06.07
私と朝日新聞 桐生支局の39 私、2016年8月31日限りで朝日新聞との縁が切れました
さて、桐生での話もほぼ書き尽くしたようである。そろそろ締めに入ろう。
朝日新聞の定年後再雇用制度は原則3年、条件次第でさらに4年延長すると決まっていた。延長されれば67歳になった8月末で退職することにになる。私は2016年8月末で朝日新聞を退職し、年金生活者となった。
前橋総局長が桐生にやってきたのは、その8月の下旬だったと思う。私の退職を祝うのだという。当時の総局長は女性(名前は忘れた)で、
「そうか、祝ってもらうのなら美味いものが食いたい」
と寿司屋の「さいとう」に案内した。なーに、彼女はポケットマネーで払いはしないだろう。社外連絡費で落とすに決まっている。遠慮することはない。
「さいとう」は面白い店で、コース料理しかない。客に選択の自由はなく、カウンター席に座って
「今日はどんな料理が出るのか?」
と待つしかない。まずあれこれ手のこんだ料理が数品出て、これでビールや酒を楽しむ。締めに寿司を出す。これだけで、酒も含めて1人8000円(当時)。私が桐生で
「これは美味い!」
と太鼓判を押したたった2店のうちの1店である。
2度目に「さいとう」を訪れたのは、妻女殿をともなってのことだった。私は
「妻女殿は私の半分も食べない。酒は飲まない。だから、妻女殿の払いは4,5000円で済むだろう」
と金勘定していた。2人でも1万2,3000円。あの味なら、それだけはらっても惜しくはない。
その日、2人で食べ終えて
「勘定して」
と声をかけると、間髪を入れずに
「はい、1万6000円です」
という返事が戻ってきた。何のことはない。料金は食べた量、飲んだ酒の量とはまったく関係なく、1人8000円と決まっていたのである。やや理不尽な気もしたが、それが、それがこの店のルールなら仕方がない。
最近はやや足が遠のいているが、人に聞くと料金はやや上がっているらしい。
桐生支局が私を最後に閉鎖されることを聞いたのは、その「さいとう」で、私を送る総局長からだった。突然の悲報といおうか、驚きの通告といおうか。
「何だって? それ、ひょっとして私が原因?」
「いえ、そうではないんです。会社の方針として地方の取材網を再編成するというか……」
「あなた、群馬県を預かる総局長として、人を減らされて充実した紙面を作れますか?」
「地方版も減るそうです」
「総局って、新人記者の訓練の場でもある。記事をたくさん書かせなければならない。地方版が狭くなれば、掲載できる記事の数も減る。それで若手記者を育てることができますか?」
「それは……」
「総局長として会社の方針に抵抗する考えはありませんか? 全国の総局長の総意として地方取材網を守れという意見を上にぶつけるとか」
「もう決まったことですから」
確かにそうだろう。私が桐生支局閉鎖の原因ではなかったことはわずかな救いだが、しかし、全国紙を標榜する朝日新聞が、地方取材網を小さくする……。だったら、朝日新聞は何をもってほかの新聞と競争するつもりなのか?
世は電子時代であろう。紙の新聞はそのうちなくなって、ネットで新聞を配布する時代になるのも目の前かも知れない。しかし、そうなったとしても、報道機関である朝日新聞の武器は取材力である。集めたデータを読み解く分析力である。その、新聞社の生命線ともいえる取材網を小さくする……。
新聞はそこまで凋落してしまったらしい。
こうして私は朝日新聞を去った。何となく後味の悪い去り方だった。