2024
05.09

私と朝日新聞 桐生支局の10 テレビの記者を殴りつけたくなった

らかす日誌

この野郎、殴りつけてやろうか、と思ったことがある。6年生の女児が自殺をした小学校の校長が記者会見を開いた11月8日のことである。

場所は、確か桐生市新里支所の会議室だった。早めについた私は、前から3,4列目に席を取った。前を見ると、読売新聞桐生支局の若い記者が最前列にいる。

「おお、張り切ってるな」

そう思っていたら、読売の記者に近寄った男がいた。すぐ目の前の出来事なので、会話は筒抜けである。後で現れたのはどこかのテレビ局のカメラマンらしい。

「済みません。あなたがそこに座っているとカメラのフレームに入ってしまうので、席を移ってもらえませんか?

自分のことではないが、聞いて私はムッとした。先に来て席を取っている人間に、遅れてきたヤツが、邪魔になるからどけ、と言っている。ふざけた野郎である。読売の記者は断固拒否するものだと思っていた。ところが、

「ああ、そうですか」

と腰を浮かし始めるではないか。思わず私は怒鳴ってしまった。

「おい、I 君、座ってろ。そこは君が先に来て取った席だ。遅れてきたどっかのテレビの都合で移動する必要なんかないぞ! そこに座れ。テレビカメラの位置を移すのが筋だろう!!」

私の声を聞いて、そうだと思ったのだろう。浮きかけた腰は再び椅子に落ちた。テレビ局の男は私をチラリと見ると、去って行った。

だが、このテレビ局の野郎は、私が殴りつけたいと思った相手ではない。殴りつけたくなったのはもう少し後、記者会見が始まってからのことで、相手はテレビ局の記者だった。

マイクの前に座った校長は学校でいじめがあったことは認めたが、

「いじめが原因で自殺したとは特定できない」

と説明した。

「女児のそれまでの学校生活の中で『死』を感じ取らせるような様子や言葉などがなかった」

とも語った。その校長がテレビ記者の集中砲火を浴びたのである。

「あんた、学校の責任を認めないのか」

「何で逃げるんだ?」

「どう責任を取るつもりなんだ?」

私に言わせれば、暴言のオンパレードである。どうやら東京からはるばるやって来たテレビの記者たちらしい。聞いていて、無性に腹がたった。まだ事件発生から2週間ほどである。真相の全てが分かっているはずはない。それなのに、こいつらは学校でのいじめが自殺の原因だと一方的に決めつけて校長を責め立てる。罪を認めて謝罪しろと追及する。お前ら、事件の周辺を取材したのか? 法廷でも立証できるだけの証拠を集め得たのか?
記者とは、それぞれの会社の入社試験に通っただけの存在に過ぎない。国家試験に通って法曹資格を認められたものではない。国家によって警察権を与えられたものでもない。選挙で選ばれたわけでもない、何の資格も持たない、一介のサラリーマン記者に過ぎない。お前たち、何の資格があってそんな暴言を吐くのか? それも、お前たちは東京で、どこかの新聞の飛ばし記事を見て裏付けも取らずに全てを知った気になっているだけではないか。
事実に対して真摯に向かい合うのが記者の原点であるはずだ。あやふやな根拠で人を犯罪者扱いするのは記者としてあるまじきことだというぐらいの常識も持ち合わせていないのか?

私が殴りつけてやりたくなったのは、こいつである。
とはいえ、公の記者会見場で朝日の記者が他社の記者を殴ったとあっては、立派なスキャンダルになる。ここはジッと我慢の時なのだ。私は、非暴力主義者である。

しかし、こいつら。東京でも同じような決めつけ質問をしているのか? テレビのニュース、ワイドショーは、こんな記者とも呼べない、言葉で相手を脅す暴力団まがいの連中が作っているのか? それとも、田舎の校長が相手だからこれほど居丈高になるのか?

12歳の少女が自ら命を絶った。彼女の死を無駄にせず、次の自殺を防ぐにはまず事実をできるだけ明らかにするしかない。いたずらに学校の責任を言いつのっても、何の教訓も得られないはずである。

あの連中、今でも同じような取材まがいの暴言をあちこちで吐き散らしているのだろうか?