2024
03.08

私と朝日新聞 電子電波メディア局の7 電子電波メディア局次長にご意見申し上げた話

らかす日誌

マーケットリサーチのチームは、私たち朝日新聞組み2人に加えて、テレビ朝日、ABC、名古屋テレビなどからも人が集まり、総勢10人ほどいた。手分けをして約200社の企業を回り、感触を探った。

さて、新聞記者であった私は市場調査などやったことがない。世界のどこにも存在しない、テレビのデジタル波を使ったデータ配信に企業は関心を持つのか? いやその前に、それぞれの企業のどこの部署の窓をたたけば必要な情報を得られるのか?
経済記者として長年、企業を取材してきた。しかし、取材したのは広報部を窓口として担当部署のトップを紹介しいてもらうことがほとんどだった。そんなだから、そもそも企業にはどんな部署があり、それぞれがどんな役割を担っているかなんてまるで分からない。格好良くいえばゼロからのスタート、普通にいえば暗中模索の始まりである。

ここはやっぱり広報に頼るしかない、というのは新聞記者しかやったことがない私の結論だった。今度こんな新しいメディアを立ち上げる予定です。あなたの会社が利用するとすれば、どの部署に話を聞けばいいのか。キーマンを紹介してほしい。

私たちは、例のVHSテープを持って企業を訪問した。まずビデオを見てもらい、口が酸っぱくなるほどの熱弁をふるってデータ放送を説明した。1日24時間、あなたの会社が発信したい情報をテレビに送ります。普通のテレビのような番組表はありません。24時間、常にあなたの会社の情報をテレビで見ることができます。そして、双方向機能を使って視聴者の反応を受け取ることが出来ます。しかも、これまでのテレビCMに比べれば、遙かに安いコストでそれができるのです。どうです、データ放送を使ってみませんか?

こうして、私が回った会社だけでも70〜80社はあったと思う。それを含めた約200社を私たちは業種別の表にまとめた。そして、それぞれの感触をA=大きな関心を持つ、B=関心がある、C=あまり関心がない、の3つに分けた。全員で議論しながらの作業である。そして、確か100社ほどがA、Bに分類された。

この分類表を元に、朝日新聞に提出するレポートを、何故か私が書いた。半数ほどの企業が関心を持ってくれたのである。

「やり方によっては、データ放送局は事業として成り立ちうる」

という結論になったのは当然のことだった。

これで命じられた仕事は仕上げた。さて、次はどんな仕事が回ってくるのだ? 今度は北の方のローカル局の社外取締役になったら、私のグルメ旅行も幅が広がるぞ、と楽しみにしていた。

しばらくして、電子電波メディア局次長から、私とKo君が喫茶店に誘われた。データ放送局に着いての市場調査は仕上げたのだ。きっと次の仕事を割り振られるのだろう。気楽に構えて喫茶店の椅子に座った。

「調査はご苦労様だった」

まあ、そんな話から始まるのが大人の、仕事の話である。

「それで、君たちの調査でデータ放送局は新しい事業になりそうなことが分かった」

200社にあたった結果だもんな。ご理解いただいてありがとうございます。ま、誰が読んでも理解できるように書いたのだけれど。

「そこでだが」

さて、どんな仕事が待っているのか。

「君たち2人、そのデータ放送局に出向して、新しい会社を立ち上げて欲しい」

!!

出向? 新規事業の創出?
想定外である。とんでもない話である。たかが新聞記者に起業なんて出来るはずがないではないか。

「知っていると思うが、日立、富士通、キヤノンと朝日グループでデータ放送局を作る。そこに行ってもらいたい」

ちょっと待って下さいよ。そんなつもりで調査活動をしたのではないんですが。でも、この人事、断る自由は私たちにありますか?
というのは、その場での私の内心の言葉だった。だが、局次長が言い渡したのだ。サラリーマンである私たちに拒絶の自由があるはずはない。
しばらく考えて、私はいった。

「分かりました。その会社に行きましょう。でも、この人事は間違っていると思います」

局次長からは

「どうしてだ?」

という当然の質問が戻ってきた。

「朝日新聞というのは緩い会社です。この会社にいればぬるま湯に浸かっていることが出来る。でも、これから新しい会社をつくる仕事は極めて厳しいはずです。新会社を軌道に乗せるには心身ともに膨大な負荷がかかるでしょう。それを考えれば、新しい会社を作るかどうかの市場調査を命じられて前向きのレポートを書いたら、その会社に出向して立ち上げをさせられるというのなら、その種のレポートは後ろ向きのもの、そんな事業は成り立ちにくい、というものになってしまいます。事前の調査をする社員と、起業に従事する社員は分けないと、朝日新聞は永久に新規事業を始められないのではないでしょうか?」

というのが私の理論である。そしてさらに言葉を継いだ。

「今回は新会社を作るまでにあまり時間がない。そしてデータ放送を誰よりも理解しているのは私たち2人でしょう。だから、私たちが出向するのはやむを得ないと思います。でも、今後はこのような人事は避けるべきだと私は思います」

局次長からは反応はなかった。

「何を生意気なことをいう!」

とでも思っていたのかも知れない。

こうして私の、後にデジタルキャスト・インターナショナル(デジキャス)と呼ばれる会社への出向が決まった。