2024
07.07

記憶とは?

らかす日誌

映画を見ながら焦ることがある。見慣れた、知っているはずの俳優が画面に出ているのに、名前が思い出せない。かつては絶対になかったそんなことが、このごろ頻繁に起きる。

「あっ、この女優、知ってるよな。えっ、でも誰だっけ? 確か『小悪魔』っていわれていたような……」

記憶を辿る。だが辿った先には何もない。

「誰だっけ?」

という空白があるだけである。そしてBentoに蓄えた映画のデータベースでその映画を検索する。

「あ、加賀まりこだ!」

町のチンピラ役で出ていた男優の名前も出て来なかった。知ってる、確かに知っているはずなのに、名前が浮かばない。

「えーっと、ほら、俺、昔からこの俳優と役所広司とは兄弟みたいに似てると思っていたんだが、えーっと。ほら……」

鹿賀丈史であった。

20213年公開の映画「ザ・コンフィデンシャル」でも同じ思いをした。刑事役で出ている男優の名前が思い浮かばないのである。名前は出て来ないのだが、彼が主演した映画の題名はすぐに出る。「リーサル・ウェポン」である。「マッドマックス」である。そのシーンすら思い浮かぶ。あのころに比べれば、「ザ・コンフィデンシャル」の彼は齢を重ねている。顔の皺が増えたし、髪にも白いものが混じっているのではないか? だが、「リーサル・ウェポン」で感心した目力は健在だ。いや、歳の分だけ多少濁りが入ってきたか?
とあれこれの関連情報は頭に浮かぶのだが、肝心な名前がどうしても出て来ない。

「こいつ、何という役者だっけ?」

メル・ギブソンであった。

つまらない話を書き連ねたのは、まず加齢による記憶力の衰え方にはパターンがあるのではないか? と思いついたからである。歳を取れば記憶力は衰える。どうやらそれは、固有名詞から始まるようなのだ。これは、私のように文章で生業(なりわい)を立てている(たいした生業ではないが)ものにとっては、非常に困ることである。固有名詞は一言で具体的なものを表すことが出来る便利なものである。ところが、私のような記憶力状況になると、

「あれ? あれは何というんだっけ?」

と執筆が時折止まるのである。記憶のかけらを必死で捜索してみるが、その一言にどうしても行き当たらない。やむなく、チャットGPT

「人が腰をかける道具はなんですか?」

などと問い合わせてしまう。まあ、椅子という固有名詞が思い浮かばなかったことはないが、これと似た質問を数回、チャットGPTに投げたのは事実である。

そして、記憶の面白さは、順序が逆になると容易に記憶が蘇ることである。
先に紹介した私の体験からすれば、

加賀まりこ

という固有名詞が先に示されれば、その姿形、小生意気な視線、小悪魔と少佐得れるに相応しい色気などはすぐに脳裏に浮かぶ。鹿賀丈史、メル・・ギブソンも同様である。
だとすると、加賀まりこも鹿賀丈史もメル・ギブソンも、私の記憶にきちんと残っていることは疑いない。それなのに、まず映像を見せられると、蓄積されているはずの記憶になかなか届かない。いったい何故なのだろう?

私の脳内には、多分膨大な記憶が蓄積されているはずである。蓄積された記憶のそれぞれには糸が漬けられており、

「この糸を引っ張ったら私にたどり着くからね」

と呼び出しを待っているのではないか。それなのに、その記憶にたどり着けないのは、たくさんある糸のどれを引っ張ったたいいのかという力が年齢とともに衰えるからではないのだろうか?
目の前にあるものから記憶にたどり着くのは難しいのに、記憶の一端から始めれば様々な関連情報が呼び起こされるのはそのためではないのか?

寝酒の酔いに任せて、75歳で実感する記憶というものの不思議さを書いてしまった。こんなもの、誰の役にも立たないだろう。お許しを願う。