02.28
私と朝日新聞 3度目の東京経済部の42 記者会見は公の場である
記者には様々なタイプがある。
記者会見で質問しない記者がいる。このタイプは2つに分かれる。
1つは、
「俺の関心事を他社の記者に知られてなるものか!」
という記者である。夜討ち朝駆けを繰り返し、手に入るだけの情報は独自に手に入れた。だが、まだ記事にするには少し足りない。記者会見で不用意に質問すれば、俺が何を取材しつつあり、どこまで事実をつかんでいるか知られてしまう恐れがある。黙りを決め込むにしくはない。足りない材料は、今日の夜討ちで何とか聞き出し、記事にしてみせる。
いわば特ダネを目指す一群である。
記者会見で発言しない記者にはもう1つのタイプがある。
「恥をかきたくない!」
下手な質問をすると、お前はそんなことも知らないのかとみんなに馬鹿にされる恐れがある。必要なことは他社の記者が聞いてくれる。その質疑応答で分からないところがあれば、あとでそっと聞きに行けばいいさ。
私に言わせれば
「あなた、どうしてこの職業を選んだの?」
というタイプである。
私はどちらでもなかった。記者会見では
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
を実践するタイプだった。無論、必要があると思えば夜討ち朝駆けはやった。だが記者会見でも不必要な質問はしないが、そうではないものは納得できるまで質問を繰り返した。そもそも、記者である自分が理解、納得できないことを記事にできるか?
それに、である。夜討ち朝駆けで聞いた話は、公の席での発言ではないからそのまま記事に引用することができない。取材相手は自分の発言として引用されることはないという前提で、なかなか公にはしにくいことまでを話してくれるのである。トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販の合併をスクープした時、合併することを明かしてくれた人の名は記事にはしていない。スクープとはそのようにして生まれる。
だが、記者会見は公の場である。その場での発言は、発言者の名前、肩書きを添えて記事にすることが出来る。だから経済団体の記者会見では、それぞれの財界人がどのような考えの持ち主で、いま何を、どのようにしようとしているのか、を聞き出しておかねばならない。その日の記事にはならないかも知れないが、いつかは発言者の名前、肩書き付きのコメントとして記事にできる日が来るかもしれないではないか。
財界を担当していて、夜討ち朝駆けまでして聞き出さなければならない話など、あまりない。だから私はほとんどしなかったが、記者会見では質問を繰り返した。私が何も質問しなかった記者会見などほとんどなかったはずだ。
だからだろうか。私は一種の「人気者」になっていたような気がする。
経済同友会の記者会見の席で
「大道さん、今日は何にも言わないの? 何処か体でも悪いの?」
と、本来は質問を受けるべき立場である経済同友会専務理事が、逆に私に質問したこともあった。いや、質問と言うより、私をからかったのだろう。野村総合研究所社長も勤めた人だった。
前にも書いたが、経済同友会は
「企業経営者が個人の資格で参加し、国内外の経済社会の諸問題について一企業や特定業界の利害にとらわれない立場から自由に議論し、見解を社会に提言することを特色としていた」
といわれる団体である。確か、毎月1度の定例記者会見を開いていた。提言がまとまれば、その提言を公表する。まとまったものがなければ、その都度の時事的な話題を記者側が持ち出して質問をする。提言には不明点をただし、私の考えと食い違うところは
「おかしいんじゃないの?」
と食いつく。時事問題は、バブル崩壊後の日本経済の見通し、再び日本経済を成長軌道に乗せるにはどうするか、企業の不祥事への対応は、など話題に事欠かなかった。質問はいくつでも飛び出した。
それなのに、私が担当した間にどんな提言があったのか、時事問題についてどんな記事を書いたのか、実はほとんど記憶にない。その程度の内容だったのだろう。
1つだけ記憶に残るのは、日本経済再建の方策についてのやり取りである。経済同友会の提言だったか、あるいは記者会見に臨席した代表幹事、副代表幹事の1人の発言だったかは忘れたが、
「日本は再びアメリカに学ばねばならない」
という発言に食いついたのである。
Japan as No.1、ともてはやされて空前の繁栄を謳歌したバブルの時代は過ぎ去り、失われた10年と後に名付けられた1990年代も終わりに近づいていたころである。発言者はそれを踏まえて、アメリカ経済を凌駕する勢いだった日本経済はどん底にある。再びアメリカに負けた、と話した。それはよい。しかし、
「だから我々は、もう一度アメリカ経済に学ばなければ鳴らない時を迎えている」
と来たから、私はカチンと来た。
バブル時代、日本経済の強さの根源は、年功序列と終身雇用という日本独特の経済制度にあるといわれた。日本経済はすでに世界の最先端に躍り出ており、他国に学ぶものはなくなったとまで持ち上げられた。他国が開発した技術を応用するだけで経済成長を成し遂げたといわれ続けた日本は、これから先頭に立って新しい経済の地平を切り拓いていくのだ、と。
そんなことをいったのは、あなた方経済人ではなかったか? あなた方は世界に冠たる企業経営をしていると胸をはっていたのではなかったか? それが、バブルがはじけてわずか7、8年で、再びアメリカに学ばねばならない、だと?
「明治になってからの日本は、欧米に追い付け、追い越せをスローガンにしてきました。優れたものは全て欧米にある。だから、欧米の技術、経営をひたすら学ばねばならない。その時代に必要だったのは、横文字(西洋語)を縦文字(日本語)に移し替えることであり、移し替えたものを暗記することでした。だから教育課程では暗記力が重視されてきたのでしょう。でも、もう暗記の時代ではない。学んだ知識を元に新しいものを、時代を作り上げる能力が必要な時代だといわれ、教育でも暗記より創造力が重視される時代です。それなのに、また再び横文字を縦文字にするところに戻ろうというのですか? 日本の企業は、実は何も学んでいなかったのですか?」
この質問にどんな答が戻ってきたのかも記憶にない。きっと、何とか辻褄を合わせようという言葉が連なっていただけだったからだろう。
財界を担当していた間、私はこんな質問繰り返していたのであった。