01.22
私と朝日新聞 3度目の東京経済部の4 「食楽考」は素晴らしいコラムだった
次は「食」である。八重洲ブックセンターで私は、これは、と思える2、3冊の本を買った。その中に書名は忘れたが栗原雅直さんの本があって、実に面白かった。しかし、奥付を見ると栗原さんは精神科医とある。食と健康の専門家ではない。
「ああ、違うな」
と一度は断念した。著書は面白いが、私の求めるライターではない。もう一度本を探しに行くか。しかし、日本一の蔵書量を誇るという八重洲ブックセンターの書棚はつぶさに見たはずだ。他の本を探すといっても、そんな本はあるのか?
そんなことを考えていて、ふと思いついた。栗原さんは医者とライターという仕事を兼ねていらっしゃる。そんなペンを持つ医者には横のつながりがあるのではないか? 栗原さんに、私の狙い通りの医者を紹介してもらうことは出来ないか?
栗原さんは虎の門病院の医師である傍ら、大蔵省診療所長を務めていらっしゃった。私は大蔵省診療所に電話を入れてアポイントを取り、会いに出かけた。
「初めまして。大道と申します。朝日新聞のウイークエンド経済でデスクをしています」
名詞を差し出しながら初対面のあいさつをし、訪問の趣旨を説明した。
「実は、ウイークエンド経済の紙面で新しいコラムを作る予定です。テーマは『食と健康』にしたいと思い、書いて頂ける方を探しています。その過程で、たまたま先生の本に目を通しました。実に面白い。ところが、残念なことに、先生は精神科がご専門ですね。そこでお願いなんですが、先生のお知り合いで、『食と健康』に専門劇な知識をお持ちで、文章を書ける方はいらっしゃらないでしょうか? もし心当たりの方がいらっしゃったら、ご紹介頂けるとありがたい思うのですが、いかがでしょう?」
私の話を聞いた栗原さんは口を開いた。
「いや、残念だが、そんな心当たりはいないですねえ」
私は、多分ガッカリした顔つきをしたのだと思う。栗原さんは言葉を継いだ。
「しかし、面白いテーマだな。何だったら、私が書きましょうか?」
えっ、だってあなたは精神科がご専門なのでしょう? そう思った私は申し訳ないことに、内心で
『あなたに書けますか?」
と瞬時考えた。栗原さんはいった。
「はい、私も『食と健康』には関心を持っていますから、書けると思いますよ」
こう出られたら、
「あなたでは頼りない」
とはいえない。確か私は
「では、何かそんなテーマでお書きになった文章をお持ちですか? もしあれば読ませていただきたいのですが」
と申し出た。すぐに
「これなんかどうでしょうね」
と数枚の印刷物を渡された。その場で目を通したが、なるほど『食と健康』についてのコラムになっている。しかも、面白い。
「面白いですねえ。わかりました。私は先生にお願いしたいと思いますが、この文章を持ち帰らせていただいて、編集長の判断を待ちます。そういうことでよろしいでしょうか?」
こんないきさつがあって、しばらくするとウイークエンド経済の一角に「食楽考」というコラムが始まった。
後で知ったことだが、栗原さんは国内で最も狭き門だと言われる東大医学部の卒業生である。東大病院医局長を務めた後、虎の門病院の初代精神科部長になった。いってみれば、私などには手に届かないほど頭のいい人なのだ。それなのに、私程度の頭脳の持ち主とも実にフランクに付き合ってくださる方だった。
その頭の良さは、文章のレトリックにも随所に現れた。担当デスクである私は栗原さんの書かれた文章を商品にするべく、直しを入れる役回りなのだが、そんな箇所はほとんどない。論理展開のみごとさに感心するばかりである。偶然とはいえ、私は素晴らしいライターに行き当たったのである。
私以上に喜んだのは I 編集長だった。私の手を通った栗原さんの原稿を読みながら、
「いやあ、ここからこう飛ぶか! 面白いなあ。これ、最高のコラムだぜ!」
私より遙かに優れた頭脳の持ち主である I 編集長は、私ではとても手の届かない地平で栗原さんの文章を楽しんでいたようである。
この「食楽考」はは1997年、朝日新聞が本にまとめ、「お医者さんの食卓」のタイトルで出版した。Amazonで見るとすでに絶版のようだが、まだ古書では買える。この原稿を書くために検索していたら、
「そうか、私も一助になった原稿が本になっていたか」
と懐かしくなり、1冊欲しくなって注文した。126円+送料300円である。関心を持って頂いたら、あなたも1冊いかがですか?
栗原さんとはその後すっかり仲良くなり、飲み友だちになった。酒を仲立ちにすると様々な話が聞ける。
「実はね」
という話を聞いたのは、何度目の飲み会だっただろう。
「あなたがウイークエンド経済に書かないか、という話を持ってきてくれたのは、私にとっては干天の慈雨でした」
えっ、それはどういうことですか?
「あのころね、私は巨額の借金を抱えて困っていたんです。そこへ大道さん、あなたが現れて朝日新聞に原稿を書き始めた。するとね、私の原稿を見たんでしょう、他の出版社から『うちでも書かないか』なんていう依頼がかなり来ましてね。はい、その原稿料でずいぶん借金を返すことが出来たんです。朝日新聞の力って、大変なものですね」
ほう、そういうことがあるのか。そういえば、城南電機の宮路社長がマスコミで引っ張りだこになったきっかけも朝日新聞に登場したことだったな。
『実は娘が演劇をやっていまして、今度舞台に立つんです。大道さん、是非見てやってください」
と妻女殿の分を含めて2枚の招待券を頂いたこともある。
精神科の医師としてのはなしを聞いたこともある。
「ある日ね、患者の一人がどこから持ってきたのか、日本刀を振り回し始めたんです。危なくてとても近寄れない」
それでどうしたんですか?
「だけど取り押さえなきゃいかんでしょう。怖かったけど、私たち医者が布団を持って取り囲みましてね、その布団を盾にして数人がかりで布団を巻きつけて取り終えました」
精神科医というのは命の危険にも遭遇することがある仕事であるようだ。
私から相談を持ちかけたこともあった。「らかす」で書いた「シネマらかす」を本に出来ないかと考えた私は、だが出版社に知り合いがいなかった。色々と考えていて、
「そうだ、栗原さんは沢山著書を出している。出版社にも知り合いが多いに違いない」
と思いついたのである。それで栗原さんに昇華して貰えないかと考えついたのだ。
栗原さんは二つ返事で引き受けてくれた。確か出版社2社に話を通してくれたが、戻ってきたのは
「面白いが、著者に知名度がない。出版不況のいま、中身が面白いだけでは本は売れない」
という連れない返事だった。
ということで、いまだに私が1人で書いた本はない。私は出版の専門家に、私の文章が
「面白い」
といってもらっただけで満足するしかないようである。
それともあれは、栗原先生の私への思いやりが生んだ「嘘」だったのかな?