2024
04.17

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の21 ホールの根本的改革を考え始めた

らかす日誌

とうとう私は飛んでもないことを考え始めた。ホールの収支をせめてトントンに、できれば黒字にしたいと思い始めたのである。
黒字といっても、あの11億数千万円を全部稼ぎ出してやろうというのではない。運営黒字、つまり私が就任した当初、3億3000万円ほどあった運営赤字を何とかしたい、という目標を掲げたのだ。

何度も書いたが、会社が求めているのは朝日新聞主催の公演を、年間1500万円以内の赤字で開催することである。一度黒字化した後は、私に相談しながら確か1000万円程度の赤字に引き下げられたが、相変わらずそのほかのホールの収支には全くの無関心なのである。だから、運営黒字を出すというのは、誰に強いられたものでもない。自分で、ふと思いついたのである。

決して、遊び感覚で思いついたのではない。ホールを独立会社したい、そのためには少なくとも運営赤字をなくさなくてはと、まともに考えたのである。

ホールの運営が収支トントンでできるようになれば、ホール部門を会社から分離して新しい会社にし、朝日新聞と契約を結んでホールの運営を引き受ける。朝日新聞としては、面積割りでホールに割り当てている税金や、設備の維持管理費は、いずれにしても出て行く金である。いまは、それに加えて3億3000万円ほどの赤字が出ている。新しくできる会社が、

「その3億3000万円を不要にしてあげます」

といえば、運営を任せても損はない。むしろ、私を含めた朝日新聞社員のホール担当に人件費は不要になることもあって、赤字減らしの役にたつ。

では、新会社のメリットは何か? みんなの働きに応じてみんなの給与を決めることが出来ることである。利益が出ればみんなで分け合う。悪い年はみんなで我慢する。私は、朝日新聞社員と朝日建物管理社員の間にある給与格差、待遇格差がなんとも我慢ならなかったのだ。

少し話がずれるが、私に

「朝日新聞っていい会社だな」

と思わせたことがある。それを少し説明したい。

ずっと昔のことだが、朝日新聞記者には2種類の採用があった。全国採用と地方採用である。
全国採用されるのは採用試験を通った人たちである。いわばキャリア組だ。
地方採用は試験を経ずして様々な理由で採用した人たちである。朝日新聞でアルバイトしていたら

「君、朝日に入らないか」

と声をかけられた。
あるいは、全国採用を目指して試験を受けたが及ばなかった。その時、

「地方採用で良ければ採れるんだが」

と声をかけられた。
私の知らない採用のされ方が数多くあったのだと思う。そして、地方採用された人たちは、原則として地方の支局、通信局と呼ばれた前線での取材を担った。原則としいずれは政治部や経済部、社会部など中央に配置されるキャリア組とは違い、彼らはよほど仕事が出来ない限り、原則として地方を渡り歩きながら取材活動をした。

それは入社するときに説明を受けて合意した条件である。おかしなことはない。それに、地方取材が中央での取材よりレベルが低いということもない。中央には中央の取材対象があり、地方には地方の取材対象がある、というだけである。

おかしいのは両者に給与格差があったことだ。
朝日新聞の給与は、基本給と時間外手当の2本立てである。それなのに、同じ仕事をするにもかかわらず、地方採用の記者には時間外手当が支払われなかった時期があったのだ。

地方取材の拠点は、各県庁所在地にある支局(いまは総局という)である。支局には全国採用組と地方採用組が混在する。
そして朝日新聞には、基本給と時間外手当が別の日に支給された時期があった。給与の支給はいまと違って現金で行われる。その日になると、一人一人の記者に、封筒に入った基本給、時間外手当を手渡していた。

このような慣行の中で、基本給と時間外手当が別の日に出ると困ったことが起きる。基本給の日は全員が現金入りの封筒を受け取る。しかし時間外手当の日は、全国採用の記者しか現金入りの封筒を受け取らないのだ。目で見え、耳で聞こえ、全身で感じ取ることが出来る差別である。

「時間外手当の日には、その時間が近付くと地方採用の人たちは連れだって飲みに出ていた。それこそ、コソコソそって感じでね。やっぱり見るのがつらかったんだろうな」

とはずっと上の先輩に聞いた話である。まったくひどい会社もあったものだ。

これだけなら朝日新聞は恥ずべき会社ではあっても、尊敬すべき会社ではない。
この不平等の是正に立ち上がった組織があった。労働組合である。会社と粘り強く交渉を続け、ついには

「全国採用者の給与を減らしてもいい。全国採用と地方採用とを同じ給与体系で扱え」

と会社に迫り,飲ませてしまったのである。私が入社するずっと前のことだ。だから、私は低くなった給与を最初からもらっていたことになる。

以上は私が朝日新聞に入社直後、三重県の津支局にいたときに古株の先輩から聞いた話である。若い私たちを(そう、私にも若いときがあった!)何かといえば怒鳴りつける苦手な先輩ではあったが、この話だけは何故か良く覚えている。きっと

「ああ、素晴らしい会社に入ったものだ」

と心に響いたからだろう。この先輩は地方採用組だったから、話の一部には体験談が混じっていたのかも知れない。

私は待遇格差のない会社で好きな仕事が出来ることを誇りに思ってきた。しかし、いつからだろう、朝日新聞はまた昔の朝日新聞に戻り始めた。派遣社員、業務委託など様々な名称で、同じ仕事をするのに給与も待遇も違う人たちを社内で使い始めたのである。ホールで朝日建物管理の人たちが働いていたのも、子会社に委託業務を受託する部門を新設させて始めたのだろう。

国際競争力を強化するには人件費の抑制が必要だ、といううたい文句で、世の中ではさまざまな工夫が始まった時期がある。契約社員も業務委託も派遣社員もその1つとして導入されたと記憶する。新聞という商品の価値が年々下がって収支尻を合わせるのがだんだん難しくなる中で、朝日新聞が人件費の抑制に取り組んだとしても不思議ではない。
しかし、多くの企業が人件費の抑制、あるいは

「働き方の多様化」

という美名を掲げて雇用形態を変え続けた結果が、正規雇用の減少である。40歳になってもアルバイトの仕事しかなく、結婚も出来ない男性がいるそうだが、このような格差社会を生み出したのが政府も巻き込んで進められた働き方改革(という言葉で良かったっけ?)であった。

そして、朝日新聞はそのような雇用形態の変化に警鐘を鳴らし続けたのではなかったか?
社会に向けては

「それは好ましいことではないのではないか」

といいながら(紙面で確認していないので、多分、としておく)、自分の会社では派遣労働や業務委託を進める。

「それって、全国採用と地方採用で給与体系が違った昔に戻ったことになるのではないか?」

こうして私は、自分の勤め先に対する敬意の1つを失った。失った後で、業務委託先の人たちと同じ職場で働くことになったのである。

私は、出来ることなら、この職場から給与や待遇に関する不平等をなくしたいと思った。もっと好きになれる職場を作りたかった。その手段が、ホールの別法人化だった。私は自分の体験を下敷きに、ホールの独立を考えたのである。

とはいえ、誰にも打ち明けることはなかった。簡単にできることではない。在任中に実現できる自信など全くなかったからである。