2024
08.16

私の本が出ました。「桐生を紡ぐ」といいます。

らかす日誌

私の本が出た。「桐生を紡ぐ」という。245ページで税込み1650円。そう、私の書いた文章が売り物になったのである。だが、私の書いた文章を、金を出してまで読みたいという人が世の中にいるのだろうか? 私は半信半疑、ならぬ二信八疑、いや一信九疑の心境である。

なぜこんなことになったのか。それはこの本の「はじめに」をお読みいただくのが話が早い。ここにコピペする。

九州は福岡県大牟田市で生まれ育ち、横浜に自宅を持つ私が縁もゆかりもない桐生に赴任したのは2009年4月だった。朝日新聞の定年を迎える2ヶ月ほど前のことである。定年後再雇用制度に応募したら、桐生支局長を命じられた。再雇用期間は7年。2016年8月に期限が切れたが、
「しばらくいろよ」
と引き手止める方々があり、そのまま居残りを決め込んでいる。
しかし、ただ桐生で暮らしているだけでは意味がない。何か地元のお役に立つことが出来ないかと考えるに至ったが、私にできることは取材をして字にする事だけである。そこで、桐生に来てずっと気になっていたことに挑んでみようと思い立った。
気になっていたこと。それは桐生の方々が自慢される「桐生」と、私が「面白い!」と思う桐生の食い違いである。
桐生の方々は、
「自然が豊かだ」
とおっしゃる。仕事で全国津々浦々を回った私は、
「自然なんてどこにでもある。日本は国土の七割近くが森林だ」
と答える。
「鉄道が4本も入っている」
という自慢には
「連携がない4本は意味がない。1時間に1本しか特急がないから使えない」
と言い返す。
「織都だ」
といわれれば
「衰退が進んでいますねえ」
と皮肉る。
「東京に近い」
と声を揚げる人には
「東京から見たら桐生は遠い」
と言い返す。
そんな珍問答を何度も繰り返した。
桐生に残ることを決めた私はそれを思い返し、
「よし、私の目から見た桐生の魅力を文章にしてみよう」
と思い立ったのである。自前でHPを立ち上げて、私が推薦する桐生を書いてみよう。
準備を進めていた時、不動産会社アンカーの社長、川口貴志さんにそんな計画を話した。すると
「だったら、アンカーのHPでやってもらえないか」
と依頼された。不動産会社のHPで? 戸惑ったが、川口さんは不動産事業を通じて桐生のまちおこしを志しておられる。であれば、そこで私が感じる桐生の魅力を連載することも意味があるのだろうと思い直した。それに、自前のHPなら収入はゼロだが、原稿料をいただけるということなので暮らしの足しにもなる。こうして、
「きりゅう自慢 よそもの記者の一押し桐生」の連載を始めたのは2018年9月だった。

「きりゅう自慢」で「桐生えびす講」の連載を始めたのは翌2019年8月のことだ。新聞記者時代は秋の風物詩としての取材対象に過ぎなかったが、朝日新聞を離れてからは桐生西宮神社世話人総務の岡部信一郎さんに引きずられて、無神論者の私がえびす講のお手伝いを始めた。自然、西宮神社、えびす講の知識が積み上がった。その結果、
「これは桐生が自慢してもいいお祭りだ」
と確信した。私は無神論者だから神事としてのえびす講には全く関心がない。西宮神社の招聘、祭事としてのえびす講に込められた町衆の思い、心意気、えびす講を通して見えて来た桐生の歴史に惹きつけられたのである。
「これを本にしたい」
と岡部さんに持ちかけられたのは2022年秋である。桐生えびす講は2020年、120周年を祝うはずだった。ところが中国に端を発した新型コロナウイルスが瞬く間に全世界に感染し、桐生えびす講も120周年を祝ってなどいられなくなった。やっと新型コロナが収まってきたので、120周年でやりたかった記念事業をこれから進めていきたい。
私にとってもありがたい話だった。しかし、「桐生えびす講」の原稿だけでは本にするにはやや分量が不足する。そこで、現代の名工である刺繍作家の大澤紀代美さん、からくり人形作家の佐藤貞巳さんの原稿も加えたいとお願いした。大澤さんは西宮神社、桐生西宮神社双方に刺繍のえびす様を奉納しており、佐藤貞巳さんは毎年のえびす講でからくり人形を披露し続けている。桐生えびす講を本にするならこの2人も欠かせない、との私の願いを岡部さんに受け入れていただき、この本にまとまった。
なお、3本の原稿はアンカーのHPで公開しているものを基本にしたが、不充分な表現を直したり、その後分かったことを書き加えたりしたことをお断りしておく。
なお、HP用の原稿を本にすることについて、アンカーの川口社長の快諾をいただいた。川口社長に感謝するとともに、この本を手にされた方には「きりゅう自慢」でインターネット検索して「きりゅう自慢」もお読みいただければありがたい。

大道裕宣

いや、実は本にする話を持ちかけられた時、最初は断固としてお断りした。岡部氏(何度も出てくる桐生市のO氏はこの人である)は本にして売るのだという。そんな! こんな本が売れるはずがないではないか! と私は考えたのである。桐生のことしか出て来ない本に、誰が触手を伸ばす? 絶対に売れない。この出版はやめなさい! 私は何度もそう主張した。

とはいえ、物書きとしてありがたい話であることは間違いない。文章を書くとは、1人でも多くの人に、できれば有料で読んでいただきたいと願うことでもある。
しかし、採算が取れるはずもない本の出版に金を出すゆとりは私にはない。やっぱり、本にするのはやめようよ。

そんな私に、岡部氏は事業としての出版は自分が引き受けるといった。あなた(つまり、私のこと)は原稿を本になるようにまとめ直してもらえばいい。

こうして私は、横書きの原文を縦書きに直し(これ、洋数字を漢数字に直すだけでも結構大変なのです)、写真の位置を決め、出版の準備をすることになってしまった。私の原稿は編集者の手に渡って体裁が整えられ、プロのブックデザイナー、三井俊之さんが表紙カバーをデザインしてくれて、やっと本にまとまったのである。

初版は200部。すべて売れても岡部氏の実入りは30万円でしかない。出版費用をまかなえるはずはない。ましてや、私に原稿料を払えるはずもない。

「200部が売れたら2刷りを出す」

というのが岡部氏の戦略である。市場の反応を見る、といえば聞こえはいいが、失敗した時の損失を出いるだけ減らそうというのだろうと私は見る。

さて、これをどうやって売るか。岡部氏にはそれなりの販売見通しがあるらしいが。私は私で、大澤紀代美さんのアトリエや、縫製会社ナガマサが経営するライフスタイルショップ「EACH OF LIFE THE SHOP」、それにプラスアンカーで販売していただくことにした。市外からたくさんの方がおいでになるからである。

さて、この出版事業、いかなることに相成りまするやら……。