2024
05.21

私と朝日新聞 桐生支局の22 政権が変わる選挙を取材した

らかす日誌

自民党が週銀選挙で大敗。民主党に政権の座を明け渡したのは2009年8月のことである。いま思えば、

「いったい何が起きたのか?」

といいたくなるほど、この衆議院選挙には熱気があった。自民党を政権から引きずり下ろす。日本中がまるで熱病にかかったかのように、

政権交代

が世の中を闊歩した。10年ぶりに記者に戻った私は、桐生の地でこの熱気に包まれた。

私は長く、経済記者だった。選挙の取材をしたのは札幌時代が最後である。あれからもう20年以上の時が流れた。いまさら、選挙の取材? 面倒だな。
それに、私は選挙は嫌いである。あの、投票で代表者を決めるというシステムにどうにも馴染めない。民主主義の基本は

出たい人より出したい人

なのだとずいぶん昔に聞いた。しかし、立候補者は「出たい」人ばかりである。
いや、「出たい人」の中にも、「出したくなる人」はいるのかも知れない。だが、選挙公約を読んだり、街頭での演説を聞いたりしても、抽象的なきれいごとのオンパレードである。

「おいおい、あんた、本当にそんなことをやるのか? できるのか?」

あのJohn・F・Kennedyは演説の名手だった。

And so my fellow Americans,
ask not what your country can do for you,
ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world,
ask not what America will do fou you,
but what together we can do for the freedom of man.
(だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。
世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由 のために、一緒に何ができるかを問うてほしい)

と締めくくった大塗料就任演説は、確かレコード(ソノシート?)になった。背景に音楽が流れ、

Together, together……

のヴォーカルが流れる上にケネディの張りのある声が乗る。いまでいえばラップのようなものか。みんなで新しい世界を作ろう。私がその先頭に立つ、というメッセージがビンビンと伝わってくる名演説だった。聞いた記憶があるから、きっと買ったのだろう。

政治家からはあのような言葉を聞きたい。あれなら私だって「出したくなる」だろう。しかし、日本の政治家の演説ときたら……。聞けば夢と希望がなくなり、

「この人、この程度の軽い頭で国民の上に立とうというのか?」

と絶望感に駆られるものしか聞いたことがない。
私は、政治も政治家も嫌いである。だから、実は選挙の取材もあまり好きではない。

が、長く続いてきた自民党政権を倒す選挙とあれば、取材にも力が入らざるを得ない。様々な分野のキーマンと言われる人々にインタビューを重ねた。

群馬は誰もが知る保守王国である。

「確かに自民党は衰弱した。しかしね、民主党に政権が担えるか? どれだけ自民党が衰えようと、やっぱり自民党しかないのだよ」

という話を聞くのだろうと歩き続けた。しかし、私の予想はみごとに裏切られた。

「私? ずっと自民党だよ。でもね、もうダメだ。自民党は一度、下野しなくちゃいけない。うん、この選挙は民主党をやるよ」

そんな話ばかりなのである。

「あ、世の中が変わるんだ!」

ワクワクするような気分で取材を重ねた。珍しく、8月30日には投票にも行った。

私が住む桐生市は、群馬2区である。自民党の笹川堯氏と民主党の石関貴史氏の実質的な一騎打ちだった。どちらの候補も取材した。

石関候補とは、桐生の選挙事務所で会った。数人の記者と一緒に記者会見に臨んだのである。1時間ほどのやり取りだったが、

「あ、この人、政治家にはなれないわ」

と思った。話の組立て方、人との会話の仕方が、キャリア官僚丸出しなのである。新聞記者から質問を受けながら、

「あなたが言っていることは、この点とこの点が間違っている。現実はこうなっているので、私はこのように施策を組み立てる」

などと、次々と新聞記者を論破するのだ。
彼は元郵政官僚である。官僚であるならば、論理を武器に同僚、業界関係者と議論をし、論破して自分の考えた施策を実行に移すことが求められる。それが優秀な官僚のあり方である。
しかし、政治家とは人の話を聞かねばならない仕事だ。

「バカなことをいっているな」

と思ってもおおむねはニコニコして聞く振りをする度量がなければ、政治家としては大成できない。話す相手を次々に鋭いナイフで切り刻んでいれば、周りは敵ばかりになってしまう。

新聞記者如きを論破してどうする? 私は

「困った人だな」

と感じた。困った人は民主党政権が崩壊した後の衆議院選挙では日本維新の会に乗り換えて選挙に臨んだ。そういえば、民主党に入る前は、自民党員だった。この人、どうなっているんだろう?

笹川候補は、確か演説会を聞きに行った。ああ、自民党の国会議員というのはこんなベタな話を有権者にして赤絨毯を踏んでいるのか、とガッカリするような中身だった。

この2人の対決である。

そして、保守の地盤が分厚い群馬2区なのに、石関候補が勝った。同じことが全国各地で起きた。民主党が308議席を得て単独過半数隣、大勝した。世の中が変わる!
そんな興奮が、全国を覆ったように思えた。

確かに世の中は変わったのかも知れない。しかし、変わるということに、より良く変わる、より悪く変わる、の2つの種類があることを知るまでに1年はかからなかった。日本はグチャグチャな内閣で辺野古の基地移転問題に取り組み、3.11の東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故を迎え、尖閣諸島問題では島を国有化することになってしまった。

私は、「悪く」変わってしまった、と思っている。
そして、政権を握った民主党の体たらくの後遺症が、その後の政治をおかしくしてしまったと思っている。