05.18
私と朝日新聞 桐生支局の19 桐生市議会に、庭山由紀という議員がいた
桐生市議会に、庭山由紀という議員がいた。反骨精神の固まりのような女性で、頭脳は明晰。私が見る限り、当時の市議会では最も頭が切れる議員であった。
ところがこの市議、何かと問題が多かった。私が桐生に赴任して間もなく、男性市議が自分の車の中でカッターナイフで首を切り、自殺した。
それだけなら
「何で?」
で済む話だった。周囲を困惑させたのは、その車が止まっていた場所である。庭山市議の自宅のすぐそばだったのだ。おかげで
「何で? 何でだよ!」
になった。
なぜ庭山市議の自宅のすぐ近を死に場所にしたのか。普通に考えれば、庭山市議に深い怨みを持ち、自分の死で復讐をしようとした、ということになるのではないか。
だが、何故そこまでの怨みを抱くようになったのか。周辺取材もしたが、誰も首をひねるばかりでわからなかった。小さな記事にしかならなかった。
庭山市議はそれからも、何事もなかったかのような表情で市議会に出席した。やがて、あの男性市議の自殺も人々の口に上らなくなった。
その庭山市議が脚光を浴びたのは、福島第一原子力発電所の事故の後のことである。庭山市議は、どうしたわけか桐生を、福島第一尾原子力発電所から飛び出した放射性物質にひどく汚染されたと思い込んだらしい。放射線をあまり知らず、反原発の姿勢を取っている人にありがちなことである。
加えて庭山市議はインターネット時代のど真ん中にいた。議員としての活動に、SNSを取り入れていたのである。彼女はツイッター(いまはXというらしい)に桐生市役所前に止まる献血車の画像を投稿、
「放射能汚染地域に住む人の血って、ほしいですか?」
との文章を添えた。
それだけではない。桐生市のある地域で生産される農作物について、
「毒物を作る農家の苦労なんて理解できません」
とツイッターでつぶやき、地元農協の組合長を
「犯罪者」
と表現していた。
これらの投稿が炎上した。桐生市議会事務局には
「放射能汚染地域の住民への差別だ」
といった苦情が電話やメールで殺到した。騒ぎの始まりである。
市議会には、普段から庭山議員を快く思わない人々がたくさんいた。そのにっくき庭山議員が自分で転んでくれた。この機を逃すはずがない。17人が集まり、市議会議長名で
「献血を行っている方々の気持ちを著しく傷つける」
なという抗議文を作成。群馬県農業協同組合中央会など農協4団体や市区町会連絡協議会など9団体、それに6巣赤ら庭山議員の辞職を求める要望書も提出された。
この間、私たちは庭山議員に取材を申し込んだが、無視された。
市議会ではまず、問責決議案の提出に動いた。ところが、議院運営委員会に出席した庭山議員は謝罪も訂正もせず、改めて農作物を「毒物」と表現。反省の色を一切見せなかった。
「この野郎!」
といきりたったのか、それではと市議会は問責決議案を懲罰動議に切り換えた。可決されれば庭山議員は失職する。懲罰動議の可決には3分の2以上の賛成が必要で、当時の桐生市議会の定員は22人だった。15人の賛成者がいれば可決・成立する。すでに17人が抗議文に署名しているから、この時点で庭山議員の失職が決まったといえる。
庭山議員の失職が決まったのは2012年6月20日である。この日の市議会での採決前、弁明に立った庭山議員は
「市や市議会は、自分たちのお金や立場より市民の安全を目指すと買いかぶっていた。ごめんなさい」
とうそぶいた。なかなか根性が座っているともいえる。
賛成18、反対2、棄権1での可決だった。
その後庭山氏は、家族を伴って中国地方に引っ越していったと聞いた。ということは、彼女は桐生が放射能高度汚染地区であると頭から信じ、怯えていたらしい。私と同じ本を読んで、放射線の正しい怖がり方を学べばよかったのに、と思う。
そういえば私が板橋教授にインタビューして書いた放射線の正しい怖がり方の記事は、この騒ぎの少し後に紙面に出た。もう少し早く記事にしておれば、こんな騒ぎは起きなかっただろうか?
なお、私が書いた庭山議員失職の記事は、その日Asahi.comで最も読まれた記事になった。