08.26
長男一家がやってきて我が家をクリーンアップしてくれた。
昨日、長男一家がやって来た。久しぶりに私の顔を見て酒を酌み交わしたい、というのではない。いまだ入院中の妻女殿を見舞うためである。が、実質は私の顔を見、私と酒を酌み交わすことに多くの時間を割いた訪れであった。
昨日正午過ぎに到着、一粒種のあかりの
「お寿司が食べたい!」
の一言で昼食は寿司。回転寿司の「がってん寿司」である。この店、iPadのようなパネルで注文をとるようになった。操作が面倒である。カウンター越しに
「今度はアジね」
と声をかければ済んだ過去が懐かしい。味も少し落ちたか?
その足で、息子は50号線を前橋方面に走った。行く先を聞いても答えない。50号は走り慣れた道である。
「この先に、何かあったか?」
と思考を巡らせるが、何も思いつかない。いったいどこに行く気だ、この男。
長男がハンドルを左に切って駐車場に乗り入れたのは、「ハードオフ」であった。いわゆるリサイクルショップである。
「何を買うの?」
「いや、ギターの出物がないかと思ってね」
長男はいま、ギターに夢中なのである。
次に向かったのは、桐生市川内町の宝徳寺だった。何でも「風鈴まつり」を開いているのだという。桐生に行くことになって、
「何かないか?」
とネットで探したのだろう。
行くと、境内に数え切れないほどの風鈴が下げられ、すべての風鈴から客が書いた短冊が下がっている。「志望校合格!」「健康第一」などと書いてあるから、いわゆる願掛けだろう。
それはいい。だが、中に入ろうとしてギョッとした。入場料を取るのである。大人1人500円、。床もみじまで見るなら800円、とある。
「えっ,お寺さんが入場料を取る?」
何となく引っかかった。
いま寺は檀家の減少に悩んでいる。そりゃあそうだ。日本人の宗教心は薄くなる一方である。信仰心が薄くなるとどうなるか。寺の集金システムが明瞭に見えてくるのである。葬式や法事でお経を上げてもらうと〇〇円、永代供養で△△円、戒名をいただいて▢▢円……。
「いじゃん、お経なんか上げてもらわなくても。そもそも、何いってるのか全く分からないんだから」
「永代供養? この寺、永遠に残るとは思えないけど」
「戒名ってあの世での名前でしょ? 戒名をつけないとあの世で名無しのゴンベになるというけど、それを実証した人はいないよねえ。それに、出した金額に応じて戒名の格が変わるって、おかしくないか? あの世があるとしても、貧乏人はあの世に行っても踏みつけにされるのか。宗教は格差を固定するのか?!」
加えてこの少子高齢化時代である。信仰心の厚いお年寄りは次々とあの世に旅立ち、信仰心が薄い次の世代がのさばってくる。
それに、人口減も頭の痛い話である、人が減れば檀家が減るのは誰が考えても分かることだ。
寺を維持管理し、住職の暮らしを支えるお金が乏しくなる。何とかせねば、というこの寺なりの1案が有料の風鈴まつりなのだろう。
だが、寺とは元々、住職が資金を出して立ち上げたものではない。宝徳寺は桐生地域の領主だった桐生佐野正綱が金を出して創建した寺である。領主とは、支配下にある人々から年貢を取り立てるものである。そうして人民から取り立てた年貢の一部を、この寺の建設にあてた。でだとすれば、寺の境内とは誰もが立ち入り自由な公共空間ではなければおかしい。そこで、入場料を取る。
いや、公園でも有料のイベントが開かれたりするから、そこには目をつぶってもいい。だが、風鈴をたくさん集めて人々に見せるイベントは、仏の教えのどこから出て来るのか。お釈迦様が集まった人々からお金を集めたという話は聞いたことがない。これが現代の宗教なのか?
などと考えながら帰宅。あかりにスイカを振る舞い、BB弾のピストルなどで遊ぶ。
来桐前、長男からは
「俺だけ泊めて。後の2人はホテルをとったから」
と連絡を受けた。3人とも泊まればいいじゃないか。2階には3部屋もあるのだから、と私は不満であった。だが、我が家に着いた長男は2階に上がり、
「うわ、親父。これでどうやって親子3人で寝ろっていうんだよ。1人の寝場所を作るのも大変だぜ」
と声を揚げた。そうか、2階の3部屋のうち、1室が妻女殿の寝室である。残りの2部屋は1室が物置代わりでもう1つの和室が来客用だった。が、最近、この和室も物置になっていた。和室の荷物を物置部屋に運べば、3人寝ることが出来るではないかと楽観していた私に長男が言ったのは
「この物置部屋の方が何とかなるよ。俺、ここで寝るわ」
夜は焼き肉とのリクエストだった。我が家の近くで、と思っていたが、
「2人が泊まるホテルの近くで食った方が便利」
との、これも長男の意向で急遽店を変更。食べ終えて運転代行を呼び、ホテル泊まりの2人をホテルで降ろして長男と2人我が家。ステレオで音楽をかけ、日付変更線近くまで酒、酒……。
「俺さあ、翠嵐高校に入って最初の模擬試験では3番だったんだぜ」
へえ、そうか。そんなに成績が良かったんだ。そういえば塾の講師が
「お宅の坊ちゃんは東大に行かれるのでしょう」
といったという話を妻女殿から聞いた記憶がある。まんざら裏付けがない話しではなかったわけだ。
「翠嵐は横浜じゃ最難関の公立高校だもんな。そこで上から3番。すごかったじゃないか。俺は田舎の進学校で、最初の実力テストは確か36番。お前の方がずっと成績優秀だったわけだ」
だが、である。会話はそこでは終わらない。
「だったら、なんであの大学になったんだ?」
長男が出たのは、二流どころの私立工業大学である。
「……」
75歳の親父と50歳になった息子が、酒を飲みながら思い出を語り、世の中を議論する。楽しい夜だった。
今朝は9時半頃自宅を出てホテルに向かい、2人を拾って一路前橋へ。まずけやきウォークであかりの本を買い、昼食を済ませた。いまのあかりは何よりも本が好きである。時間ができると本を開いている。だから、会うたびに一緒に本屋に行き、1万円前後の買い物をする。今日も1万円近かった。
終えて妻女殿の入院先である前橋日赤へ。いま、前橋日赤は15歳以下の見舞いを認めていない。恐らく、学校などで拾ってきた感染症を院内に持ち込ませないためだろう。ために、あかりは病質に入ることができない。よって、私と2人、1階のドトールコーヒーで待機した。あかりはオレンジジュース、私はコーヒー。あかりはジュースに突っ込んだストローでジュースを飲みながら本を読む。やむなく私も本を開く。小さなテーブルを中にはさんで会話もせず、黙々と読書する爺と孫。あまり見かけない光景ではないか?
自宅に戻ったら、長男とその妻女殿が働き始めた。2階の大掃除を始めたのである。普段の暮らしで、私はほとんど2階には上がらない。妻女殿の寝室があり、後の2部屋は妻女のがお使いになる物置部屋である。私が関与する余地はない。
そのためだろうか。相当に汚れているというのである。体力が落ちた妻女殿では手が行き届かなかったのだろう。掃除機を持ち出し、ぞうきんを使い、2人は、老夫婦では面倒を見切ることが出来ない隅々まで手を入れてくれた。おまけに、庭の草まで抜いてくれた。
「いいよ、いいよ。もう少し涼しくなったら除草剤をまくから」
と何度言っても
「目立つのだけでも抜いておきたいので」
と汗を流したのは長男の妻である義理の娘である。
持つべきものは良き子供とその連れ合いである、と喜んだ私であった。