2024
06.28

桐生子ども新聞コンテストに新たな助っ人が現れた

らかす日誌

ご報告していなかったが。昨年、「桐生子ども新聞コンテスト」というのを始めた。小学校3年生〜6年生の子どもたちに新聞を作ってもらい、優秀作を表彰するのである。

発案したのは、あのO氏だった。彼は桐生西宮神社の世話人総務(世話人で1番偉い人)で、2020年が桐生えびす講(西宮神社の祭り)の120周年にあたるため、記念行事として立ち上げたいと相談を受けた。子どもたちが新聞を自分の手でつくることで子どもたちの視野が広がり、自分の中で育んだものを人に伝える新聞を書く努力を通じて文章力、表現力、伝達力が身につき、取材を通じて知らなかった桐生を見つけ出すことで郷土愛が高まる。私は即座に賛成した。

ところが、あの新型コロナ騒ぎである。子ども新聞コンテストどころではなくなった。延期に次ぐ延期を繰り返し、やっとコロナの姿が小さくなった昨年、第1回を実行した。私は運営委員兼審査委員である。

その第1回は、私見では大成功を収めた。初めての試みである。知名度ゼロからの出発である、

「せいぜい、40〜50も集まれば成功だよね」

と話していたのに、何と200を越える応募があったのである。
いや、成功は数だけの話ではない。中に、素晴らしい出来映えの新聞があったのだ。必要あって私が書いた原稿を、ここにコピペする。

(3,4年生の部で最優秀賞の)「きりゅう まちのはんこ屋さん新聞」は、おばあちゃんがはんこ屋さんをしている齋藤倫さんが、デジタル化の流れの中ではんこがだんだん使われなくなり、売上が落ちて悲しそうな顔をしているおばあちゃんに笑顔を取り戻してもらいたいとつくった新聞です。印鑑の種類から、新しい試みとしてイラスト付きのはんこもあること、手作りのゴム印もあることなど、大人でもあまり知らないはんこの世界を手描きのイラストも交えて素敵な新聞にしました。大好きな、自慢のおばあちゃんへの思いが、文章から、行間から伝わってきます。審査しながら、心がホカホカになりました。
(5,6年生の部で最優秀賞の)「根本山参詣参人案内新聞」は、栃木県との県境、桐生川の源流部にある根本山が、江戸時代には一大宗教拠点で関東一円から多くの参拝者を集めていたことを発掘しました。当時の根本山参詣案内パンフレットだった「根本山参詣飛渡里案内」を手に入れ、その本に沿って根本山への道を辿るルポルタージュです。江戸を出発すると、日本橋〜板橋〜浦和〜大宮〜越谷〜妻沼〜太田〜桐生と歩き、渡良瀬川を渡し船で渡って境野町へ。石原君はここからご両親と一緒に根本山を目指します。途中、境野町2投目では「根本山へ六里二丁」と書いた道標を見つけ、矢野園で「美味しいお茶」を飲んで旅を続けます。写真、手書きの地図も添えられており、審査員は「大人でもなかなかここまでの新聞はできない」と感心しました。

中でも、私は「根本山参詣参人案内新聞」に感銘を受け、

「この子、明日から朝日新聞の記者にしたい!」

と叫んでしまった。

という次第で、12月23日には群馬大学理工学部の同窓記念会館で表彰式を開いた。理工学部長も我々の仲間で、この場を使わせていただいたのである。この日私は、演壇に立って講評することを強いられた。私は審査委員長ではない。審査委員にすぎない。なぜ私が、と思ったが、そういえば審査委員長がいない誠にフラットな審査委員会で、ま、私が演壇で恥をかくのも仕方がないかと諦めた。

ということがあり、今年は「桐生子ども新聞コンテスト」は第2回を迎える。
私が見るところ、いまの課題は2つある。

ひとつは審査、である。第1回でも200を越える応募があったのだ。優秀作として表彰した子どもたちには表彰状と記念品を贈った。オリンピックのメダルを擬したワッペンである。きっと子供の間で話題になるに違いないと思う。そうると、今年の応募作は去年を越えるはずである。200少々の応募でも、全てに目を通すのはかなりの労働量になる。なにしろ、全ての応募作から何か光るものを見つけてやろうではないか、というのが私たちの審査基準なのだ。子供は褒めてやらねばならない。だが、応募が400、500,あるいは1000になったとき、全ての応募作をそんな目で読めるか?
審査員を拡充したい。

いまひとつはの問題である。
コンテストは

「やりまっせー」

と声を揚げて労働奉仕をすれば始まるものではない。応募要項を作って配らねばならない。新聞を作るための薄いマス目を入れた紙がいる。子どもたちの参考になるように、「新聞の作り方」を書いた(私が書いた)ものも子供数+α必要である。審査員には応募作のコピーを渡さねばならない。優秀作には表彰状、記念品を贈って喜んでもらわねばならない。あからさまにえいば、すべてに金がいるのである。
その算段をせずに第1回はスタートした。今年の第2回は、少しでもその課題を解決したい。

昨夜は、復活した「ざっくばらんな飲み会」であった。その場に、初めて見る顔があった。この飲み会では見知らぬ顔を見るのは当たり前のことだが、この新参者と屋外の喫煙スペースで一緒になり、なんとなく「桐生子ども新聞コンテスト」の話をしたら、興味津々の顔でいってくれた。

「私も加えて下さい」

そして彼は今日、こんなメールをくれた。

「お金の話をおっしゃっていましたが、運営にどのくらいの予算が必要なのか、ざっくりわかれば教えていただけますでしょうか?とてもよい取り組みなのでスポンサーが取れないか動いてみたいと思います」

大歓迎である。この試みにスポンサーがつくということは桐生の桐生の経営者たちが、桐生の子どもたちの成長に何らかの力添えをするということである。それに、資金が豊富にはれば「子ども新聞コンテスト」を大きく育てることだって出来るかも知れない。

彼とは来週、酒を飲みながら話を進めることにした。勿論、O氏も同席である。もちろん、彼を営業担当だけにしておくつもりはない。審査委員としてもこき使うつもりである。

「子ども新聞コンテスト」について、ひとつだけ自慢したいことがる。表彰状の文面である。
O氏に、

「あなたが考えてね」

といわれたが、さて、そんな文は書いたことがない。どんな文章にたらいものかとインターネットで探ってみたが、決まり切った文章しか出て来ない。
そこで私は考えた。こんな定例分では私たちがこのコンテストを始めた思いが子どもたちに伝わらないのではないか?
そう思ってこんな文章を書いた。

あなたが取材、執筆、編集をして作り上げた「根本山参詣参人案内新聞」が第1回桐生子ども新聞コンテストで最優秀賞に選ばれました。素晴らしい仕上がりに審査員はみな感心しました。これからも自分自身の力を信じ、周りの人たちと力を合わせ、ご両親や先生方、世の中から沢山のものを吸収し、勉強、スポーツ、芸術など様々な分野で活躍してくれると確信します。あなたを表彰できることは私たちの喜びです。おめでとう」

表彰式の会場で、親御さんたちに結構評判がよかった。我が意を得たり、である。

だが、迷ったところもあった。

あなたを表彰できることは私たちの喜びです」

の一文である。「喜び」とすべきか、いや「誇り」にした方がいいか。迷った末に「喜び」にした、いまでもどちらがいいのか考えあぐねている。
そして、年末の表彰式でこの文面が読み上げられるのを聞きながら、もう1つ気が付いた。

あなたが取材、執筆、編集をして作り上げた『根本山参詣参人案内新聞』」

という言い方はくどい。すっきりと

あなたの『根本山参詣参人案内新聞』」

の方が簡潔で、これで充分ある。
今年の表彰状の文面はそうしようと思っている。