05.20
私と朝日新聞 桐生支局の21 「これ以上桐生を汚すな」だって……
一騒動あったのは5月26日のことである。この日、宮古市から試験焼却用の瓦礫、4.3トンが桐生市清掃センターに届いた。ここに反対派が実力阻止行動に出たのである。
反対派の動きを知っていたわけではない。しかし、試験用とはいえ、いよいよ震災瓦礫の受入が始まる日である。私も含めて全社の記者が瓦礫搬入の取材に来ていた。
反対派の人数は約20人。その後失職する庭山市議は子供連れで反対派の中に入っていた。まあ、子供連れで来るのだから、実力阻止といっても実力の振るい方には限度がある。
「これ以上桐生を汚すな」
と書いたプラカードがあった。ふむ、汚れたものは全て桐生の外で処分しろってか。桐生だけは安全で清潔な町にしておけ、ってか。全ての市町村がそんなことをいっていたら、被災地の人たちはどうなる?
驚いたことに、三脚にiPhoneが設置された。
「あれ、何するの? 写真でも撮るのかね?」
「いや、聞いた話だたと、あのiPhoneで反対行動をライブ中継するんだって」
ふむ、反対行動も様相が変わったものだなあ。学生時代の反安保闘争なんて、デモに出て、お巡りさんに殴られるのが常だったが、そうか、ライブ中継か。何人の人が見るのか知らないが、見る人にとっては、単なる
「面白そうな騒ぎ」
に過ぎないと思うのだが、それが反対運動の役に立つのかね。
瓦礫を積んだトラックが到着したのは午前7時半頃である。反対派がトラックの前に立ちはだかって焼却場への入場を阻止する。この日は群馬県職員も立ち合っており、反対派をなだめに行くが、当然のことながら話し合いは決裂し、反対派はトラックの前に寝そべり始めた。
まあ、形だけは
「絶対阻止!」
にも見える。だが、次に起きたことは、当然起きるべきことであった。警戒に当たっていた警察官が排除したのである。
この間、約2時間。排除された反対派はそれ以上の行動は起こさず、瓦礫は焼却場に運び込まれた。
しかし、である。反対運動って何なのだろう? 絶対に阻止するのが目的なら、もっと過激な行動に出るしかない。場合によっては自分たちは傷ついたり、逮捕されたりするだろう。あるいは清掃センターの職員、市や県の職員、取材に来ている記者たちを傷つけることになるかも知れない。そこまでの覚悟を固めなければ「絶対阻止」はできない。
だが、この日の反対派の動きを見ていると、そこまでのことは考えていないことがはっきりしていた。つまり、震災瓦礫の搬入を阻止することより、反対行動をしたという事実を残すことの方が彼らにとっては重要なのである。
それって、単なるパフォーマンス、自己満足ではないのか?
それに、である。当日同行していた宮古市の宮古地区災害廃棄物破砕・選別業務JV工事事務所の職員が痛烈な一頃を残した。
「宮古は食品の出荷制限はない地域。それを誤解させるような行動は被災地の風評被害を招き、復興の妨げになる」
震災瓦礫に受入はその後、粛々と進んだ。6月15日、試験焼却の結果を桐生市が発表した。焼却灰、排ガス、排水などの放射性セシウム濃度は、どれも国の基準を大きく下回っていた。
こうした経過を経て、本格的に搬入が始まったのは9月27日だった。この日を皮切りに、桐生市は震災瓦礫2万トンと受け入れた。少しは被災地のお役に立ったはずである。