい。政府要人コメントがあてにならないのは、どこでも同じらしい。