2024
08.11

妻女殿が入院された。

らかす日誌

本日、妻女殿が入院された。前橋日赤である。病名は新型コロナウイルスによる肺炎。

妻女殿の新型コロナウイルス感染が発覚したのは7月24日であった。発熱と止まらない咳に悩まされて開業医を受診、新型コロナと分かった。
ただ、見立ては新型コロナ感染の末期、つまり寛解期だということで、抗コロナ薬は使わず、発熱にはロキソニンで対処し、あわせて咳止め薬を処方された。
熱は下がった。ところが、咳が止まらない。数日前には

「血痰が出た」

と報告を受けた。まあ、あれだけ咳が出れば気道のどこかが傷つき、血痰が出ることもあろう。だが、やや深刻ではある。
最初に処方された咳止め薬が切れ、私は妻女殿によってあの開業医に派遣された。同じ咳止め薬の処方箋を出してもらえというのである。いわれて開業医のドアを開いた私に、女医さんがいった。

「あれだけ薬を飲んで咳が止まらないのは心配だわ。他に処方する薬がないから仕方がないけど、医者としては病には効かない毒薬を処方しているような気分よ。早く大きな病院で見てもらった方がいいと思うけど」

こうして妻女殿は前橋日赤に電話をし、膠原病の定期検診の日取りを昨日に繰り上げてもらった。そう、昨日も2人で前橋日赤を訪れたのである。

事前に私は

「場合によったら、入院も考えて医者と話をしてこい」

と私の意見を伝えた。妻女殿によると、医者は

「とりあえず様子を見ましょう。あまり状態は良くないから、1週間後にまた来て下さい。その時に入院するかどうかを決めましょう。それまでの間に体調がおかしくなったら電話を下さい。場合によっては入院してもらいますから」

という趣旨を話したという。そして、処方したのは脊柱管狭窄症の薬だけだった。恐らく痛み止めである。であれば、一刻も早く服用したが良かろう。いつもは受診の翌日、私が薬局に行って大量の妻女殿向け処方薬を受け取るのだが、昨日ばかりは前橋日赤からの帰りに薬局に立ち寄り、処方薬を受け取った。

こうして今朝を迎えた。妻女殿は起き抜けに

「私、入院するわ」

とおっしゃった。昨夜も咳が止まらなかったらしい。自分で前橋日赤に電話をかけ、とりあえず救急外来に来いという返事をもらうと、入院用の荷造りをし(妻女殿は入院のプロである)、午前9時すぎに、前日と同じルートを辿って前橋日赤に行った。着いたのは10時すぎである。

電話で話がついているのだから、すぐに入院の手続きをするのかと思っていた。しかし、そうは問屋が卸さなかった。採血、尿検査、問診、胸部レントゲン、CT撮影、と様々な手順が続き、入院が決まったのは午後1時半前である。両肺、中でも左の肺の下部に肺炎と思える影があるという。

「コロナウイルスがいま攻撃しているのか、それとも攻撃し終えて炎症が残った部分なのかは分かりませんが、いずれにしてもコロナによる肺炎です。入院していただいてこれを治療しなければなりません」

そうか、自力でコロナを退治したと思われていた妻女殿だが、そうではなかったか。膠原病で免疫抑制剤を飲み続けているから免疫力が落ちている。それも仕方ないのかも知れない。

入院。それは覚悟をしていた。でも、どれくらいの期間?

「治療にはステロイドの投与量を増やすしかありません。3〜4週間かかると思います」

えっ、20日から1ヵ月もかかるの? これは思いもよらなかった。入院してもせいぜい3,4日から長くても1週間だろう、と勝手に想像していたのである。その程度なら1人暮らしも楽しかろう。しかし、そんなに長くなるとすると、毎日の食事のメニューを考えるだけでも大変である。さて、どうしたらよかろう?

次に費用負担がある。渡された書類を見てややホッとしたのは入院費である。

「咳が出るので相部屋ではほかの人に迷惑がかかる。個室にする」

と妻女殿はおっしゃった。理屈は通っている。異を唱える隙はない。が、問題はコストだ。個室? いくらかかるの?

渡された書類を民て少し安心した。1日5500円、とあった。数万円も取る病院がある中で、前橋日赤は良心的である。
それでも、3週間で11万5500円、4週間だと15万4000円である。払えない額ではない。しかし、年金生活者には巨額の支出であることに変わりはない。

入院にかかる費用は入院費だけではない。そのほかに、当然のことながら治療費がかかる。治療と行っても様々な検査と投薬程度とみられるから治療費が膨大に膨らむことはなかろう。しかし……。

聞いてみた。

高額医療費制度の申請をしておいた方がいいでしょうか? 私は昨年、前立腺がんの治療をしたため申請済みです。しかし妻はまだ申請していないので、必要なら申請しますが」

「うーん、そうですね。でも奥様は膠原病をお持ちで、治療費は公費負担の対象になっています。今回の肺炎も、膠原病で免疫力が下がっているから重症化した、ということで公費負担の対象にできると思います。そのあたりは病院の方で最適な方策を考えますので、しばらく時間を下さい」

こうして妻女殿は病室に運び込まれ、それを見届けて私は桐生に戻った。昼食は結局抜いてしまった。前橋日赤の近くには適当な食堂がないからである。
戻る途中、スーパーのヤオコーに寄った。早速今日の夕食から自分でメニューを考えねばならない。買ったのはピーマン、鰹の片身、ステーキ肉、ベーコンなどだ。頭の中にあった夕食のメニューは、鰹の刺身野菜炒めである。その両方を食べれば腹もくちくなるのではないか? ステーキ肉は明日以降の夕食用、ベーコンは朝食のベーコンエッグ用である。

戻って、キャベツを探した。あるはずだったのに、どこを探してもない。やむなく、野菜炒めは豚肉とピーマン、もやしだけで作った。火を通しすぎたらしく、もやしのシャリシャリ感が消えて不味かった
鰹の片身は大きすぎたため、半分だけ刺身にした。ニンニクのスライス、マヨネーズを添えたが、これも不味い。片身で500円少々だったから、低品質でもやむを得ないのかも知れないが……。残った鰹はどうしようか、捨てようか、と思案中である。

妻女殿の異変は3人の子供全員に伝えた。遠いから見舞いは要らないと伝えたが、さて、みんなはどうするか。

慌ただしい1日であった。