05.22
私と朝日新聞 桐生支局の23 小沢のじっちゃんの話
政権交代選挙の取材で面白いじっちゃんに出会った。知り合ったのは、石関候補の桐生事務所だった。ふらりと立ち寄ったら、見知らぬじっちゃんがいた。昔の選挙では選挙事務所に行くと、酒や茶、菓子が振る舞われたから、たかりの支援者も多かった。だが、いまは一切の振る舞いは禁止である。このじっちゃん、何用あってこの事務所へ?
ふらりと立ち寄った者同士である。いつのまにか何となく話し始める。まあ、このじっちゃん、よくしゃべる、よく知ってる、選挙のことを。政治家のことを。名前を小沢さんといった。
なんでも、長い間自民党の選挙をやってきた。ところが、同じ自民党でありながら、この選挙で群馬2区から出ている自民党候補、笹川が大嫌いである。そこへ今回は、民主党から石関という候補者が立った。情勢を分析すると、石関が勝つ目もある。
「だからね、今度ばかりは民主党をやることになったのよ」
元は買継商(産地商社)に務めていた。
「景気はよかったからね。遊んだよ、芸者をパーッと上げてどんちゃん騒ぎさ。わたしゃ酒は飲めないが女遊びは大好きと来ている。ホント、よくもまあというほど遊んだわ」
なかなかあけすけなじっちゃんである。
それが、ある地元企業の社長に見込まれた。選挙を手伝え、というのである。仕方がない、やってみるか、と始めたところ、これが面白かった。ツボにはまったといってもいい。以来、国政選挙はもとより、県知事選、県議選、」市著線、市議選と、選挙三昧を繰り返した。
「面白いんだ、選挙ってヤツは。あいさつの仕方から始まって、演説会の開き方、選挙事務所の置き方、戸別訪問のやり方、それぞれにノウハウがある。それで票が出るかどうかが決まる。だからな、選挙のたびにいろんな連中が『手伝ってくれ』って挨拶に来て、いろんな話も聞ける。電話一本で走ってくれるヤツもいるし」
まあ、いってみれば桐生における選挙の神様のようなじっちゃんであった。
私は選挙も政治も嫌いである。だが、選挙になると取材をしなければならないのが記者の宿命である。しばしば小沢さんを訪ねて選挙の見通しを聞いた。何度か会ううちに、なぜかすっかり気が合った。小沢のじっちゃんの方も私が気に入ったようで、よく電話をくれた。
「大道さん、大変だよ。県議選に鞍替えするといってた市会議員の〇〇が市長選に出るんだ。後援者である△△に押しつけられたんだよ。△△は現職の市長が嫌いだから、〇〇をぶつけて嫌がらせをしようという腹だろう」
「だって、〇〇は県議選ならともかく、市長選じゃ当選の可能性はゼロじゃないですか」
「そうなんだ。だから〇〇は△△の前で泣いたらしいわ。それでも、△△の支援がなくては県議選も心許ないから、引き受けざるを得なかった。落ちたら△△の会社が暮らしの面倒は見ると約束したらしい」
「そんな……」
お断りしておくが、私はこんな話を知りたいと思ったことは一度もない。が、知りたくもないのに、小沢さんからは
「大道さん、実は……」
と情報が流し込まれる。私は新聞記者である。記者であれば、選挙の、政治の裏話を知りたがるものだ、と小沢さんは思い込み、耳にした新しい動きを逐一私に知らせてくれるのである。私を喜ばせたいのである。それがわかるから、
「そんな話、どうでもいいよ」
といえるはずはない。
暇があれば、ふらりと自宅を訪ねるようになった。じっちゃんは高齢になるにつれて足が弱り、あまり動けなくなった。いつ行っても居間のこたつに足を突っ込み、座椅子にもたれている。右側に固定電話があり、コタツの上には帯電話がある。選挙になると、これで指令を飛ばすらしい。目の前にテレビがある。買い物、食事に支度など暮らしは介護士さんに頼っているようである。
あれほど政治が好きなのに、暮らしは貧しかった。年金とわずかな蓄えで支えているようである。小沢のじっちゃんにとって、選挙とは面白いからやるもので、見返りは全く期待していないらしい。期待しないところに見返りは来ない。
いつの間にか、雑談もするようになった。ある日のことである。
「大道さん」
といつになく、気弱な声が身に入った。
「実は女房が出て行ってな」
何でも、小沢のじっちゃんには相談もせず、突然養護施設に入ったのだという。
「だから、完全にひとりぼっちになっちゃった。なんか、寂しいんだよ」
「小沢さん、あなた、奥さんを虐待してきたんだろう? 女房なんか放っておいて女遊びをし、選挙にのめり込み、家に帰れば亭主関白を貫いたんだろ? それ、自業自得、身から出た錆っていうんだよ」
「まあ、それは自分でもわかってるんだけどな。でも、家の中に誰もいないっていうのは……」
ふむ、自業自得と突き放してはみたが、やっぱりかわいそうである。私に何かできることはないか? 小沢のじっちゃんにはうどんをご馳走になったこともあるし、てんやものをご馳走していただいたこともある。選挙の情報を教えてもらっただけでなく、何かとお世話になっているのだ。
次に遊びに行った時、
「ね、小沢さん、映画、見る?」
と聞いてみた。
「ああ、見るよ」
「どんな映画が好きなんだよ?」
「戦争映画がいいなあ」
選挙の神様、小沢のじっちゃんは戦争映画が好きなのか。よし!
私はパイオニアのブルーレイプレーヤーをAmazonで買った。1万円ほどだった。開封もせず、そのままじっちゃんの家に持ち込んだ。
「小沢さん、これ、あげるわ。いまからセッティングするから待っててね」
小沢のじっちゃんは
「いや、あんた、それは、そんなもの、もらうわけにはいかん」
と言い張った。
「小沢さん、よろしいか。これ、あなたにあげるとは私はいっていない。これ、あなたに貸すの。あなたがお墓に入ったら戻してもらうから、それまで使ってよ」
小沢のじっちゃんは二の句が継げなかったようである。
箱から出してテレビに繋いだ。
「俺、馬に食わせるほど映画を持ってるから、その中の戦争映画をいくつか持ってきた。こうすれば見ることができるから、暇な時は映画を見ていなよ」
それ以来、沢のじっちゃんに差し上げた演奏映画は300本ほどか。私のささやかな敬老精神である。
そんな付き合いを続けたからだろうか。亡くなる数日前に電話をいただいた。
「大道さん、あんたにはホントにお世話になって……」
返事をしても、ほとんど聴きとれないらしく、一方的に話し、終わると電話が切れた。数日たって、ご家族から訃報をいただいた。
考えてみれば、私も遠くない将来に、小沢さんのような状態になるのだろう。さて、その時、私に向かって敬老神を発揮してくれる人がいるだろうか?
情けは人のためならず
である。期待して待つことにしよう