2023
12.25

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の56 ウイークエンド経済

らかす日誌

ここまで書いてきて、大変な間違いをしでかしていたことに気が付いた。
2度目の東京勤務のことである。実は最後に担当したのは経済企画庁ではなかった。そのあと「ウイークエンド経済」の担当になっていた。従って、経済企画庁—ウイークエンド経済—名古屋経済部、の順となる。
順序が狂ってきたが、仕方がない。「2度目の東京経済部」を復活して今回を「2度目の東京経済部の56」とし、ウイークエンド経済の話が終わったら「2度目の名古屋経済部」に戻ることにする。

何故間違ったのか。「2度目の東京経済部の55 私が「忙しい」を口にする人間を信用できないわけ」で書いた、名古屋にいたShiへの電話を、私は経済企画庁の記者クラブからかけたとお思い込んでいた。経済企画庁記者クラブの朝日新聞の席は壁と窓に面した部屋の隅にあった。どうしたわけか、Shiへの電話をした時、この席で回転椅子に座り、窓に背を向けて机に両足を乗せている私の姿が思い浮かんだのである。記憶とは頼りにならないものだ。

さて、ウイークエンド経済である。このページは社内における経済部の勢力拡張の一環として、毎週末5ページを確保したことに始まる。札幌勤務の時、やって来た東京経済部長に

「部長、人間の体にはバランスがありますよね。頭の大きさ、手足の長さ、胴の丸さ。まあ、人によって様々ですが、その変化率は一定の範囲に収まっている。新聞も同じだと思うんですよ。1面や2、3面の総合面は別として、政治面、経済面、外報面、スポーツ面、文化面、社会面、それらがあるバランスを取って朝日新聞になっていると思うんです。いま経済面を2ページから3ページに増やそうとしていますよね。これってバランスを壊すことではないですか? 経済面が人の体に例えるとどこになるのか、経済は下部構造とも言われるから足かも知れませんが、足だけが1.5倍も長く、1.5倍も太くなってしまえば、おかしな体つきになるとは思いませんか?」

との正論を吐いた話はすでに書いた。その経済部の勢力拡張の一環として出来たのがウイークエンド経済なのだ。世がバブルに湧き、朝日新聞も

「経済のニュースを増やさねば読者にそっぽを向かれかねない」

と考えての新設だった。バブルに踊ってイケイケ気分の企業が大量の新聞広告を出し、それまでの新聞では収容しきれなくなってページ数を増やし、経済ニュースの拡充を図ったのである。これも、私の批判の対象だった。その私が増えたページの担当になるのは皮肉な話だが、そんな辞令が下りたのだから仕方がない。

とはいいながら、経済を毎日の暮らしに惹きつけて書いてみようというこの職場は楽しかった。毎週のフロントページは特集面である。手元にあるスクラップブックを繰ると、例えば

経済大国日本の平和貢献策問いかけ
草の根運動 多彩に

という記事がある。

「イラクのクウェート侵攻に対抗する多国籍軍の後方支援をする『平和協力隊』として自衛隊を出そう、とい国際平和協力法案が国会で審議されています。経済大国になった日本は、資金面だけでなく、人の面でも世界の安定に貢献しなければならない、というのが政府の考え方ですが。自衛隊の海外派兵にもつながりかねない政策の大きな転換であるため、職場や家庭で国民の関心も急速に高まっています。そこで、今動き始めている市民運動を特集しました。この法案に反対するものだけでなく、賛成の市民運動も探したのですが、見付かりませんでした」

という書き出しで、市民運動の主な情報センターの一覧、様々な運動の紹介、この法案についての課長さん50人アンケート、などが寄せ集められている。普通の新聞では絶対に出て来そうにないのが、この記事に付け加えられている

日常生活には役立たないカタログ

だ。ここでは国連平和維持協力隊が装備する可能性がある小型武器として、拳銃、小銃、機関銃、散弾銃の、口径・全長・重さ、それに価格が一覧表になっている。例えば住友重機械工業製の62式機関銃は7.62㎜、1200㎜、10.7㎏、約200万円、といった具合である。

もうおわかりだろうか。様々な問題を無理矢理経済という側面で切って何かを伝えようというのがこのフロントページの狙いなのだ。この記事でいえば日本の再武装、海外派兵をもう一度じっくり考えよう、あるいは日本はそんな道を歩き始めていいのか、という問いかけが狙いで、それを経済っぽくするために小型武器の一覧を載せ、企業の中核戦士たる課長さんにアンケートをしたわけだ。記事がどうしても経済っぽくならない時は、課長さんアンケートを加えるだけで

「サラリーマンがこう考えている、というのも立派な経済記事である」

と強弁すればすむ。つまり、新聞記者として書きたいこと、書かねばならないと思うテーマに、経済というふりかけをかけたようなものなのである。これが楽しくないわけはない。

たまり場は、千代田区内幸町の日本プレスセンターに朝日新聞が借りていた一部屋である。霞ヶ関の官僚街に近く、目の前は日比谷公園。ここで毎週、

「次は何を取り上げる?」

と話し合い、決まれば手分けした取材に散り、三々五々この部屋に戻ってはワープロを叩く軍団の、私は軍団長であった。