07.04
もう一つのアメリカ史
「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」というドキュメンタリーを見ている。見ているというのは、1回50分弱の10回シリーズだから、一度には見切れないからだ。昨日と今日で第7回まで見た。
初めて見た彼の映画は「サルバドル」だった。描き出される救いのない世界に、映画館を出てからもしばらくボーッとしていた。以来、「ウォール街」「プラトーン」など、彼の映画は10本以上見てきた。権力のなすことを批判手金に見るのがオリバー・ストーン監督の持ち味だ。個性の強い監督である。
その「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」を見ていたら、アメリカという国は今のプーチン・ロシア大統領の手本になっているのではないかと思えてきた。第2次大戦後のアメリカは、やたらと
「つべこべ言うと核爆弾を落とすぞ!」
とあちこちで脅しをかけているのである。
そういえば、朝鮮戦争で中国軍に攻め込まれた時、マッカーサーが核爆弾の使用を願い出たという話は読んだことがある。今日知ったのは、ベトナム戦争の最中、北ベトナムに対しても同じ脅しをしていたというのである。
ホー・チ・ミンの死後指導者になったレ・ズアンは、この脅しを毎回はねつけて抗戦を続けた。このように、腰が据わり、筋を通し、脅しにも怯まないリーダーがいて初めて、ベトナムは外国勢力を追い出すことができたのかと感じ入った。いまの日本に、こんな人材はいるのか、と考えると情けなくなる。ベトナムはホー・チ・ミンがいて、レ・ズアンがいた。戦後日本は、この2人に匹敵する指導者をいったい何人持てたのか……。
いや、話が横道に逸れた。アメリカが核を脅しの材料に使ったのは、この2件だけではない。ついさっきまで見ていたドキュメンタリーなのに、どこで使ったかが記憶に残っていないのは我が年齢によるのだろうが、とにかく、他でも頻繁に使ったのである。
「通常兵器と核兵器の、どこに違いがある? 必要があれば核兵器を使うのが当然だ」
というのが、アメリカの指導層にある基本的な考え方らしい。アイゼンハワー大統領の頃は、核兵器使用を最終的に決断するのは大統領であるという原則祖にかかわらず、連絡が取れない時は統合参謀本部議長(だったと思う)が独断で発射ボタンを押すことができ、さらにその権限が下の階層にまで委譲されていたというから、軍機の乱れもここまで来るとなかなかのものである。
それでも、アメリカが核爆弾を使ったのは、いまのところ日本の広島と長崎に対してだけである。広島、長崎以降、人類は核爆弾の惨禍とは無縁でいることができた。それは、アメリカに正しい判断力があったからというより、結果的に使う必要がなかったためだろう。
さて、このようなアメリカの脅し方を学んだと思われるプーチンは、アメリカと同じように、核爆弾を脅しの手段とするだけで終わるのだろうか? それとも、出藍の誉れ(という定型句を使うのは、この際ふさわしくないとは思うが……)で、実際に使ってしまうのか?
ウクライナが気になる。
「当選すれば、戦争を止めてみせる」
と豪語する男が、「もしトラ」、から「もし」が取れそうなだけに
「あの男がしゃしゃり出たら、トランプのアメリカを馬鹿にするプーチンが、報復はないと判断して戦術核使用に踏み切るのではないか?」
とも考えられるのである。恐らく想定外であろう長期戦を強いられているプーチンである。その程度のことをかんがえることはありうるのではないか。何しろ相手は、目先のアメリカさえよければ他はどうでもいいと放言する男なのである。
いや、寝酒のウイスキーがかなり回ってきた。ここらあたりで今日は失礼する。