2024
06.05

私と朝日新聞 桐生支局の37 PANTA桐生公演の2 そんなに長くやるのかよ!

らかす日誌

確か、あのO氏に相談した。有鄰館なら200人ほど入る。ながめ余興場なら600人ほどのはずだ。そんな大人数を集めることができるか?

ちっちゃくやればいいじゃない」

しかし、ちっちゃくやれば収入は限られる。私はチケットを4000円で売ろうと考えていた。ギャラが払えるか? 会場費をどうする? でも、ちっちゃく、ね。いいかもしれない。では、どこで?

いまま末広町に引っ越したが、当時本町4丁目に「ヴィレッジ」というジャズバーがあった。ジャズのライブ演奏が売りである。店に出かけ、

「ジャズじゃないけど、PANTAのライブをやりたいと思っているんだ。この店、使えるかな?」

と打診すると、2つ返事で受けてくれた。椅子と机を並べ替えれば40人は座れるコンサート会場になる。店の取り分は確か売上げの1〜2割だったと思う。
うん、40人程度なら何とか集めることができるのではないか。我が家からは私と妻女殿が行くし、O氏も行きがかり上来るはずだ。残り37枚のチケットをさばけばよい。

マネージャーの「こいつ」に連絡した。40人の会場でやりたい。チケットは4000円で、そちらにお渡しできるのは10数万円にしかならないけど、やってもらえますか?

数日後、それでいいという返事が来た。いよいよPANTAの桐生ライブである!

それまでにできていた人脈を頼りにチケット販売に全力を挙げた。O氏をはじめ、チケット販売を手伝ってくれる人も現れた。何とか全てのチケットがさばけたのは、公演の何日前だったろう。これで招聘元である私には1円のお金も残らないが、赤字だけは免れた!

ライブは日曜日の午後4時開演だった。PANTAの一行5〜6人は3時ごろに来たのではなかったか。舞台に立つのはPANTAとギタリスト。菊池琢己君である。2人で「」というデュオを組み、アルバムも出している。そうか、あの音が聞けるのか。
菊池君は小学生の頃から頭脳警察に憧れ、

「いつはかPANTAさんと舞台に立ちたい!」

と腕を磨いた。デュオではリードギターを引き受け、実に魅力的なフレーズを生みだしている。当時、ギターに挑んでいた私はその菊池君に、

「どうやったらギターが上手くなれますか?」

と聞いた。すぐに答が戻ってきた。

「毎晩ギターを抱いて寝るんです。上手くなりますよ」

私はからかわれたのだろうか、それとも彼は毎晩ギターを抱いて寝ているのだろうか。

ライブは予定通り、午後4時に始まった。ここまで来ればもうやることはない。私は妻女殿と席に座り、目の前で演奏されるPANTAの曲に身を委ねていた。

普通、ライブは2時間前後である。4時に始まれば6事前後には終わるはずだ。わずかなギャラしか払えないことのお詫びに、私は夕食の席を用意していた。6時終演を見込んで予約は6時半である。

ライブは盛り上がった。目の前でPANTAがギターをかき鳴らし、歌うのである。菊池君がみごとなフレーズでPANTAを支えるのである。「MUSHUS〜ムシュフシュの逆襲」「Grusin’」「マラッカ」「万物流転」「裸にされた街」……。時折音程を外しながらもドライブがかかって聴衆をどんどん引っ張っていくヴォーカルである。そしてPANTAの曲の特徴は美しいメロディラインとキレのある演奏である。これ以上の聞く喜びはない。

楽しみながら、ふと時計を見た。6時である。PANTAはもう2時間も歌いっぱなしだ。

「あれ、まだやるのかな?」

そろそろ夕食会が心配になってきた。予約は6時半なのだ。そろそろ終わってもらわないと夕食会に間に合わない。もっと聞いていたいのだが……。
6時20分になった。これはいかん、ちょっと遅れそうだと夕食会場に連絡を入れておかなければ。私は後ろ髪を引かれる思いで店を出て電話をかけた。かけ終えて店に戻ると、いきなりPANTAのMCが耳に入った。

えー、次の曲は、私を桐生に招いてくれた大道さんに捧げます。『さようなら世界婦人よ』を歌います」

えっ、俺に捧げる? それはそれは名誉なことで、生涯の想い出になります。でもねえ、そろそろ演奏をやめないと夕食会の時間が……。
とは思うが、演奏中のPANTAに

『そろそろやめないと」

と声をかけるわけにはいかない。それに、もっとPANTAの音楽に浸っていたい私が半分以上はいる……。

ライブが終わったのは午後7時だった。実に3時間にわたる熱演。シャウトする場面も再々あるのに、プロとは丈夫な喉をもっているものだと感心した。

食事会を終えて、お見送り。彼らはこれから東京まで戻るのである。

「またやろうよ」

「是非」

そんなエールを交換して別れたのではなかったか。

これ、私がまだ記者時代の出来事である。朝日新聞に兼職禁止の定めはなかったと思うが、なーに、そんな規定があっても私はこのコンサートで1円も稼いではいない。ただただ、PANTAの桐生ライブを実現したくて走り回っただけである。兼職禁止の規定に引っかかるはずはない。
いってみれば、趣味の延長である。誰に文句を言われる筋合いもないと思うが、どうだろう?

そのPANTAが昨年7月7日、肺がんで死んだ。そういえば、初めて会った時はヘビースモーカーだったPANTAが、桐生に来る頃には禁煙していた。

「あれ、たばこ吸わないの?」

と聞くと、

「医者に止められたんでね」

といっていた。禁煙の甲斐なく、肺がん死。
あの世でPANTAは

「だったら、もっと吸っておればよかった!」

と悔やんでいるのかも知れないなあ、と思いながら、今日も紫煙を燻らせる私である。