2023
11.12

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の31 田渕社長と飲み友だちになった

らかす日誌

「田渕さん、飲みに行きませんか」

と私が初めて誘ったのは、1988年3月だった。この年1月14日から、

「週に1回はこの人の顔を見る」

という原則を貫き続け、この頃には親しみが増していた。そろそろ酒の席に誘ってもいいか、と考えた。酒は人と人の間を縮めてくれる魔法の飲み物である。

「おっ、君と飲むのか。よし、行こう。秘書に言っておくから、秘書と日程を調整してくれ。あ、そうだ。その秘書も一緒に行っていいかな?」

「もちろんです。飲みましょう」

翌日私は野村證券秘書部に足を運んだ。飲み会の日程が決まった。あとで聞いいたところによると、その日は翌日に健康診断があるため、「酒を控える日」であったとのことだ。野村證券社長の夜は、仕事の関係先との宴席でほぼ埋まっており、当面はその日しか空きがなかったのである。

朝日新聞の証券担当記者は当時3人おり、Moさんがキャップとして率いていた。野村證券の社長と酒席を持つ。これはキャップには報告しなければならない。

「えっ、大道君、小田渕と飲むのか。それはいい。ところで、どうだろう。俺も小田渕と飲みたい。俺も行っていいかな?」

まあ、田渕社長も秘書を伴ってくるのである。こちらが2人になっても問題はないだろう。

「いいですよ。来て下さい」

野村證券の社長を招く店は、麻布の韓国料理店「鳳仙花」に決めた。何度か行ったことがあり、参鶏湯が絶品だった。私たちがポケットマネーで行く店だから、座敷などはない。全てテーブル席である。野村證券の社長を招く席としてはやや貧相かもしれないが、このあたりが私が費用を負担できる上限の店だった。何しろ、朝日新聞には交際・接待費がなかった(その後できたようである)。取材先を招くのも全てポケットマネーである。築地の料亭などとてもではないが使えない。

少し脇道に逸れるが、新聞記者は、中でも経済部記者は取材先にご馳走になることが多い。向こうは会社の交際・接待費で私たちをもてなす。断れば角が立つからお付き合いする。しかしご馳走されっ放しでは筆が曲がる。いや、曲がらないとしても

「曲がっているのではないか」

という目で見られかねない。だから、ご馳走になったらお返しをしなければならない。だが、ご馳走になった店と同格の店では私が破産してしまう。そこで、そこそこの値段で、とびきり美味いものを食べさせてくれる店を探すことになる。

「この店は、この料理が絶品だから、ご案内した」

と説明できる、適度な価格の店をストックしておかねばならない。「鳳仙花」も、そんな店の1つだった。

さらに脱線すれば、こんな話がある。
朝日新聞の入社式。会社の偉いさんが訓示を垂れる。

「君たちが前線に出ると取材先から酒の席に誘われることが沢山ある。誘われたら断ってはならない。ご馳走になりなさい。しかし、ご馳走になったら、必ずお返しをしなさい。朝日新聞はお返しができる程度の給料は払います」

なかなか立派な訓示である。

「それがさあ」

といったのは人事部員だったと思う。

「俺たちが聞いたあの訓示、いまでも毎回出て来るんだが」

と一息入れて、彼は続けた。

「前半部分は一緒なんだよ。『必ずお返ししなさい』までは。ところが後半部分が消えちゃったんだよ」

後半部分、つまり「朝日新聞はお返しができる程度の給料は払います」の部分である。相対的に朝日新聞の給料が下がったためだろう。
それでも、一線で取材活動をする私たちは、取材先との良好な関係を築くため、ポケットマネーでお返しをし続けたのである。

話を戻そう。
野村證券2人、朝日新聞2人の計4人でテーブルを囲んだ宴席は和やかに進んだ。さて、支払いである。店の請求書には2万5000円と書いてあった。それを見たMoキャップが言った。

「大道君、俺が1万5000円出す。君は1万円負担してくれ」

朝日新聞経済部では、複数人で何かを支払わねばならないとき「傾斜配分」が伝統になっていた。より地位が上、つまり給料が多い方が沢山払う。この支払いの際、Moキャップと私の『傾斜配分」が1万5000円と1万円であった。

「鳳仙花」を出たのは10時頃だった。すでに田渕社長を迎える車が店の近くまで来ていた。見送ろうと車のそばまで寄ると、

「まだ10時か。ちょっと付き合ってくれ」

と田渕社長が言った。付き合う? まあ、ここは拒否する理由はない。

「わかりました」

と我々2人は朝日新聞のハイヤーに乗り込んだ。
着いたのは銀座である。

「ご無沙汰しているクラブがあってな。そこに付き合ってもらおうと思ってな」

銀座のクラブのドアを開け、腰を落ち着けてウイスキーの水割り(多分)を飲み始めた。30分もたったろうか。田渕社長が腰を上げた。

「次、行くぞ!」

こうしてその夜、私たちは銀座のクラブを3軒梯子した。もう11時半である。

「いや、今日はご馳走になった。ありがとう」

と言い残して田渕社長は車中の人になった。
ご馳走になった? いや、こちらがご馳走したのは2万5000円に過ぎない。銀座のクラブを3軒? あっちの支払いはどれぐらいの額に上っているのだろう? どう見てもバランスがとれないが……。

私が田渕社長と飲み友だちになったのは、この夜からだった。