2024
06.01

私と朝日新聞 桐生支局の33 ざっくばらんな飲み会の話、1 呑まなきゃ何も始まらないでしょ?

らかす日誌

群馬大学工学部の篠塚和夫教授と知り合ったのは、市内のバーで1人飲んでいる時だった。たまたまカウンターで隣り合わせた。袖すり合うも多生の縁。あいさつがいつのまにか雑談になった。

「ああ、群大工学部の先生ですか。何がご専門で?」

「私ねえ、遺伝子を切ったりはったりしてるんですよ」

「ということは、生命工学?」

「まあ、そんなところです」

人生とは面白いものである。私はたまたまその頃、福岡伸一さんの本を読みふけっていた。1冊目で生命という現象の面白さに魅せられ、「もう牛を食べても安心か」(文春新書 )、「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書 )など、手当たり次第に3,4冊も読んだろうか。だからだろう、生命工学を研究しているという篠塚教授からもっと話を聞きたくなった。

「先生、大学に遊びに行っていいですか?」

と頼み込むと、気楽に

「ああ、いいですよ。いつでも来て下さい」

こうして私は足繁く篠塚教授の研究室を訪ね始めた。

あれは何度目の訪問時だったろう。深い考えもなしに、ふと問いかけてみた。

「先生、産学協力とよく言いますが、群大工学部はそんな活動もしてるんですか?」

すぐに返事が戻ってきた。

「ええ、してますよ。商工会議所とか市役所によく頼まれますから」

「どんなことをするんですか?」

「会議室が用意してあって、大学から5,6人の教授が出ます。企業の方も同じぐらいの人数で、まず私たちが自分の研究分野を紹介し、『お役に立つことあれば何でもします。遠慮なく声をかけて下さい』ってあいさつして、それから質問を受けるんです」

そんなもので、産学協力なんて生まれるのだろうか?

「そんな会議って、何かに役立ってます?」

「いや、私見ですが、全く役に立ってはいません

「そうですよね。そんな会議で産と学との協力関係が築けるとはとても思えないもんね」

群馬大学理工学部の前身は、桐生の繊維関係の旦那衆が働きかけて設立した桐生高等染色学校である。設立は大正4年(1915年)のことだ。
桐生は繊維産地である。当時の繊維関係者は、染色技術の向上と染色技術の発展を目指した。そのためには学校が必要だと明治時代から専門学校の設立を政府に働きかけ、やっとこの年になって開校が認められた。群馬大学工学部になったのは昭和24年のことである。
いってみれば、群馬大学工学部(現在は理工学部)は産学が力を合わせることを目的に生まれた学校なのである。

ふとひらめいた。

「ねえ、桐生の産学で飲み会をやりません? 協力関係を築くには、まずお互いが胸襟を開く仲になるのが条件でしょ? そのためにはまず酒を飲まねばならないというのは日本の常識だと思うんだけど、どうです?」

「おっ、大道さん、それいいね! やりましょうよ、飲み会」

飲み会を開くのはよい。だが、複数人での飲み会は日程の調整、会場探しなど幹事役は何かと面倒である。万事に大雑把な私には向かない役割でもある。だからといって国立大学の教授様にその仕事を押しつけるわけにもいかない。

「よし、やりましょう。準備が整ったらまた連絡します」

私には腹案があった。信頼できる市職員がいたのである。I君という。
彼とは出会いが鮮烈だった。私が桐生に来たとき、彼は産学官連携室(だと記憶する)にいた。まちづくりの基本は地元産業の活性化であると信じて疑わない私が真っ先に取材に赴いたところである。

ある日、彼と御雑談していた。

「倦まず休まず働かず、というのが役人だと言われるけど、君はよく働くね。役所内で浮いたりしないの?」

私にはどうやら、挑発的な質問をするクセがあるらしい。

「そうなんですよ。役所という組織は出る杭を嫌うんですよね」

そうだろう。役所なんてそんなものだ。で、話は終わるはずだった。だがI君は一言付け加えた。

「でもね、大道さん。出ない杭は腐るんです。私、腐りたくはりません」

その一言は私を撃った。おお、桐生市にはこんな職員がいるのか! 以来、私が最も信頼する市職員である。
うん、彼に幹事役をやってもらおう。拒否はしないはずだ。

「という流れで、群大の篠塚教授と話していて、産学の飲み会を開こうと言うことになったんだ。そうだね、年に4,5回というところだろうか。君に頼みたいのは、1つは幹事役。日程調整と会場探しだ。もう1つ、民間からの参加者を君が選んでほしい」

産と学とが酒を間に置いて胸襟を開いて議論することを目的とする飲み会である。だとすれば、全員が議論に参加できなければならない。塩塚教授、ああ、面倒くさい、私は篠ちゃんと呼ぶので、これからは篠ちゃんで統一する。その篠ちゃんは

「周りに声をかけて、4,5人は大学側から参加するようにします」

と言っていた。だとすれば、そこに私が入り、I君が入る。これけで6,7人になる。全員で話ができるのはせいぜい10人強だろう。

「だから、民間からは4,5人かなあ」

I君は桐生市内の企業と密接に接触していた。だから、彼にとって

「民間からは4,5人にしてくれ」

というのは酷な条件だったかも知れない。Aさんを入れてBさんを呼ばない、というのは辛い選択のはずである。
だが、I君は軽やかに言ってくれた。

「そうですよね。その程度の人数じゃないと実のある話はできませんよね。やってみます」

まだ名前も決まらない飲み会が、こうして始動した。