02.10
私と朝日新聞 3度目の東京経済部の23 今井さんは引き受けてくれるでしょうか?
抜かれた。抜かれたら、追いかけて記事を書かなければならない。だが、外はまだ真っ暗。草木も眠る丑三つ時である。なにしろ、まだ午前3時半である。電話をかけていい時間ではない。取材先の目覚めを待たねば取材は出来ない。私はジリジリしながら夜明けを待った。
眠れないまま、午前8時まで待った。待って電話をかけたのは豊田章一郎さんの東京・赤坂の自宅である。
「お早うございます。早朝から申しわけありません」
電話口にでてくれた豊田さんに、まず朝のあいさつをした。
「今朝の日経をご覧になりましたか? 次の経団連会長に新日鐵の今井さんが決まった、とありますが」
「ああ、出てますねえ。ええ、今井さんに引き継いでいただきたいと思っているのはその通りなのですが、まだ今井さんに話していないんですよ」
えっ、ということは完全に裏を取った特ダネではなく、大勢を読んで、、えい、やッ、てな具合に書いてしまった原稿だったのか。
「それでねえ、新聞に出てしまったものですから、これから今井さんにお願いしなければならないのですが、大道さん、今井さんは引き受けてくれるでしょうか?」
?? 抜かれた私が、今井さんが引き受けてくれるかどうかと相談を受ける? 何だかおかしい。しかし、相談されたのだ。答えなければならない。
「大丈夫ですよ。今井さんはやる気満々です。必ず引き受けると思います」
私のそれまでの取材では、新日鐵の今井さんは、財界総理の座が自分に回ってくるのを待っていた。
だが、私は相談にのるために電話をしたのではない。
「それで、なんですが、朝日も夕刊で経団連会長人事を追いかけなければなりません。私は豊田さんの続投が望ましいと思っていましたが、次は今井さんということで書いてもよろしいですね?」
「そうですね。はい、それでいいと思います」
もっと沢山会話をしたような気がするが、要は以上のようなやり取りである。私は電話を切ると、原稿を書き始めた。夕刊に間に合わせるため、この日は電話送稿、つまり、電話のこちら側で原稿を読み上げ、経済部のデスク席にいる誰かに原稿を書き取ってもらったのではなかったか。
とりあえず、夕刊向けの仕事は済んだ。それから私は食事と身支度を済ませ、会社に向かった。
「おう、大道、ちょっと格好悪かったな」
と声をかけてきたのは経済部長だった。
「あんなコラムを書いた直後だもんな。抜かれたタイミングが最悪だ」
あんなコラムとは、数日前に書いた経団連会長人事の見通し記事である。そのコラムで私は、次の経団連会長は豊田さんの続投が望ましいと書いた。あの平岩さんも私と同じ構想をお持ちなのである。胸をはって書いたのだった。
それが数日のうちに、今井さんに決まった。せめて1、2週間たっていたら、そこまで格好悪くはなかっただろうが。しかし、この男、というのは経済部長だが、いったい何を私に言いたいのか? 私の記者としての能力にダメ出しをしたいのか?
「はあ、済みませんでした。多分今井さんになるんだろうなという見通しは持っていたのですが、いまの状況を考えると、やっぱり豊田さんの続投がベストだと思っていたものですから。ご迷惑をかけました」
私が豊田さんの追い出しコンパを開くまでには、こんな出来事があったのである。