2024
05.19

私と朝日新聞 桐生支局の20 亀ちゃんに1000円のタバコをプレゼントした

らかす日誌

東日本大震災の後始末、といえば表現は悪いが、どのような災害が起きようと、その後も人は生きねばならない。災害の後始末をしなければならない。

被災地で大きな問題になったのが、被爆瓦礫の処理である。なにしろ、地震と津波で山ほど、といっても足りないほどの瓦礫が出た。とりあえずは1カ所にまとめて山積みにした。しかし、いつまでもそのままにしておいたら、被災地の復興はない。処理しなければ被災地に明日はないのである。
だが、被害は膨大だった。瓦礫も膨大である。地元の焼却処理上だけではとても処理しきれない。どこか助けてくれませんか!

だが、ガイガーカウンターをあてれば幾ばくかの放射線量が検出される汚染瓦礫である。自治体の首長として

「ああ、いいよ」

と簡単に引き受けられるものではない。

「そんなものを運び込んで、住民の健康をどうするつもりだ!」

という市民がいるからである。

私は瓦礫問題が表面化してから、毎月の定例市長会見でこの問題を問い続けた。桐生は被爆した震災瓦礫を受け入れるのか?
いや、誤解していただいては困る。

「受け入れてはいけない」

という質問の仕方ではない。

「まだ受け入れないのか?」

という趣旨の質問である。

いま、東北の被災地は地震と津波と原発の事故でヘトヘトになっている。積み上がった被爆瓦礫で明日の設計もできない。おいおい、同じ日本人として、あの人たちだけに負担を押しつけていいのか? 手伝えることがあるのなら、手伝うのが人の道ではないか? 桐生市のごみ焼却場にはまだゆとりがあるではないか。だったら、瓦礫の処理を引き受けろよ。

確かに、被爆した瓦礫を桐生市で焼却すれば幾ばくかの放射性物質がこの地にもやって来る。だが、住民の被曝量は現地の人々に比べればはるかに低いはずである。それなのに

「私たちは一切被爆したくない」

と言いつのるのか? それは究極のエゴイズムではないか? 困っている人たちがいる。その困っていることを幾分か引き受けることができるのなら、多少のことは引き受けなければ、桐生が困った時、他の自治体は助けてくれないぞ。それでいいのか?

私はそう考えた。そういう趣旨の質問であった。

亀山市長は私の質問をそらし続けた。どんな言葉でそらしたのかは、遺憾ながら記憶にない。だが、引き受ける、とも、引き受けない、ともいわない。ただそらし続けた。
今になって考えれば、おいそれと引き受けられないのは理解できる。市長というのは選挙で選ばれる。有権者にそっぽを向かれては市長にとどまってはいられない。なにしろ、相手は被爆した瓦礫である。まず、科学的に安全性を確かめ、そのデータを持って焼却場の周辺住民の了解を取り付けなければならない。説得しなければならない。行政として、地元対策が進まなければ、

「引き受ける」

とは、市長はいいたくてもいえないのである。
それは、質問している私にも十分理解できることだった。だが、これは質問し続けなければならない問題である。記者会見のたびに、私は

「被爆瓦礫を引き受けるのかどうか」

しつこく質問し続けた。

それなのに、ああそれなのに、それなのに。私は桐生市が瓦礫を受けれることを決めた、という記事を、上毛新聞に抜かれた。2012年5月初めのことである。もちろん、追いかけて記事を書いた。5月9日、桐生市の市災害廃棄物受入監視委員会(委員長・赤岩英夫群馬大学名誉教授)の初会合で、市が宮古市から受け入れると表明したのをとらえて記事にした。追いかけ記事である。記者としては屈辱的なことである。
が、私は嬉しかった。震災瓦礫の受入を決めた桐生市には、まだまっとうな判断力があったと喜んだ。

それから数日後、私は20本入り1000円のタバコ「ピース」を持って秘書室を訪れた。亀山市長は不在だった。私は

「これ、亀ちゃんに渡しておいて」

と秘書課長に託した。

「亀ちゃんにこの間1本吸わせてあげたら、『美味い』っていってたんだ。これ、震災瓦礫の受入を決めてくれた、ことへのプレゼント、っていっておいて」

人間関係とは、そんなちょっとしたことで深まっていくものだと私は思っている。

桐生市はその後行政手続きを進め、2012年6月20日、災害廃棄物受入監視委員会が

「放射性廃棄物の危惧に関する限り、問題がない」

という答申を出した。亀山市長は2日後の記者会見で

「東日本大震災の災害廃棄物を受け入れる」

と正式に表明した。