2024
02.08

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の21 鉄は産業の米か

らかす日誌

経団連会長の任期は1期2年である、豊田章一郎さんが2期目に入った1996年からは、誰が次の財界総理になるかが関心を集めた。私も財界担当記者の端くれである。人事などにはあまり関心はなかった、取材はしなければならない。

選挙では

出たい人より出したい人

に投票しようといわれる。人の上に立つ人は、自分を売り込む人ではなく。多くの人があの人になってもらいたいという人でなければならないということだろう。経団連会長も同じである。多くの経済人に押されなければその椅子に座ることは出来ない。だから、このころから何となく周りで

「次は誰が良かろう?」

などという話が始まっていた。そして、新日鐵の今井敬会長の名が浮かび上がっていた。最有力候補である。

その世論に服せず、

「私が経団連会長になりたい!」

という思いを隠さない経団連副会長がいた。ある電子機器メーカーの会長だった。

経団連では、会長、副会長らが時折記者懇談会を開く。コーヒーとケーキぐらいを前に、質疑応答を交わすのである。記者からすれば、それぞれの人が、どんな考えを持っているのかを探る機会となる。懇談会を開く御当人からは、記者に自分をアピールし、できれば記者を通じて世論を形作ろうという場でもある。

その日、その副会長はこう言い放った。

「鉄は国家なり、鉄は産業の米、と長い間いわれてきましたな。しかし、ですよ。鉄が産業の米だった時代は終わったと私は思う。いまや、産業の米は半導体です。そう思いませんか?」

つまり、鉄鋼メーカーである新日鉄が天下を取る時代は終わりを告げた。いま経済界を率いるべきなのは、半導体メーカー、つまりこの副会長が会長として率いる会社である。次の経団連会長には私が最も相応しい、と記者に向かって言い放ったのだ。

経団連会長を、別命「財界総理」という。経済界に生きる人の頂点に立つということだろう。この椅子は、ある人々にとって余程魅力的に映るものらしい。男とは、金と地位が出来、そろそろ女性に相手にされない年齢になると名誉を追い求めるといわれる。この副会長も露骨に名誉を追い求めたのか。それとも、経済界のリーダーになって

「これは日本経済のために私にしかできないことだ」

という構想を実現したいと願ったのか。

私は、この強烈な「自薦演説」を面白おかしく聞いた。ありえない。あなたが経団連会長になるなんて、絶対にありえない。それが私の判断だった。
だが、彼の自薦はそれなりの効果は上げたようだ。朝日新聞社内にも

「次は新日鐵の今井か、この電子機器メーカー会長。いま競り合っていて、今井が出遅れている」

という先輩がいた。私が

「それはありえない」

と何度言っても聞き入れてくれなかった。
いま、ネットでこの人の名と経団連をキーワードにして検索すると

「経団連会長は、現在、豊田章一郎トヨタ自動車(株)会長が勤めているが、次期会長は、豊田章一郎氏の続投、今井敬新日本製鐵社長、〇〇〇〇の3氏が候補に挙がっていた」

という記事が見つかったから、彼が少なくとも「次の経団連会長候補者」にまで自分を押し上げたことだけは事実であるらしい。私が取材した範囲で、この人を押す声を聞いたことはなかったが。

こんな方々とお付き合いするのも、財界担当記者の仕事なのである。