2024
07.12

無言の行が3日目に入った

らかす日誌

我が無言の行も、すでに3日目に入った。この間、ほとんど口をきいていない。我が声帯は順調に治癒しているはずである。

「ほとんど」というのには理由がある。思わず漏れてしまう声があったからである。

ひとつは、無謀な運転をする阿呆に出会った時である。昨日も、私がT字路の突き当たりで一旦停止をした瞬間、まるで私の車にぶつかろうとでもいうラインで右折をしてきた車があった。

・左小回り
・右大回り

が運転の原則あるはずのところ、この近辺にはこの逆、

・左大回り
・右小回り

を実行する阿呆が少なくない。昨日であったのもその1人である。高齢男性であった。そんな時に、ふと出てしまうのだ。

「馬鹿たれ!」

小さな声ではあったが。

口の前で両手を交差させて✖️マークを作り、私は口をきけないのであることを伝えたはずの妻女殿も問題である。私は口をきけないのに、何かと話しかけてこられるのだ。おおむねは無視するしかない。あるいはジェスチャーで応えるい。だが、どれほど注意していても、ついつい口が開いてしまうことがある。

「ああ、いいよ」

ま、この間、思わず声帯を震わせてしまったのは3,4回である。許容限度内だと思いたい。

で、その、ついつい出てしまった己の声に、やや驚いている。

「大ちゃんの声は、電話で女を口説く声だな」

と朝日新聞のSa先輩にいわれたのは、かれこれ40年以上前のことである。当時の私がそんな美声の持ち主だったかどうかは分からない(からかわれただけかも知れない)が、少なくとも普通の声ではあったと思う。この歳になって、裏声が出なくなり、声域も狭まった。もともと聖域が広い方ではなく、上はせいぜい高い方の「ミ」あたりが限界だったが、いまは高い「ド」が上限である。だが、声の質自体がそれほど変わったとは思っていない。

それなのに。無言の行に入って2日目、思わず洩れた我が声に、私は驚いた。しゃがれているのである。それともガラガラ声、といった方がいいか。滑らかな声が失われたようなのだ。
これは、声を出さないからなのか? それとも、声帯が傷ついたことによるのか? 原因は不明である。私は、あったかも知れない「美声」を取り戻すことができるのだろうか?

もっとも、それほど悲観はしていない。サッチモと呼ばれたルイ・アームストロングの声は独特である。美声ではない。ダミ声、ガラガラ声、しゃがれ声、である。だが、あの声なくしてサッチモの歌の魅力はない。あの声で歌われる「What a wonderfull world」を超える「What a wonderfull world」を歌った歌手がいたか?
私は、映画の1シーンで、ベトナム戦争に駆り出された米兵の前でサッチモがこの歌を歌ったのを見たことがある。見ているうちに、涙腺が緩んで困った。

I see trees of green
Red roses too
I see them bloom
For me and you
And I think to myself
What a wonderful world

私の涙腺を緩ませたのは、これから戦いの場に、生死も知れぬベトナムの戦場に行く若者たちの前で、生きることの美しさ、貴さをサッチモが切々と歌ったことだけによるものではないと思う。あの歌がプレスリーの声で歌われていたら、涙が出ただろうか? いや、出たかもしれないが……。

といいうわけで、声がどうなろうと、私が変わるわけではない。声が変わるだけである。むしろ、ガラガラ声の大道の方が魅力的な男になるのではないか?

どうやら私は楽天家らしい。