2024
05.27

私と朝日新聞 桐生支局の28 海江田万里経財相をからかった話

らかす日誌

当時の経済産業相・海江田万里氏が桐生に来たのは2010年12月13日のことだった。マフラーメーカー、松井ニット技研を視察するという触れ込みである。
それはこんな記事になった。

海江田経財相が松井ニット視察

海江田万里・経済財政相が13日、桐生市を訪れ、鮮やかな色づかいのマフラーが世界で評価されている松井ニット技研(桐生市本町4丁目、松井智司社長)を視察した。
今国会で中小企業・雇用・地域活性化対策を盛り込んだ補正予算が成立したのを受け、日帰りで行ける元気な中小企業を見たい、との海江田氏の意向で決まった。
松井ニットは、たった8人の小企業ながら、独自ブランド「KNITTING INN」を世界に展開しているところが評価されて視察の対象になったという。
海江田氏は松井社長らの案内で、展示されていたマフラーなどを見学した。今年商品化したウール100%のマフラーを手に取ると「肌触りがすごくいい」と感心した様子。松井社長らが「海外展開にはこれからも力を入れたいが、零細企業にせきることは資金面で限られてしまう」と理解を求めた。
このあと海江田氏は栃木県足利市に向かい、自動車部品メーカーの「菊池歯車」を視察した。

何という記事でもない。私が読者なら、見出しを見ただけで、あるいは見出しも見ないまま読み飛ばす記事でしかない。だから、この記事をお読みいただきたくてここに引用したのではない。

全国が盛り上がった政権交代から1年半弱。たったこれだけの期間で首相は鳩山氏から菅首相の交替していた。引き継いだ菅首相が3.11の東日本大震災、それにともなう福島第一原子力発電所の事故でトンチンカンな対応をするのはもう少し先だが、もうあのころには政権交代時の熱気は徐々に冷め始めていたと思う。

おそらく、そんな気分も手伝っていたのだろう。つまらぬ内閣の一員として視察に来た海江田経財相を私は斜めに見た。そして不届きにも

「からかってやろう」

と考えたのである。

松井社長は、視察に来てくれたことへの感謝の念を込めて、松井ニットのマフラーを1本、海江田経財相にプレゼントした。それを見ながら、ふとひらめいたのである。私は、工場見学を終えて外に出てきた海江田経財相に話しかけた。

「こんにちは。朝日の大道です」

このあいさつに海江田経財相がどんなあいさつを返してくれたかは記憶にないが、私は早速を放った。

「海江田さん、さきほどマフラーを貰われましたよね。松井ニットのマフラーはどれも素敵ですよ。私も何本がもっています。ところで、確か大臣は、一定額以上の贈り物を民間から貰ったら自分のものにするのではなく、国に納めなければならなかったと記憶するのですが、あれ、いくら以上でしたっけ?」

あの時の海江田氏の表情をどう表現したらよかろうか。虚を突かれたというか、考えたこともなかった質問を受けて頭が空転したというか。

「あー、エー、確か朝日の……」

「はい、大道です」

「役所に戻ったら調べてみます。はい、ルール通りに処理します。はい」

まさか、初老の地方記者からドキリとする質問を受けるなど思ってもいなかったのに違いない。多分、私の質問に気圧されたのだろう。海江田経財相は言わずもがなの雑談を私に仕掛けた。

「そう、朝日の大道さんですか。桐生には長く?」

「いえ、定年後再雇用で桐生に来ることになりました。まだ2年足らずです」

「そうですか。それまではどちらに?」

「長く経済部の記者でした」

「そうですか。それなら東京でも、霞ヶ関でも取材をされたわけですね」

「はい」

「今度上位今日された折には、ぜひ私をお尋ね下さい。いつでも結構ですよ」

「私が上京する時は、こちらのスケジュールで動くことになります。その隙間を縫って役所を訪問することになりますが、突然やって来た私に会っていただけるほど、いまの仕事は暇なのですか?」

「……」

ま、こう書くと、私は結構いやなヤツである。しかし、私程度の口舌に黙り込んでしまうような人物が大臣であっていいのだろうか? 正面から受け止めて堂々と反論するか、論理的に私をやり込めるか、そんな頭脳の回転が必要なのが大臣という仕事ではないのか? 黙り込んじゃ行けませんよ、海江田さん!

かつて私は、この「らかす日誌」で民主党政権の悪口を散々書いた。せっかく自民党を政権の座から追い落としたのに、この体たらくは何事だ! と怒り心頭に発したからである。
私の海江田経財相「いじめ」もその延長上の出来事と思ってお読みいただければ幸いである。