2024
09.11

妻女殿は30日にカテーテルによる治療を受けることになった

らかす日誌

妻女殿がカテーテルによる治療を受ける日が決まった。今月30日である。

担当医に呼び出され、施術日の決定を聞くとともに施術の解説を受けた。正式な病名は大動脈弁狭窄症である。心臓と大動脈の間にある弁がほとんど動かず、血液が送り出されていない様を動画で見せられた。なるほど、これなら全身に血液が行き届かない訳だから全身倦怠、疲れやすさなどがでるのも頷ける。

「この大動脈弁の状態ではいつ突然死が起きてもおかしくない状態です」

再び同じ説明を受けた。だから足の付け根からカテーテルを入れて心臓に達し、狭くなった血液の通り道を押し広げ、弁の一部を取り除き、代わりに豚や牛からとった生体弁を置くのだという。多少の間違いはあるかも知れないが、私はそう理解した。

「そんな、生体弁を置くだけだったら血液に押し流されませんか?」

思わず、そんな質問が口をついた。

「いや、そう思われるかも知れませんが、ちゃんと必要な箇所にとどまって弁の役割を果たしてくれます」

生体とは不思議なものである。
次の質問はこうだ。

「しかし、他の動物からとったものを体内に置くとなると、免疫反応が出ますよね。身体は異物を排除しようとするわけで……」

ここまでいって、質問を取り消した。妻女殿は膠原病の治療として免疫抑制剤の服用を続けている。普通の人が肝臓移植や腎臓移植をすれば終生免疫抑制剤が離せなくなるが、妻女殿はすでに飲み続けている。これは問題ないのか。

しかし、である。妻女殿については何度も

「いつ突然死してもおかしくない」

と言われた。だとすれば、どうして施術日が20日も先の9月30日なのか? その間に突然死する恐れもあるんだろ? どうしてもっと早くカテーテルによる治療ができないのか?

説明を聞いてなるほど、と思った。
施術日まで日があるのは、事前の検査があるからだ、というのが最初の説明だった。それにしても20日間も検査をするか? それとも、同じ施術を受ける患者が目白押しで、順番待ちをしなければならないということか?

最後に出て来た説明はこうである。

「実は、施術日は月曜日なのです。ところが今月は月曜日が振替休日になる日が2日もある。16日と23日です。だから、最速で30日ということに……」

まあ、妻女殿は入院中である。24時間の看護体制がある。だから、20日の間に何事かが起きても対処はできるのだろう。そこは自宅にいるより安心ではある。

気になったのは、病院の思考の硬直性である。
振替休日が制度化されたのは1973年である。祝日が日曜日と重なる時は翌日の月曜日を休日にするという制度だ。急速に経済成長を続ける日本に対して

「日本人は働きすぎる」

という批判がアメリカを中心に沸き上がった。日本人は働きすぎる。だから安くて質のいいものができて、それがわが国の経済不振を招いている、というのである。その外圧に押された日本政府が制度化した。
当初は祝日がそれほど多くなかったからたいした問題は起きなかった。だがみどりの日(5月4日)、海の日(7月の第3月曜日)、敬老の日(2003年に9月の第3月曜日となった)、体育の日(2000年から10月の第2月曜日)、山の日(8月11日)と、増えに増えた。そして、海の日、敬老の日、体育の日のように、最初から月曜日を狙い撃ちしたものもある。

それは

「できるだけ連休をとりましょう」

という政府の心遣いかも知れない。海外からの働き過ぎ批判に対する回答でもあるだろう。それはそれとして、サラリーマンにとっては歓迎すべきものなのだろう。

だが、おかげで妻女殿の施術の日が遠くなった。入院期間もその分延び、経済負担も膨らむ。
と考えた時、病院の思考の硬直性にぶつかったのである。

月曜日が休日になることが増えている。今年は9月だけで2回もある。であれば、どうして施術日を他の曜日に移さないのか? なぜ月曜日でなければカテーテルによる治療ができないのか?

ひょっとしたら病院には病院の事情があるのかも知れない。それぞれの部局で手術室を使う日が決まっており、心臓外科が行う施術は月曜日から動かせないのかも知れない。
それにしても、ことは患者の命と健康にかかわることである。手術室が足りないのなら、手術室を増やせばいい。そうすれば、心臓外科が使う日を他の曜日に移せるはずである。

ま、こんなところで、こんな病院批判をしてもごまめの歯ぎしりに過ぎない。妻女殿は30日を待つしかない。