2024
05.17

私と朝日新聞 桐生支局の18 板橋工学部長にインタビューした

らかす日誌

前回までが、私が放射性物質取材を始めるにあたり、勉強したことのほとんどである。ほかにも2,3冊の本を読んだかも知れないが、きれいさっぱり忘れた。
忘れたといえば、この本も同じである。細かなことはほとんど頭に残らず、記憶のとどまったのは

「そうか、放射線は正しく怖がらなければならないのか」

という程度だった。
であれば朝日新聞の読者に、少なくとも群馬県の朝日新聞読者に、正しい放射線の怖がり方を伝えなければならない。だが、どうやって? 生半可な知識で私が論文を書いたって、誰も読んではくれないぞ!

頭とは使ってみるものである。考えてみたら、桐生市には群馬大学工学部(現在は理工学部)がある。理科系の学部では放射性物質も扱うはずだ。放射性物質を実験などで使うのなら、放射能の正しい怖がり方を教授たちは自家薬籠中のものにしているはずである。

私は取材で知り合った赤岩英夫・元群馬大学学長を思い出した。堂々たる風貌の、いかにも学者らしい風格のある人である。赤岩先生に放射線の正しい怖がり方をインタビューしたらどうだろう?

早速電話をかけた。

「というわけで、先生、インタビューに応じていただきたいのですが」

「趣旨はわかったが、僕はもう現役を退いた立場だからね。表に出るのはちょっと……。でも、それぐらいの話なら、いま学部長をやっている板橋君でもいいじゃないか。彼なら現役だし」

「しかし、板橋先生は分析化学が専門でしょう。ちょっと分野が違うのではないかと思いますが」

「大丈夫だよ。それぐらいのことなら彼でも話せるから」

こうして板場歯学部長にインタビューしてまとめたのが次の記事である。

問題は被爆の総量
正しい知識を持って
群馬大が放射線シンポ 桐生で来月5日

群馬大学が9月5日、桐生市織姫町の市民文化会館で、市民向けのシンポジウム「身のまわりの放射線を正しく理解する」を開く。東京電力福島第一原子力発電所の事故後、研究者や専門家が個人で放射線について話す場面は増えたが、今回は大学が責任を持つ形で開く。ねらいや放射線についての考え方を、板橋英之工学部長(49)に聞いた。

——放射線について大学が責任を持って市民に語りかけるのは珍しいのでは。

「群馬大学は年1回、地域貢献シンポジウムを開いている。11回目の今年は工学部が担当で、いま一番市民の役に立つのは何かと考え、放射線を取り上げた。工学部には放射性物質を分析できるセンターがあり、ビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が浴びた死の灰を分析した歴史がある。医学部は放射線を使った治療では、千葉市の放射線医学総合研究所と並び、世界的な拠点ともなっている」

——専門家がそれぞれに放射線の知識を市民に伝えればすむのでは。

「原発事故の後の市民の不安は理解できる。だが、報道などで、群大工学部のOB 教授も含めた専門家の方々が、放射線の危険性を過大に表現することが目立つと感じていた。確かに一定レベルを超えれば危険だが、例えば食品に1ベクレルでも入っていれば危険だ、というのは正しくない。市民の不安をあおるだけだ」

——放射線は微量でも危険だと考える人が多い。

「普段浴びている量と比べて極端に多ければ危険だが、被曝量が一定の範囲内に入っていれば大丈夫だ。ラジウム温泉に入れば被爆するし、X線などの検査でも被爆する」

——人間と放射線は共存できると。

「自然界には放射性物質がある。例えば必須栄養素のカリウムには、0.0117%の割合で放射性カリウムが入っている。炭素にも一定割合で放射性物質の炭素14が混じっている。だから、人間はこの世に現れた時から、体内に数千ベクレルの放射性物質を持ちながら生存してきた」

——それは自然界にある放射性物質で、原発事故で人工的に加わった放射性物質ではないが。

「自然界にないから怖いという人がいるが、ベータ線やガンマ線などの種類が同じならば、放射線を出す物質が違っても、エネルギーが多少違うだけで大差はない。いま問題になっている放射性セシウムよりも、高いエネルギーを出す物質は自然界にもたくさんある。問題は被爆する放射線の総量であって、原発事故の後も、群馬県など原発から離れている地域の被曝量は心配しなければならないほど上がってはいない」

——シンポジウムではどんな話を。

「放射線と放射性物質の違いなどの基礎から、人体への影響まで、それぞれ専門の先生にわかりやすく話してもらう。むろん、放射線は全く無害なものではない。だが、正しい知識を持たずに、やみくもに怖がる方が健康にはるかに悪い。当日は質問も受け付ける。不安に思うことがあれば、ぜひ質問してほしい」

以上である。
なお、赤岩先生はとはその後、杯を交わす仲となり、亀山市長、板橋教授たちと年に数回宴席を持った。その赤岩先生は2019年2月に逝去された。現役時代の教え子と酒を飲み、自宅近くでタクシーを降りたあと転倒して縁石に頭を強打され、確か2年ほど意識が戻らず、そのまま逝かれた。私も葬儀の末席をけがしてお見送りした。冥福を祈る。