2024
03.07

私と朝日新聞 電子電波メディア局の6 ハイビジョンと軍事

らかす日誌

デジタルデータ放送局の設立準備。具体的にいえば、そのようなメディアを使いたいという企業が世の中に存在するかどうかを調べることだった。そんな市場が果たして日本にあるのか。

市場調査をするには、事前の準備がいる。まず、デジタルデータ放送とは何かを知らねばならない。富士通などから技術者を招き、勉強会を何度も開いた。
インターネットのWebサイト作るにはhtmlという記述言語を使う。それに対して、データ放送で使うのはBML(Broadcast Markup Language)という言語である。htmlの発展系であるXMLの仲間だと説明された。

このBMLで書いたデータ放送で何が出来るのか。いま皆様は、テレビのリモコンにある「d」ボタンを押して、データ放送でニュースや天気予報を利用されていると思う。どちらもデータが随時更新されており、使ってみればなかなか便利な機能だ。

だが、私が関わった頃には、まだデータ放送なるものは存在しない。そもそもテレビはアナログ波で送信されているからデータ放送なんて出来なかった。だから、初めて聞く話ばかりである。薄くなった記憶を呼び起こすと

「インターネットで出来ることはほとんど出来る」

と説明されたような気がする。
例えば、インターネットのように文字情報を映し出せる。競馬をデータ放送で配信すれば、レースが終わると、出場馬を着順に並べ替えることが出来る。音も流せるからBGM代わりにもなる。そして何より、データ放送には双方向機能がある。視聴者の反応を電話回線を通じて放送局が受け取れるから、通信販売にはもってこいだ。

様々なアイデアが出た。例えば朝日系列のBS朝日がドラマを放送したとしよう。出演者が着ている服に魅力を感じればリモコン操作で、その服のメーカー、デザイナー、価格などを画面に表示できる。それだけでなく、靴でもバッグでも何でもありだ。そして、それが欲しければリモコン操作でその服、靴、バッグを注文することさえできるのだ。それが双方向機能である。

「これは画期的なメディアになります」

テレビ局から来た仲間たちは活気づいた。そりゃあ、テレビ局にとっては新しい商売である。スポンサーは増えるだろうし、通販にまで手を広げれば利益も増えるだろう。勢いづかないはずはない。

だが、私は当初、BSデジタル放送にさしたる関心はなかった。注目されていたのはハイビジョン放送だが、映像が画期的に美しくなってどうする?

「音しかないラジオの時代に、映像も写るテレビが登場したのは革命だったろう。白黒だったテレビに色がついたのも革命だと思う。しかし、色つきの画像の鮮明度が上がるというのが革命か? テレビなんていまの解像度で十分なんじゃないの?」

ハイビジョン、ハイビジョンと浮かれる仲間に対して、そんな異を唱えていた。

「テレビでタレントが身に着けているものを欲しがるバカが、いったいどれだけいるのかね?」

と憎まれ口もきいた。
それに、私の任務は動画のない世界、データ放送局が経営として成り立つかどうかを見極めることなのだ。浮かれる気分にはとてもなれない。

そんな折り、テレビ局の仲間が、まだ世にないデータ放送を視覚化した。データ放送とはこのようなものだ、という20分ほどのデモビデオを作ったのである。よく出来たビデオだった。
そして私も、ビデオで見せられたデータ放送には惹きつけられた。インターネットはそこそこ普及していた。しかし、パソコンでしか出来なかったデータ配信がテレビで、しかも双方向で出来る! なんだか暮らしが一変するような気がしたのである。

そのビデオが、私たちのマーケティング・ツールになった。全員で手分けし、データ放送を解説するVHSテープを持って企業回りを始めたのである。この、世界中どこにも存在しない新しいメディアに関心を持つ企業は果たしてあるのか? 使ってみたいという企業は存在するのか?
それを探るのが仕事だった。

話は少しずれるが、この頃読んだ本のことを書いておきたい。ハイビジョン放送の話である。誰かに

「面白いぞ」

と貸したら戻ってこなかった本で、だから書名も覚えていない。だが、鮮烈な記憶が残っている。

ハイビジョン放送の技術開発競争で図抜けていたのは日本、それもNHK放送技術研究所だった。1回目の東京オリンピックが終了した頃からアナログ波を使ったハイビジョン放送の研究・開発を長年続け、1982年には世界初のハイビジョン番組「日本の美」を制作、放送した。
この実績に自信を持ち、世界統一規格にしようという野望を持った人がいた。シマゲジという通称で知られるNHK会長だった島桂次氏である。シマゲジはアメリカに乗り込み、アメリカもNHK規格のハイビジョン放送を始めるよう迫った。その時、

「アメリカが採用しないのなら、他にも関心を持つ国はある」

と、ソ連への売り込みを示唆した。
アメリカは震え上がった。何故か。冷戦の時代である。ハイビジョンの軍事転用を恐れたのである。偵察衛星、あるいは偵察機にハイビジョンカメラを積み込めば、地上の様子をそれまでのカメラとは比較にならないほどくっきりと見ることが出来るからだ。その軍事的な基幹技術を日本に握られては、アメリカの軍事戦略に暗雲がかかる。ましてやソ連と手を組まれたのでは東西のパワーバランスが狂うってしまうではないか。

だから、

「ハイビジョンの基幹技術をアメリカで開発する!」

とアメリカは決意した。が、アナログハイビジョンの技術はNHKが抑えている。こうしてアメリカは、余儀なくデジタルハイビジョンの開発を手がけるのである。

綺麗な映像が見られるのがハイビジョン、とだけ思っていた私は、デジタルハイビジョンの持つ歴史的な意味を初めて知ったのである。

そういうわけで、デジタルハイビジョンが世界統一規格になり、日本もそれに従うしかなかった。おかげで私はデータ放送局の開設準備に追われるようになったのである。