11.14
私と朝日新聞 2度目の東京経済部の33 田淵さんに人事の話を聞いた
時間軸を無視して、田渕社長の話を続ける。
ある夜回りの日、私はずっと気になっていた人事の話を持ち出した。
「副社長のSaさんですが、私の目には、副社長になるような能力の持ち主ではないと見えます。どうしてあの人を副社長に引き上げたのですか?」
まあ、新聞記者として聞いていい質問の範囲からはやや逸脱していたかもしれない。だが、私は田渕さんの人事哲学が知りたかった。
「ああ、Sa君か。そう見えるかもしれないなあ。だが、俺はなあ、彼の人間性を信じたから副社長にしたんだ」
それはどういうことですか?
「もう昔のことになるが、彼の奥さんが自分の子どもを殺してしまったんだ。乳をやりながら添い寝をして、うっかり自分も眠ってしまったらしい。乳房を子どもに押しつける形になって、幼児が窒息死した。そんな事故が起きたら、君ならどうする?」
うーん、妻を罵倒するか、落ち込んでしまうか……。
「それが普通の人間だろうな。だがSa君はどちらもしなかった。淡々と1人で愛児をなくした悲しみに耐えていた。奥さんを責めたこともなかった。事故は事故として割り切ろうとしたんだ。なかなかできることではない」
それはそうですね。
「そんなSa君だから、絶対に上司に媚を売らない。あいつは俺の安全弁なんだ」
安全弁?
「あのな、社長業とは辛いものだ。社長室にいるだろ。そうすると役員や部長が次々に『ご報告』といってやって来る。顔を合わせると、みんなあの手この手でゴマをするんだな。おれはゴマをすられるのは嫌いだ。だから『ゴマなんてするな!』と怒鳴りつけたいが、それをやってしまえば崩壊するのが組織というものだ。だから、『このゴマすりめ!」と思いながら、ニコニコして話を聞かなければ社長は務まらない」
そんなものですか。
「ところが、人間というものは弱いものだ。俺も弱い。ゴマも、5回や10回なら『何をバカなこという』と思っていられるが、それが15回、20回、50回、100回になれば『ひょっとしたら、この部長が言っていることは本当なのか? 俺はそんなに凄い社長なのか?』と思い始める。やがて、俺は誰よりも優れた経営者だと自分で信じ込んでしまう。そうなればおしまいだ」
なるほど。そうかも知れませんね。
「だから、Sa君のように腹が据わっていて、本当の事をいってくれる側近がいなければならないのだ」
田渕さんの話は心に落ちた。社長業とは人間心理のヒダまでわかっていないと務まらないものらしい。
しかし、そのSaさんは、私が証券担当を離れた後に野村證券が起こした不祥事の責任を取って副会長に退いた田渕さんのあとの社長になった。そして総会屋事件を起こす。野村証券を食いものにしようとした総会屋を社長室に招き入れたのである。その事実が公になり、Saさんは社長を辞めた。この時、後にも触れるが、田淵さんは
「俺は野村證券をこんな会社にするために社長をしたのではない。野村證券がすっかりいやになった!」
と、野村證券に関係する役職一切と手を切ってしまった。私は止めたのだが、田淵さんの決意は変わらなかった。
深く考え抜いた田渕さんの人事でも、人の奥底まで見抜くことは出来なかったということか。人間とは善悪、強弱、様々なものを併せ持った不可思議なものである。
専務から副社長に昇格したときの話も聞いた。
ある日、社長から
「君を副社長にする」
という連絡を受けた。そのとき田渕さんは
「頭にきた」
そうである。専務としてやり始めた新しい仕事がまだ途中で、
「こんな時期に俺を副社長にしたらこの仕事が頓挫してしまうではないか」
と、おかしな話だが、田淵さんは自分の昇格人事に怒り、社長室に乗り込んだのだそうだ。当時の社長は大タブと称された田淵節也氏だった。
「こんな時期に、なんで私が副社長になるんですか!」
意を決しての抗議に、田淵節也社長は平然としてこう答えた。
「ああ、それは簡単な話だよ。私が副社長になった年齢に君も達したからだ」
つまり、俺の次の社長は君なのだ、ということである。
「いや、そう言われてしまうと、俺はもう何にもいえなくてな」
私は、こんな野村證券の浪花節が心から好きになった。