01.30
私と朝日新聞 3度目の東京経済部の12 記事審査室に異動になった
「大道君、記事審査室に行ってくれないか?」
と経済部長に言われたのは、ウイークエンド経済のデスクを務めて1年近くたった頃だったと思う。
記事審査室とは、日々の朝日新聞の記事を審査する部署である。紙面の隅々まで目を通して批評するだけではない。同じ記事を、他の新聞はどう書いているかも見なければならない。社内のご意見番、英語で言えばオンブズマン、日本語なら大久保彦左衛門というところか。
しかし、そんなものやりたいか? やりたくない。そもそも原稿が書きたくて記者になったのである。他人の書いた記事を義務として読む仕事が面白いか? あんな部署を希望するヤツなんているはずがない!
それなのに、なんで私がその仕事を? あっけにとられていた私に、部長は言葉を継いだ。
「半年間だ、半年。6ヵ月やってくれたら、必ず取材の前線に戻す。それは約束する。どうだろう、引き受けてくれないか?」
困ったことに、部長は取引条件としてよだれが出そうな「取材の前線」を持ち出した。これは限りなく魅力的な条件である。ウイークエンド経済のデスクも楽しくはあった。しかし、所詮は人が書いた原稿を直す仕事である。自分で取材し、記事を書く楽しさはない。
瞬時、迷った。しかし、もう一度取材が出来る魅力には勝てなかった。半年間、滅私奉公をしよう。
「わかりました。引き受けます。でも、確かに半年でしょうね? 終わったら取材が出来るのですね?」
念を押して、私は異動を受け入れた。
記事審査室は編集局の1階上、6階のフロアにあった。私は経済部から来た室員である。ほかには外報部、政治部、社会部から来たベテラン記者がおり、室長は整理部(紙面のレイアウトをする部署)出身だった。
記事審査室は、毎日お昼頃に会議を開く。その日の朝日新聞朝刊に掲載された記事を審査する会議である。素晴らしい記事はあったか? 視点がずれていたり、独断的だったりした記事はなかったか? わかりにくい文章は? 他紙に抜かれた記事はないか? 他紙の同じ記事に比べて取り上げ方が不充分な記事はなかったか? そんなことを全員で話し合う。
だから、少なくとも、朝日新聞は隅から隅まで、すべての記事を読んでおかなければならない。加えて、他紙にも目を通しておかねばこの会議に参加する意味はないのである。
あなたは新聞の隅から隅まで、すべての記事をお読みなったことがあるだろうか? 私は仕事としてやった。どれほど速読しても、3時間半から4時間はかかる。それほど大量の情報が詰め込まれているのが新聞という商品である。
記事審査室の定例会議が正午に始まるとしよう。ここから逆算しなければならない。通勤に1時間、朝食には30分かかる。そうすれば、少なくとも朝6時半には新聞を読み始めなければならない。読売や毎日、日経にも目を通す必要があるから、起床は5時、遅くても5時半になる計算だ。私が記事審査室に移ったのは確か10月だから、急速に昼が短くなる季節である。つまり、外が真っ暗なうちに起き出して新聞を読み始める。我が家に朝日新聞を届けてくれる販売店には事情を話し、遅くとも5時には朝刊を届けてくれるよう頼んだ。
朝日、毎日、読売、日経の4つの新聞は自宅でとっていた。しかし、このほかにもサンケイ、東京といった新聞がある。それは会社に到着してから読む。
つまり、毎朝5時には起床しなければ務まらないのが記事審査室員なのである。それまでの朝遅く、夜遅い夜がたの生活から、目覚めが早く、就寝も早い、これ以上健康的な暮らし方はないだろう、早起きは三文の得、という理想的(?)な生活を始めたのであった。
記事審査室の会議では、それぞれが自分の意見を述べる。どうしても出身母体、つまり私なら経済関係の記事について意見を述べることが多かった。それも、批判的な視点からの意見である。それは多分、朝日新聞はもっと優れた新聞であるべきだ、と考えているからである。そもそも、記事審査室という部署をつくった目的は、紙面の質を向上させるためであるはずだ。子供は褒めて育てよ、というのが最近の子育て、教育の主流の考え方だが、朝日新聞のような、良く言えば老舗、普通に言えば古狸には通用しない。自信過剰が朝日新聞記者の別命である以上、高くなりすぎた鼻をへし折らねば紙面の質の向上は望めないではないか。
もちろん、専門外、私で言えば経済面以外の記事にも注文をつける。そうすれば議論が始まる。
君は政治というものが分かっていないから、そんな的外れの記事批判をするんだ。いや、政治を見る目は素人の目であるべきではありませんか。政治が分かっていない私の意見は貴重だと思いますよ。
ダメですよ、ミクロ経済とマクロ経済は違うんです。ミクロの視点に立てばそう見えますが、このマクロ経済を書いた記事はに正しいのです。
そんな意見交換が50分〜1時間続く。
会議が終わると、室長が会議の中身をまとめてレポートを書き、編集局の幹部に送る。その記事審レポートに
「こんな批判を受ける覚えはない!」
と怒りを爆発させる部長さんもいたようだ。その怒りの原因が、私のいったことを室長が採り上げて書いたレポートであっても、レポートの文責は室長にある。私にはない。だから、室長が全面的に対応する。批判だけしておけば済む室員の仕事は実に気楽なものだった。
それで1日の仕事は終わりである。あとは何もすることがない。自宅に帰るのも勝手である。が、お日様がこんなに高い時間に自宅に帰る? 子どもたちは学校だし、家にいるのは古女房だけだぞ。そんな選択肢はないだろ?
といって、私はどこで時間をつぶしていたのだろう? 昼間から酒を飲みに行ったことはないし、パチンコなどの娯楽には関心がない。当時の私は映画にもさほど惹かれていなかったから、ホントにどうしたのだろう?
ただ、結婚以来久々に、平日の夕食を自宅でとる日は増えていたような気がする。