2024
01.11

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の66 宮路社長を我が家にお招きした

らかす日誌

宮路社長にはよくご馳走になった。

「お返しを」

といっても、応じてくれる人ではない。飲んだ後の支払いは必ず宮路社長だった。
これはいけない。取材先と仲良くするのは記者のイロハだが、ご馳走になりっぱなしでは風上には置けない記者に成り下がる。そこで一計を案じた。自宅にお招きしたのである。

その日宮路社長は、恐らくJR川崎駅まで電車で来て、そこからタクシーで我が家に乗り付けたらしい。
横浜の我が家の居間は2階である。宮路社長が階段を登り、ドアを開けてダイニングキッチンに姿を現すと、私の3人の子どもたちが待ち受けていた。何しろ、ロールス・ロイスに乗せてくれたすごいおじさんである。子どもたちの満面に歓迎の表情が浮かんでいたことはもちろんである。
宮路社長はこんなシーンに慣れてなかったのだろう。瞬間、戸惑いの表情が浮かんだようだった。そしてやおら、スーツの内ポケットに手を入れるとルイ・ヴィトンの長財布を取り出した。1万円札ではち切れんばかりに膨らんでいる。これほど膨らんだルイ・ヴィトンの長財布にはいくらぐらい入っているのだろう? でも、何故この場面でこの財布を?
何が起きるのかを私が読み取ったのは、宮路社長が右手の人差し指をペロリとなめたからだ。いかん、この人。子どもたちに小遣いを与えようとしている!

「宮路さん、それはいけない。子供に金を渡してはいけません!」

あわてて私は宮路社長を押しとどめた。

「だけど、子供さんたちに何もお土産を買って来んかったから……」

「いつも私が御世話になっているからお招きしたのです。土産なんていりませんよ」

「そやけど」

言いながら、宮路社長の指は、まだ札を財布から抜き取ろうとしている。

「とにかく、財布をしまってください。さあ、テーブルについて。飲みましょうよ」

宮路社長が和歌山の出身であることは前に書いた。確か、その年からである。宮路社長から和歌山名産の南高梅の梅干しが毎年末に届くようになった。果肉が厚く、実に美味しい梅干しである。やがて我が家の食卓の定番になり、いただいた梅干しを食べ尽くすと、同じものを和歌山から取り寄せるようになった。

その日、宮路社長は終始上機嫌だった。我が家を出たのは夜9時半だったろうか、それとも10時になっていたか。
送り出して家族だけになった時、息子が言った。

「お父さん」

ん、何だ?

「何で宮路さんが財布を出したのを止めたんだよ」

だって、そうするしかないじゃないか。

「止めなきゃさ、俺たち、小遣いが貰えてたじゃん。何で邪魔するんだよ」

娘2人も、同じことを言いたそうな目で私を見ていた。

「いつも御世話になっている人から、お金を頂くわけにはいかないだろう。さあ、もう遅いから寝ろ!」

そんな家庭内騒動を残して、宮路社長は我が家を去った。

頂くと言えば、宮路社長は何かにつけて私に家電品をくれようとした。
ある日店を訪れると、

「おお、大道さん、やったよ、安売りシャープがすごいテレビを出した。どこのテレビと比べても絵がキレイなんや。ほら、見てみい。安売りしか能がなかったシャープがすごいテレビを作りよった」

言われてみると、なるほどコントラストが明瞭で、色にも深みがあるようだ。

「これ、ええやろ。どや、大道さん、これ1台、あんたにあげるわ。持っていきな」

えっ、私にテレビをくれるって! それは記者と取材先の間ではあってはならないことなのですよ。そんな関係を癒着というのです。取材先と癒着する記者にはろくな原稿は書けません。
といっても、通じる人ではない。

「いや、我が家はつい最近、29インチのテレビを買ったばかりなんで」

「ええやないか。2台目のテレビにしたらよろしいわ」

「とんでもない。我が家は狭くて、2台目のテレビなんて置くところがありません。お話しはありがたいのですが、とてもいただけないんですよ。いまのテレビが壊れたらこのテレビを、城南電機で買いますから、今回はかんべんしてください」

ほうほうの体でお断りし、店を出たのであった。