2023
12.06

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の55 私が「忙しい」を口にする人間を信用できないわけ

らかす日誌

再び東京を離れることになった。行き先は名古屋である。
しばらく前に、経済部長と喧嘩をしてしまったことは前回書いた。東京経済部から名古屋経済部。何となく左遷の臭いがある人事である。さて、これが部長の報復によるものか、それとも上司の満足を得るだけの仕事を私が出来なかったためなのか、は不明である。原因は不明でも、結果は同じだ。私は名古屋行きの準備を始めた。

当時、我が家では長男が高校生になるところだった。高校球児を目指して早稲田実業を受験したがあえなく失敗。神奈川県立の翠嵐高校に進むことになっていた。長女は春から中学2年生。3歳からピアノを続けていたこの娘は国立音楽大学附属高校を目指していた。そして次女は小学4年生になる。
こんな状態だから、家族引き連れての転勤はできない。全員で話し合うこともなく、私が単身赴任することになった。

単身赴任。初めての体験である。これまで食事の用意などしたことはない。実家を離れた学生時代は3食とも外食で済ませた。その学生中に結婚したから、私が料理をすることはほとんどなかった。加えて、掃除、洗濯もある。これも、洗濯は学生中にやったことがあるが、結婚してからはほぼ妻女殿任せである。掃除も学生時代は、

「そろそろホコリが目立ってきたな」

と月に1度ほうきを持てば良い方であった。これを総て自分でしなければならない。

それよりも、金が心配だった。一人口は食えないが二人口は食える、という。一人では物入りが多いが、妻を持てば妻女の仕切りで無駄を省き、同じ収入でも何とか暮らしていけるという意味である。それが真実であれば、単身赴任はその逆を行くことになる。家族がまとまっているからなんとか食えるのに、その家族が2つに分かれる。3食外で済ませて、我が家の家計は持つのか? 持たせなければ家計が破綻するのだが、持たせることは出来るのか?

課題は多かった。しかし、やってみるしかない。

いくつもの送別会という名の飲み会が開かれ、名古屋に旅立つ日が近づいた。さて、名古屋での仕事の準備もしなければならない。
今回の役回りは、名古屋における兵隊頭である。前線キャップともいう。自分でも取材しつつ、取材に走り回る記者たちを束ねなければならない。プレイング・マネージャーといったところで、やったことのない仕事である。まだ名古屋にいる前任のShiに電話を入れた。

「ああ、こんど君が来るんだって?」

電話に出たShiはぶっきらぼうにいった。

「で、何か俺に用事? 忙しくて時間がないんだけどさ

忙しい? さて、名古屋ってそんなに仕事が沢山あったっけ?

「仕事の引き継ぎなんだけど」

そのために電話をしたのである。

「引き継ぐことなんて何もないよ。適当にやったら?」

少々むかっ腹が立った。
Shiは学芸部から経済部に転部してきた男である。朝日新聞の部ごとの序列でいえば、一番上が政治部、それに対抗するのが経済部であった。いわば、この2つの部が東西の横綱だ。歴代の社長はほとんどがこの2部から出ている。その少し下に来るのが社会部。そのほかは、記憶によれば社長を出したことがない。
このようなヒエラルヒーの中で、学芸部から経済部への転部は異例である。私はほかに実例を知らない。なぜ異例の人事が行われたのか。何か裏の事情があありそうだが、私の知るところではない。
その異例の人事で経済部員となったShiは、私の目から見るとどうでもいい奴だった。上司との付き合い方はうまい。私など足元にも及ばない気配りを見せる。だが、仕事の方は……。注意を払って彼の記事を読んだ記憶はない。知らないことを書くのはやめにしよう。

そのShiから

「忙しいんだけどさ」

と長電話を拒否された。
そもそも私は、

「忙しい」

を二言目には口にする人物を信用しない。そりゃあみんな仕事をしているのである。忙しいこともあるだろう。だが、そのようなときでも

「いまはちょっと手が離せない。1時間ほどしたらまた電話をくれる?」

程度のことをいうのが大人の付き合いではないか。忙中閑あり、ともいう。1日24時間目が回るほど動き回らねばならないなどということはありえないのである。
仕事の引き継ぎなど、せいぜい5分か10分もあれば済むことではないか。それとも仕事の処理能力がなく、どうでもいいことに時間を取られているのか?

これは名古屋に赴任後のことである。若手の記者に聞いてみた。

「先月末、東京からShiに電話を入れて引き継ぎをしようとしたんだが、忙しいという理由でほとんど拒否された。あのころ、何か事件があってそんなに忙しかったの?」

聞かれた記者はキョトンという顔をした。

「Shiさんが忙しい? いやあ、あの人、いつも名古屋通産局のソファーで寝てましたけどね」

それが「忙しい」の実体だった。忙しがる人間を信用しないのもご理解いただけるだろう。

どうでもいいことだが、私と入れ替わりで東京経済部に戻ったShiは、定年になるとある東北の朝日系列テレビ局の社長に納まった。

「ほう、上司と調子を合わせるのがうまいと、あけすけに言えばゴマをするのが得意だと、あの程度の人間でも社長になれるのか」

と呆れた。朝日新聞とはそんな会社でもある。
私は呆れただけだったが、あんな男に社長の椅子に座られてしまったあのテレビ局の社員は、さぞや災難だったのではないか? そんな同情心が起きた私であった。

それにしても、あの時Shiはなぜ私との電話を避けたがったのだろう? ひょっとしたら、手練手管で経済部の主流に留まっているという自負心で、どうやら左遷されたらしい私の立場を見下し、

「あんなヤツに時間を割く必要はない」

とでも思ったか?
だとすれば、どうしようもない、可愛そうな人間である。