2024
05.10

私と朝日新聞 桐生支局の11 専門家に聞くいじめと自殺

らかす日誌

事件は結局、両親が桐生市と群馬県を相手取って損害賠償の訴訟を起こし、確か最後は和解が成立して数千万円が支払われたと記憶する。
あの両親に賠償金。大きな違和感を感じたが、ことは司法の問題である。私がとやかく言う立場にはない。賠償金がパチンコ屋に流れ込まねばよいが、と考えたり、死んだ女児には確か妹がいたが、まともに育てられているのだろうか、と懸念するだけである。

しかし、1人の女の子が死んだのである。ただ事件の全容をレポートし、裁判の結果を記事にするだけでいいのだろうか? と思い続けた。
考えてみれば、「いじめ」はどこにでもある。私だって、小学生の時を思い出せば、いじめているという意識なしにいじめに手を貸していた記憶があるし、いじめられたこともある。ある日を境に、クラスの全員(除く1人)が私を無視し始め、数ヶ月続いた。だが、自殺した友達はいなかったし、私だって自殺しようと考えたことはない。
大人の世界にもいじめはある。昔からある村八分は、一面では集団による制裁だが、制裁される側から見ればいじめである。陰口が存在しない組織はないだろうし、最近流行のパワハラ、モラハラだっていじめの一形態だ。周りに比べて出世が遅れたサラリーマンは、組織的ないじめの被害者だともいえる。
「いじめ」は許されない行為だとは思う。だが、どうやら人間の集団にはいじめは付き物のようでもある。

であれば、例えいじめられても、そんなものを跳ね返してたくましく生きていく子どもを育てるしかないのではないか? 私はそう思った。だが、私は教育の門外漢である。専門家の話を聞いて記事にしたいと思った。それが、女児の死を無駄にしないことではないか?

どういう伝手で探し当てたのかは記憶にない、私がインタビューしたのは駒澤大学総合教育研究部の伊藤茂樹教授である。以下、その記事を全文引用する。

報道に暗示の可能性
徹底監視には副作用

いじめと、いじめを原因とする自殺は全く別のことである。いじめによる自殺は社会によって選ぶように仕向けられたという面が重要ではあるが、あくまでも自分で選んだ行為である。
いじめは昔から子供の世界にあった。しかし、そのために命を絶つ子供は1970年代中頃まではほとんどいなかった。ところが80年代にいじめが原因といわれる自殺が続いた。メディアはいじめられた子供に同情し、いじめた側やいじめという現象を避難し、自殺の動機としてのいじめの根絶を訴えた。
無論、善意からの報道だったと思う。だが、それは追い詰められた子どもたちに「暗示」としても作用し、自殺が改善や救済、報復につながる適切な行為だと思う者も出てきた。いじめが自殺の正当な理由になり、自殺の報道が新たな自殺を招いてしまった。
われわれは、いじめをなくせ、いじめで死ぬなと正論を叫びカタルシス(浄化)を得てきたともいえる。自殺した子はその被害者でもある。
では、どうすればいいのか。いじめを語る時、できるだけ人間性や,情緒、教育的な意味合いなどを省き、「面白くないもの:にすることを提案する。天災と同じように、予防法や対処法をテクニカルに語る。あわせて、いじめで自殺するのは@かわいそう」ではなく、「死んだらいじめた側は喜ぶ」と伝える。
いじめをなくすことの副作用も考慮した方がいい。
いじめの根絶は不可能ではないかもしれない。でも、そのためには学校での子供たちの様子を、徹底的に監視しなければならない。そうすればいじめはなくなるだろうが、四六時中監視されることの息苦しさなど、様々な逆効果が予想される。
無論、いじめを肯定するのではない。道徳的に許せないし、多くの子どもが苦しんでいる。「いじめはあってはならない」というのは否定しようがない。だが、その絶対的な正論が思考停止を招いている面も否定できない。事件が起きる度に同じ言説が繰り返され、それにもかかわらず、同種事件が再発し続けているのはそのためではないか。
いじめと自殺に別の側面から光を当て、まずは自殺について真に効果のある対策を打ち出さねばならない。

やや意味が不明瞭なところがあるが、私の筆がまずかったのか、前橋のデスクが不要な筆を入れたかのどちらかだろう。
伊藤教授の話は、

「いじめと自殺はあまり関係がないのではないか?」

という私の疑問に対する答の遙か上にあった、重要なのは次の2点だと思う。

・いじめによる自殺という報道が、自殺を考える子どもたちの背中を押している
・いじめの根絶は不可能ではないだろうが、重篤な副作用の恐れがある

とすれば、できるだけ報道を抑えようとした私の試みは少しは世の役に立ったのか?
いじめに負けずにたくましく生きていく子供を育てなければならないというのもまんざら当たっていないわけではないのではないか?

小学校6年女児の自殺は、色々なことを考えさせてくれたのであった。