02.26
私と朝日新聞 3度目の東京経済部の39 小林一茶
今回は、中欧取材旅行報告の山場であります。名付けて「日欧文化比較論」。もちろん、掘り下げた考証を重ねる知識などありませんが、中欧を旅して感じたままを書き連ねたものです。
【10月15日】
8時半、プラハ証券取引所理事長に面会した。
この日、なかなか姿を見せずにやきもきさせたHoly 君は、8時ちょうどにホテルにやって来た。彼が来てくれなければ、理事長と話ができない。最初は焦ったが、
「来なければ来ないときのことだ。仕方がない」
と思いつくと気分は楽。予定通りに進む旅、取材なんて、どこかつまらないではないか。
(解説)
堅く言えば
「人事を尽くして天命を待つ」
一般的に言えば
「ケ・セ・ラ・セラ なるようになるさ」
ストレスを貯めない最善の方法。
時間がなく、朝食抜き。チェックアウトをすませて、タクシーで取引所へ。
理事長は、大臣を務めたことがある、この国では有名人である。肩書きに気圧されて身構えたが、人口1000万人の国の大臣なんて、東京都の局長みたいなもの、と思えば、さしたることはなし。
(解説)
いや、一般的に言えば、東京都の局長は大変なもの。
ここは、自分を励ますための言辞としてお見逃しいただきたい。
私たちは時間通りに着いたが、彼は渋滞に巻き込まれたとのことで5分遅刻。それから1時間話を聞く。
10時には、日本からチェコ投資庁に派遣され、日本からの投資を受け入れる窓口になっているTさんに会う。日本語はいい。日本人が、こんなところで、ほかの民族のために汗を流しているのもいい。
空腹。Holy 君と昼飯。イタリアンにしたが、1人前100gもある大盛りのパスタにやや食傷した。これが本日初めての食事である。腹ごなしを兼ねてしばらく市内を散策。
(解説)
確か、この機会にお土産の調達に行った。
チェコといえば、ボヘミアン・クリスタル・グラス。
「高いけど、日本に持って帰れば、4倍から5倍の値段がするよ」
という説明に迷わされたわけではない。はずだが。
いろいろ見比べた。その結果、欲しくなったのはビアグラス。ところが、様々な色がある。
一番美しかったのは、グリーン。欲しい。
「ね、このグリーンは、どうやって出すの?」
私は根っからの知りたがり屋であります。店員さんに聞いた。
「はい、これは銅を加えるのです。そうすると、この様な美しいグリーンになります」
もちろん、このあたりは
日本語(私)→チェコ語(Holy 君)→チェコ語(店員さん)→日本語(Holy 君)
と流れた。
話がここまでであったなら、私はグリーンのビアグラスを買ったはずだ。しかし、ついでに聞いてしまっした。
「このピンクのグラスは、何を加えているのですか?」
なんだと思います? 皆さん。
なんと、「金」なのであります。
その答えを聞いた私は迷い始めた。
「美しいのはグリーン。でも、これは銅だ。ピンクの方は、色はいまいちだが、金ですよ、金! それなのに、値段は同じ。さあ、どうする?」
いやなものだ、貧乏人は。「金」の一言に心をかき乱され、「Goldfinger」「The Man With The Golden Gun」など、金に絡む007シリーズを思い浮かべたりしながら、迷いを深める。
で、どうしたかって?
買いましたよ、ピンクを。
お恥ずかしながら、ピンクを。
後悔するのではないかと思いながら、ピンクを。
2個セットで6000円弱。
いまは・・・・・・・・「やっぱりグリーンがよかった!」
刺繍といい、カルバン・クラインのシャツといい、貧乏人は後悔する買い物しかできないのか?
終わってN社。ここでHoly君と別れる。2人で記念写真を撮った。来年の春には日本に来るとのことなので、連絡をしろ、うまいものを食べさせてやる、うちに泊めてやる、と約束。192cm、98kg、25歳。日本でいえば東大に当たるというカレル大学の大学院に通う彼は、嬉しそうだった。
(解説)
でも、前にも書いたように彼は我が家には来なかった…… 。
そういえば、2人で散策中、おばあさんが運んでいた荷物が崩れ、拾い集めていたので1つ拾ってやったところ、
「先を越されました。ありがとうございます。プラハの人は、こんなとき何もしてくれない人が多くなりました」
何となく恥ずかしくなり、
「チェコで、1つぐらい人のためになることをして帰らなくては、充実感がないではないか」
と応えてしまった。
(解説)
何とも間の抜けたレスポンスである。
生きるとは、恥の上に恥を重ねることである。
N社で雑談をした後、日本でいえば日銀にあたるのだろう、チェコ中央銀行。約束が取れていた人が帰って来たのは、5時。そこそこに切り上げて、ホテルへ。Yさんが車で送ってくれた。日本に帰ったときに一杯やろうと約束。
すぐに荷物をピックアップし、タクシーで空港へ向かう。現地通貨が900コルナ残っていて、タクシー代は730コルナ。800コルナ渡したが、100コルナ残してどうしようというのか。日本円で400円。生来のけちがなせる技か。
(解説)
チェコの空港でチェックインカウンター前の列に並んでいたら、
“Are you a Korean?”
と声をかけられた。
振り返ると、東洋系の顔。韓国人なのだろう。私を同胞と見たか。ふむ。
考えてみると、中欧で乗った飛行機のほとんどに、韓国人と思われるビジネスマンの姿があった。日本人には出会わなかった。
隣国のサラリーマンはがんばってます!
プロペラ機で、ワルシャワ。64人乗り。うるささからすると、たぶんソ連製。7時半出発のはずが、搭乗し始めたのが7時25分。タクシーイングを始めたのが45分過ぎ。時間にルーズなのも文化だ。日本人は苛立つが。
(解説)
ソ連製? ロシア製? 多分、ソ連時代に作られたものだろうと。
予定より20分ほど送れてワルシャワ。10時過ぎ、マリオットホテルにチェックイン。夕食をとろうとしたが、イタリアンレストランはおしまい。ほかのレストランのメニューを見ていたら食欲が萎え、部屋に戻る。
それにしても、ここの通貨はなんだったろう。換算率は? これで5カ国目になると、もう換算率とか何とかが、素直に頭に入らない。
ハンガリーでは、確か3分の2かけると、日本円になった。チェコでは4倍すると、日本円になった。
ここでは、さきほど20ドル換金したら、60ほどの現地通貨をくれた。ということは、1ドル = 100円 = 3であり、10がおよそ300円。ということは、30倍して考えればいいのか? 現地通貨の60は、1800円か。いや、これが20ドルだから、2400円。とすると、35倍ぐらいしないといけないか。
頭は混乱するばかりである。
(解説)
頭が混乱する? 単に出来が悪いだけじゃないの?
プラハの2日間、光と陰をテーマに町を見ようとしましたが、仕事に追われて混乱するばかり。しかし、夕刻のプラハの町はなかなかのものです。光の少ないプラハの夕刻は、歴史のある建物の凹凸で不思議な雰囲気を作り出します。歩いていると、突然、キスしている二人にであったりも。よくある風景とのことですが。
迷路のような町の構造、石畳、奥に引っ込んだような商店。一人で歩くか、二人で散策するかで、印象が変わってしまう町のような気がします。
仕事はあと2日、と考えるのは、疲れのせいでしょうか。
人は、時として忘れ、時として思い出す。
と書いて、何を思い出したのかを忘れた。また思い出したら書くことにしよう。
(解説)
やっぱり、たんにできが悪いだけのようだ。アホっ!
昨日は、ほとんど食事をしない状態で、今朝も朝食をとる時間なし。目が覚めたら7時で、通訳との待ち合わせが7時半。やっと7時まで眠ることができる状態になったようだ。
空腹のまま、ホテルのロビーで、通訳のAnna さんに会う。28歳。小柄。若いのに白髪が目立つ。聞いてみると、ベジタリアンとのこと。それも関係しているのか。日本の京大、東大に留学した経験を持つ才媛でもある。
空腹のまま、最初のアポイントは8時半。車で現地へ、8時15分ごろ着くが、相手は
「渋滞で遅れます」
小雨が降っていたから仕方がないが。約束の女性が到着したのは8時50分。次の予定もあり、挨拶をしただけで飛び出す。今日は、当たりが悪い。
次は9時半に、帝京大学からここの経済省顧問できているW氏。日本語で話せる取材は楽である。1時間半ほど話し込み、彼が通産省出身ということもあって、
「あなたの話は、日本では通用しなくなった政府主導の経済誘導を、混乱のさなかにあるこの国に適用しようという時代錯誤ではないか」
などと議論。和気藹々。
次はM社との昼食会。連れて行かれたのは、日本料理店。「御飯定食」を頼む。20ズロチだから、約800円。味の話しはよしておく。
午後2時。米国系の投資会社。訪ねていくと、相手は米国人。
“What language do you wanna use?”
と聞くと、
“English”。
こちらはポーランド語の通訳しか頼んでいない。さあ、困った。
困りながら1時間のインタビューを続ける。私は英語が不得手であることを伝え、幸い通訳の女性が少し英語ができたこともあり、彼らができるだけわかりやすい英語を使う努力をしてくれたこともあって、大まかなところは話が分かった。それにしても、
“Do you understand?”
と、何度も繰り返されたのは、自尊心を傷つけられたが。これも仕方がない。
(解説)
自尊心? そんなものがあったの?
相手の親切を、この様にねじ曲げて受け止めてしまう人間を、普通は下種と呼ぶのだが。
JETROを表敬訪問。
わずかな時間、繁華街を散策。デパートの店員はぶっきらぼうである。これは旧体制の遺産かもしれない。楽譜とCDを買い、次の目的地、レストラン「将軍」へ。日本女性が、1991年にたった1人でポーランドに乗り込んで開いた日本料理屋だから行ってみたら、とのアドバイスは、ハンガリーのM氏。
たぶん60歳前後の女性で、韓国系というMaさん。料理の評価は別として、家族を日本に置いて1人でこの国に乗り込み、いまだにポーランド語を理解できないまま、ポーランドの若者を使って商売する根性は見上げるべきである。月収は3万円程度だというが、それでもこの国に来てよかったとか。
そんなこんなで、通訳のAnnaを交えて10時まで雑談。現地通貨の手持ちがなく、カードも通用しないとのことで、1万円を出し、換金してもらう。
タクシーを呼び、途中でAnnaを降ろしてホテルへ。
ロビーにはいると、ソファに座った女性と目が合う。そのとたん、彼女はにっこり笑った。これは歴史上最も古い職業に違いない。俺に媚びを売ってもカネはないぞ、と思いつつエレベーターへ。実際、財布の中には1万3000円しかない。カードがきかない世界とは、今日は接触できない。
(解説)
この地では、この様な女性の価格は、一律200ドルとのこと。ロシアも同じとは現地の商社マンの情報。
これで16日間、欧州の国を回っていて、気づいたことがある。日本人と欧州の人たちの違いである。
(解説)
ここからが、本日の目玉であります。
こちらの建築、美術、町づくり、すべてを見ていて圧倒されるのは、装飾への飽くなき情熱だ。ロココ式はいうに及ばす、何を見ても、
「これでもか、これでもか」
という圧力を感じる。
それは、見る人に対して、自分の感性、解釈,思いを押しつける強引さでもある。見る人の自由を許さない。この世界では、これが真実なのだと、作者が自分の思いを押しつける。それが、西洋の美である。
日本はどうか。
小林一茶
に、
つゆの世は つゆの世ながら さりながら
という句がある。
人生ってね、はかないものなんだけどさ、それはよくわかるんだが、でもね、とでも訳せるのだろう。
この「でもね」の中に、日本人の美意識があるような気がする。
「でもね」で、読み手に広大な世界を与える。
「でもね」だから、読み手はその先に、自分の世界を構築できる。
「でもね」の先は、読み手が100人いれば、100通りの答えがあるのだろう。解釈する側に自由、自分の世界を与えることで、わずか17文字の言葉で、全世界を包含することに成功している。これが日本の美意識なのではないか。
同じ世界を西洋人が書けば、「でもね」の先を、作者が自分で書いてしまう。それが押しつけがましいまでの過剰装飾の世界であり、作者はそれで満足するかもしれないが、受け手は束縛の中に入ってしまって自由を奪われる。そこで世界が閉じてしまう。
どちらの美意識を評価するかは、個々人の考え方であり、資質なのだろう。でも、日本人の感覚は、優しさの点で勝っていると私は思う。
時間に追われ、仕事に追われる旅も、この程度のことは考えさせてくれる。有益な疲れである。
(解説)
帰国後、「一茶俳句集」(岩波文庫)を買った。前掲の句に心を引かれ、ほかの句も読んででみたくなったからである。
一茶は生涯に、約2万の俳句を残したといわれる。うち2000句を選んだ本なのだが、
あの句が、ない!
何度探しても、ない!
あれは、本当に一茶の句なのか?
多分、残りの1万8000の中に入っていると思うのだが……。
なお、一茶に関しては
「一茶」(藤沢周平 文春文庫)
を推薦します。
美しくも汚くも、人間であり続けた一茶の生涯が、何とも愛おしくなること、請け合います。
明日はまた、時間に追われる1日だ。それが終われば、しばしの開放がある。ワルシャワは、あと1日半。ウイーンが1日。次は、懐かしいのか、帰りたいのか、できるだけ避けたいのかわからない日本。
12時。これから寝る。日本時間は午前7時。
Good night, everybody.