06.02
私と朝日新聞 桐生支局の34 ざっくばらんな飲み会の話、2 私は手こね寿司、パエリアをつくった
1回目の飲み会に集ったのは12,3人であった。JR桐生駅近くの大衆酒場で、参加費は確か5000円。お金の管理は幹事役である市職員、I君に委ねた。I君は流石にお役人である。会費を集め、居酒屋に支払って残ったお金は1円単位まで管理し、次回の費用に取っておく律儀さを発揮した。
さて飲み会が始まった。この人数でも全員が1つのテーブルを囲むというわけにはいかない。全員で飲めや話せやの会合にしたいと思っていたが、それは不可能らしい。それに大きな円卓を囲んだところで、近くにいる人と勝手に話し始めるのが人間である。「全員で飲めや話せや」というのは不可能らしい。
それでも飲み会は盛り上がった。初対面同士で名刺を交換し、酒やビールを注ぎ合い、やがて談笑する。午後6時に始まった宴は10時近くまで続いた。
発案者である篠ちゃんと私は
「やっぱりやってよかったね」
と胸を撫で下ろした。
2回目の飲み会は、それから3,4ヵ月たって開催した。場所は同じ居酒屋である。集まってくる人たちを見ながら
「おや?」
と思った。増えたのである、参加人員が。
「いや、この前楽しかったから、この人に話したんだわ。そしたら、『私もぜひ参加したい』といわれちゃって。それで連れてきた」
「この人、京都の取引先なんだけど、たまたま今日うちの会社に来てさ。今日はこんな飲み会に出るんだといったら、『私も行っていいですか』と頼まれてね。いいでしょ?」
1回目の飲み会が余程楽しかったらしい。
こうして、参加した社長さんたちが新しいメンバーを連れてくるのが常態になった。年に3〜4回開く飲み会は、開くたびに人が増えた。
「小人数でじっくり話し合いたい」
と考えて12,3人で始めたのだが、そんな発案者の思惑を無視して人数は増え続ける。それでも、楽しい飲み会だから来る人、何か仕事の役に立ちそうだから来る人の集まりである、参加したいという人を閉め出す理由はない。それぞれの理由でこの飲み会を利用すればいいのである。
だが、困ったことが起きた。JR桐生駅近くの居酒屋では収容できなくなったのだ。場所探しが始まった。30人程度までは何とかなった。が、参加者はまだまだ増え続けた。
「I君、どこで開こうか?」
「困りましたね。どこかいい場所知りませんか?」
I君と顔を合わせるたびにそんな話をした。こんなに人数が増えるとは完全な誤算である。だが、嬉しい誤算でもある。とはいえ、どこで開こうか……。
場所の広さだけなら料亭という手もある。だが、そんな場所を使ったら、1人5000円では足りない。1万円を超すだろう。それは辛い。
参加者が50人に迫った時、大きな宴会場をもつ店を選んだ。とり重弁当がメインの店で、宴会場を使っても料亭ほどの費用はかからない。しかし、1つ誤算があった。時間制限である。通常は午後8時まで。無理をお願いしたが、確か9時まで延長して貰うのがせいぜいだった。時間無制限(といっても午後10時か10時半まで、程度だが)に慣れたメンバーにはもの足りなさが残る。
「どこかいい場所はないかねえ」
私とI君は考え続けた。
「うちでやりませんか?」
と声をかけてくれたのは、古民家カフェのプラスアンカーである。不動産会社アンカーが経営する店で、アンカーの川口貴志社長とは取材で知り合って仲良くなっていた。
「だけど、プラスアンカーはカフェじゃないですか。私たちの飲み会は夜ですよ。酒も飲むし、料理も必要なんです」
「いいんですよ。その日だけ特別に開けて,料理も用意しますから」
ここなら、参加者が今以上に増えても収容できる。私たちはありがたく申し出を受けた。プラスアンカーが定例の宴会場になった。そして川口社長も常連のメンバーになった。
私が料理を創ったことが、確か2度ある。6時開始の宴会だから、その日は5時ごろプラスアンカーに出かける。
1度は脂が乗った鰹を使った手こね寿司だった。鰹を3枚におろして(これ、自分でできる!)適当な厚みにに切り、ボールに醤油と酒を入れて10分〜15分浸けておく。臭い取りにショウガの千切りを入れるのが望ましい。炊き上がったご飯を木の桶に取り、上からボールの中の鰹と醤油、酒を全てぶちまける。ゴマを振りかけ、うちわで扇ぎながら混ぜる。かき混ぜ終わったら、千切りにした大葉を振りかける。これだけの料理である。
2度目はパエリアだった。501人分のパエリア鍋はあの0氏宅にある。亜kれが主催するいとや通りのイベントで
「パエリアを作って配ってよ」
といわれ、いとや通りの予算でパエリア鍋を購入させたのである。それを借りてきて、1人モクモクとパエリアを作った。パエリアの作り方はこちらを参照していただきたい。
どちらも大好評だった。あっという間になくなり、
「大道さん、もうないのですか?」
と残念がられた。もっとも、労働奉仕をした私へのヨイショ、だったのかも知れないが。
「大道さん、I 君に会ったら、あの飲み会、もっと回数を増やせ、といっておいてよ」
取材に訪れた会社の社長に、そう言われたこともある。当時は3ヵ月に1回ほどのペースだった。それでは足りない、
「2ヵ月に1回」
にしろというのである。
言われた通り、私はI 君に伝えた。それから回数が増えたかって? あまり増えなかったような記憶がある。
朝日新聞の前橋総局員にも
「こんな飲み会をやっているんだが、出てみないか?」
と声をかけた。新聞記者はできるだけ幅広く世の中を知らねばならない。一度に数十人の町場の経営者、大学教授と雑談ができるこの飲み会は、記者教育にも役立つと考えた。数人が参加してくれた。
この飲み会を、「ざっくばらんな飲み会」と命名したのはI 君だった。ざっくばらんな飲み会は私が朝日新聞を離れても続いた。長く続いたせいだろう、やがて出てこなくなる人や、仕事で参加できない人もいて、人数は40人〜50人の間で推移した。新型コロナウイルスの蔓延で中断したが、また最近復活しつつある。コロナが収まった頃
「ざっくばらん、もう復活してもいいんじゃない?」
という声がI 君に届き始めたので、再び10数人の小所帯で昨年秋から始めたのである。発案者の篠ちゃんはすでに定年で大学を退官し、私も新聞記者ではなくなったが、いまでも参加し続けているのは当たり前である。
企業が新規事業に成功する、新製品をヒットさせる、というのは千三つだと私は思う。1000回チャレンジして3回あたれば儲けもの、という意味である。それでも挑み続けるのが望ましい企業のあり方だと思う。
だが何事も、きっかけがなければ始まらない。そのきっかけは異分野との接触がなければ生まれない、というのが私の持論である。
このざっくばらんな飲み会の最大の目的は、楽しい酒を飲むことである。だが、事業家と大学の研究者という、普段はあまり接触しないだろう人たちを結びつけて新規事業、新製品のきっかけ作りになれば、という願いもあった。千三つでもいい。1000回開けば、3つぐらい成果が出るのではないか?
まだ大きな成果が生まれたという話は、残念ながら私の耳は入って来ない。仕方ない。1000を目指して酒を飲み続けるしかないようである。