2024
02.18

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の31 プラハを歩く

らかす日誌

 【10月4日】
まず、昨日。
午前中、プラハ城、カレル橋を見学。ゴシック様式の壮大な城、内部の造作、ステンドグラスに西洋の感性を見て取った。金閣、銀閣を美の極致とする日本人の感覚からすれば、西洋は装飾過剰。粘着質であると感じる。

(解説)
素直に感動しておけばいいものを、面倒くさい奴やなぁ。
そんなこと言ったって、俺たちの生活はほとんど100%西欧文化で埋め尽くされているじゃあないの。
朝から、座卓ではなくてテーブルでパン食、食べ終われば和服ではなくて洋服を着て、下駄ではなくて靴を履いて出かける生活だろ、みんな。
我が家の朝食はご飯とみそ汁だけど、和服なんて持ってないし、下駄もない。
そんな俺が「日本人の感覚」?  俺も、単なる爺様になりつつあるのかね…… 。
しかし、正直なところ、圧倒されました。同じ城郭建築でいっても、日本の城は白壁に石垣、積み重なった瓦屋根と極めてシンプル。一方、プラハ城の壁は隙間なくレリーフで埋め尽くされています。それは2つの民族の感受性の違いですなあ。

カレル橋では、ラグタイムのジャズバンドが演奏中だった。30代から70代と思えるミュージシャンたちである。聞けば、地元の有名バンドで、テレビにもよく出演するとか。それが路上で、観光客を相手に音楽を聴かせるとは、おもしろい国である。

そういえば、クラシックの演奏会がやたらと開かれている。モーツアルトからドボルザーク、ショパン、チャイコフスキーなど演奏曲目は多彩。いったいいくつの演奏会が、わずか120万人の人口しかないプラハの町で、同時に開かれているのか。でも、ベートーベンというのは1つもない。ベートーベンはドイツの作曲家である。ヒトラーを産んだイツへの恨みのためか。

(解説)
音楽に満ちあふれた街って、いい。
ところで、我が家で、今朝かかっていた音楽は、「頭脳警察」というバンドの「頭脳警察 I 」。30年ほど前、発売即発禁になったいわくつきのやつ。昨日は「I am sam」。その前が「はっぴいえんど」で、その前が「Eric Clapton」。「Beatles」、「John Lennon」が登場することも。
いや、だからどうだということはないのだけれども。

午後、地元財団の招待で、ジョフィン宮殿で昼食会。またダック料理である。前菜に「寿司」が出た。海苔で巻いたものが出てきたが、べたべたのアルデンテの米が押し固められている。現地の人は、それをナイフとフォークで食べている。きっと、日本人とは奇妙なものを食っているものだ、と思いながら口に運んでいるのに違いない。

(解説)
アルデンテの米=まだ芯が残っている、いわゆる生煮えのご飯。

夜はビアホール。それにしても、どうしてこんなに塩味が強いのか。パンを塩水で茹でたものと一緒に出てきたシチュー風の食事は、とても評価できたものではない。それでも、店は満員。予約なしで来て断られていた客も。救いは、12、3人で食って飲んで、1万4000円という価格だけである。

(解説)
飲んで食って1人1000円強という料金は、いまの日本人の金銭感覚からしたら「安い」。でも、現地の人にとっては財布と相談しなければ出せない価格なんだろうなあ。
それはわかるが、ほとんど毎日酒を飲んでしまう暮らしをしている俺にとっては、滅茶苦茶魅力的である。日本で、この値段で飲んで食えていたら、いまごろ……、肝臓やられて死んでる?!

そして4日。
土曜日で1日自由行動。我々の随行記者たちは2派に分かれ、1つのグループは郊外の保養地へ。私は大勢に逆らって市内散策に出かける。プラハにはもう2度と来ることはないだろう。であれば、プラハをもっと知っておきたい、と考えた。
それに持ってきたカメラが壊れ、新しいカメラを買う必要ができたこともある。土曜日は午後1時でほとんどの店が閉まるというから、仕方がない選択だった。
キヤノン製のバカチョンを2万円程度で買う。プラハでキヤノンのカメラを買うのも一興ではある。

デパートには、サンローラン、アクアスキュータムなど、ブランド品が並んでいる。家電売場には、ソニー、パナソニック、アイワなどのテレビ、オーディオ製品が並ぶ。14インチのテレビが約4万5000円。月収400ドルでは、なかなか高価。セイコー、シチズンの時計も並んでおり、Gショックは人気製品とか。
町中では、アディダスが流行。若い女性は、日本と同じように、底の厚い、または高い靴を履いている。さすがにルーズソックスは見ないが、ルーズ風ソックスは、何回か目にした。

(解説)
「なんで、わざわざ靴下をたるませるの? だらしがない!」
ルーズソックスを最初に目にしたときの印象である。当時、普通のソックスをはいている女子高校生が、何と清楚で美しく見えたことか!
ところが。いつの間にか、普通のソックスをはいた女子高生の足許を目にするたびに、
「何か足りない」
と感じ始めた。視線は下から上へ。靴、ソックス、生足の順にめぐるわけだが、ルーズソックスだと、途中で、通常ではあり得ない繊維の固まりがあるから、視線が引っかかり、独特のリズムが生まれる。音にすると、
「スーッ,ガタガタッ、スーッ」
ところが、普通のソックスだと、その引っかかりがなくて
「スーッ」
だけで生足までいってしまう。
コクがないというか、物足りないというか。人の感覚って、すぐに大勢に流されてしまう。 恐ろしい。
そんな話をしていたら、同僚が
「古いなあ。もうルーズソックスの時代は終わったよ。あんた、今年でいくつ?」
だって。
いわれてみれば、確かに最近あまり見ないなあ。
「てやんでえ、俺はあんたみたいな足フェチじゃあないっていうことだよ!」
でも、せっかく「スーッ,ガタガタッ、スーッ」に慣れた私の感性は、これからどんな変容を迫られるのだろう?

昼食は、ドン・ジョバンニ。イタリア料理の店で、スパゲティを食べたが、ここは美味かった。プラハに来て、はじめてまともなものを食べた感じがする。
その後再びカレル橋。昨日のラグタイムがまだやっていた。10分ほど見物。そこで売っていたCDを買う。300コルナ。約1200円。

(解説)
丸1日歩いた。ホテルでもらった地図を頼りに、とにかくテクテク歩いた。身につけていた万歩計は、ホテルに戻るまでに3万歩近くになった。
途中で、「チャスラフスカが経営しているお店」なんかに寄ったりして、全身で、プラハの街を味わい尽くした。
というと様になるが、実は、プラハのバスや電車の乗り方がよくわからなかっただけである。
世界文化遺産になっているプラハの街は、確かにに美しい。1日歩いても飽きない。
ただ、歩きにくい。石畳のせいだ。丸い石が地面に埋めてあるような道が多く、ゴム底の靴を履いていたにもかかわらず、1歩踏み出すたびに足首がぐらぐらするような感じで、どうしてもその部分に力が入る。なにしろ、歩いたのが500歩や1000歩ではない。3万歩近くなのである。疲れたの何のって。皮底の靴でもはいていた日にゃ、途中でへたり込んでいたに違いない。
「日本からの観光客、プラハで行き倒れ」
ってか。トホホ……
これからプラハに行く人、ゴム底の歩きやすい靴は必需品であります。
念のためですが、ドン・ジョバンニはカレル橋のたもとにあります。

この町、プラハにいる知人から、夕方連絡があるはずだが、まだ来ない。彼には取材の段取りをつけてもらうことにしてあるので、このまま連絡が付かないと、月曜にドレスデンから電話をしなければいけない。

(解説)
後で聞いた話では、この知人はドン・ジョバンニのそばに住んでいたとのこと。世間は狭い。

明日は午前8時出発で、バスでドレスデンへ。そこならインターネットに接続できるかも。
夕食は日本食の予定。

【10月5日】
プラハから、バスで北へ250キロ。ドイツ・ザクセン州ドレスデンに着く。約4時間の旅。時間とともに空の色が変わり、停車時に外に出ると気温が下がっているのがわかる。北国である。
チェコ国境の町は、売春で有名だそうだ。事実、バスの窓から、道路で客を待つ女性を3人確認。ドイツから、安いチェコまで、「買い」に来る客が目当てだという。あまり楽しい話ではない。
夕刻、美術館を散策。ルーベンス、ボッティチェリなどの絵画を見、甲冑や剣など中世の遺物を見て回っていると汗ばむ。気候、温度が変わりやすい。

(解説)
バスの窓から見た3人は、10代から20代前半。肌の露出が生唾ゴクン状態で、一見して職業が判断できた。
間違ってはいけない。生唾を飲み込んでいたのは私ではない。私の隣に座っていた日本人である。その音がバス中に響き渡った。
私は落ち着いたものであった。その日本人とタイミングを合わせて生唾を飲み込んだので、私の音は誰にも聞こえていないはずである。無論、劣情に駆られてお世話になるということもなかった。残念 当然である。

(余談)
あまり関係ないが、思わず、「なるほど」と膝をたたいてしまった話。
「パンパンって、なぜパンパンって言うか、君、知ってる? 『女と寝る』っていうアメリカ人の仕種から来てるんだよ。ずいずいずっころばしってあるだろ。拳を軽く握って穴を上に見えるようにするだろう。あれと同じ要領で、左の拳を丸めて穴をつくって、その上をふたをするように右手の手のひらで叩くんだ。これが、『あれしよう、っていう意味』。叩く時、パンパンって音がすることから、娼婦のことをパンパンって言ったんだよ」
「のり平のパーッといきましょう」(小学館文庫 三木のり平 聞き書き小田豊二)より

やっとインターネットに接続できた。たまったメールをすべて送信。そして、受信。

この地域は、今世紀2度目の壮大な実験をしている。最初は共産主義化。2度目は市場経済化。その実験の実像はあまり日本に伝えられていない。
日本企業も、この地域での存在感はひどく薄い。体制が変わって、その様子を見てみようと1990年、経団連はこの地域にミッションを出している。しかし、当時は混乱のさなかだった。そのレポートを見て、日本企業が

「まだ投資はできない」

と考えても仕方ない。そのころ日本では急速な円高が進み、国内で生産していたのではコストがあわないと、多くの企業がアジアに生産拠点を設け始めている。そこまではよかったが、間もなくバブルが崩壊し、日本企業は本体の経営がおかしくなった。本体と、投資を始めたアジアの面倒を見るのに精いっぱいで、東欧(現在は中欧という)に関心を持つ余裕はなかったこともある。
その間、欧州各国、米国の企業は、この地域に投資を重ね、その結果、この地域の経済も安定感を増した。いくつかの国は、「金持ちクラブ」とも言われるOECDにも加盟し、欧州連合(EU)への加盟も日程に上っている。欧州で仕事をしよう、ものを作り、売ろうと考えると、無視できない地域になった。だから、ここ数カ月、日本企業の新規投資が相次いでいる。それは、

「ドイツの投資が増えすぎてはこわい」

という、歴史から来るこの地域の人々の思いにも応えることになると思う。

(解説)
この部分、何か唐突なのだが、知人から「何でそんな所に行ってんの」というメールを受け取り、それに応えたものと見受けられる。